次世代GPS、屋内も死角無し 売り場を丁寧に案内
近未来探訪(3)誤差数センチ、3次元ナビも
あなた以上にあなたのことを多く語るもの。それが、人やモノの居場所を示す位置情報だ。2012年から数年間は、位置情報の本格利用が始まる転換期になりそうだ。早ければ2016年ごろに次世代型の全地球測位システム(GPS)などが稼働を始め、わずか数センチの誤差で様々な人や物体の位置を捕捉できるようになるためだ。インターネットによる消費者向けサービスは一段と便利になり、企業は生産活動をさらに効率化できるようになる。ネットがけん引してきたデジタル経済は、一段と進化する。
建物内でも機能する測位システムを――。こんな目的で研究開発を進めるのは慶応義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科の神武直彦准教授。これまでのGPSでは「死角」とされてきた屋内でも、人がいる階数やフロア上の位置を特定できるIMES(インドアメッセージングシステム)と呼ぶ屋内位置検知技術の開発を進めている。
今春からこの技術を利用し、東急電鉄が運営する大型商業施設二子玉川ライズ(東京・世田谷)で本格的な実証実験を始める。衣料品店や外食店などライズに入居する店舗とおよそ100人の消費者が参加する。
消費者には首からぶらさげられる小型軽量のIMES専用受信機を100台配布する。同時に、1~8階の各フロアの通路には複数の送信機を等間隔で設置。消費者が各フロアを歩き回ると、首からさげた端末がフロアに置いた送信機から出た位置情報を受信。消費者のスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)を通じてこの情報を専用サーバーに送り返す仕組みだ。
この実験では、それぞれ10メートルの範囲で検知できる送信機で消費者の居場所を特定する。フロアに配置する送信機の数をもっと増やせば、理論的には大幅に精度を高められる。消費者の居場所に応じて各店舗で利用できるクーポン券や広告をスマホに送りつけるなど、販促情報を提供できる。電子地図を使って各フロアの位置関係や避難経路もわかりやすく伝えられるようになる。精度が誤差数センチ程度まで高まれば、売り場で迷うことはほとんどなくなるだろう。ICタグなどを使って各商品の詳しい陳列場所も捕捉できれば、スマホに商品名を入力するだけで、目当ての売り場にたどり着けるからだ。
「東京都など大都市にいる人々の行動範囲の8割以上は屋内空間」。実験を主導する慶大の神武直彦准教授はこう説明する。大都会に広がる「死角」を新たな測位システムでカバーできれば、都会暮らしの便利さが大きく改善しそうだ。
室内も網羅できる測位システムの有用さには観光を主力産業に位置づける地方も着目している。
北海道網走市の博物館網走監獄で2011年10月、「世界初」という実験が行われた。屋内の測位システムであるIMESと屋外用のGPSを連携させ、約130人の観光客を施設内のチェックポイントに誘導する試みだった。東京ドーム3.5個分ほどもある広大な施設の屋外、屋内問わず、歩き回る観光客の居場所をつかめるようにした。
20カ所に設けたチェックポイントを通過すると、スマホにスタンプ代わりのデータが送られ、デジタル版のスタンプラリーが楽しめる仕掛けだ。将来はより広域で観光客の詳細な居場所を捕捉できる仕組みを用意し、外国人らが迷いにくい観光地づくりを目指す。
実験に協力したソフトバンクモバイル新規事業準備室の永瀬淳氏は「木造や鉄筋など様々な建物が集積する場所で測位の精度を上げることが重要」と網走監獄を舞台に選んだ理由を話す。二子玉川ライズで実験を進める慶大の神武准教授も「日本ほど複雑な屋内環境が数多くある国は少ない」と指摘。屋内測位を渋谷駅のような地下鉄や駅、ショッピングモールなどが入り乱れる東京で通用する技術に鍛え上げようとしている。
これまで主に屋外の測位システムを支えてきたGPSも、次世代型に大きく進化しようとしている。日本は早ければ2016年にも国内初の準天頂衛星「みちびき」に続く測位用の新型衛星を打ち上げる予定。本格稼働すると、測位誤差は現状では10メートル程度から、場合によっては数センチに劇的に向上。屋内の対象物を追尾するのが難しいという従来の常識も覆される見通しだ。新衛星が従来のGPSからの信号を補強する機能を持つためだ。
高精度の測位データによって、自動車の乗り方も新たな次元に移る。三菱電機IT宇宙ソリューション事業部の柴田泰秀部長は「いま、まさに走行している左右、中央などレーンも識別できるため、一段と正確なナビゲーションが可能になる」と説明する。新衛星によって測位データをほぼリアルタイムで処理できるようになるからだ。
近い将来、カーナビではいま高架式の高速道路を走っているのか、真下の一般道を走っているのかも識別できるようになるという。測量用ソフトの開発のアイサンテクノロジー(名古屋市)の藤野宏明氏は「これまでのGPSには、高さの情報がなかったが、いずれ三次元で識別できるようになる」と説明する。
2013年に軍事用の新型衛星の打ち上げを予定している米国も「3次元ナビ」を志向しているようだ。強いビームを利用することで対象物を正確に捕捉。物陰に隠れた対象物も追尾できるという。高さ方向の位置の違いも検知可能だという。
「みちびき」の打ち上げを受け、自動車やカーナビ業界は電子地図を描き直す作業を進めている。高度な情報位置を生かすも殺すも、ナビ用の地図の出来次第だからだ。三菱電機は走行しながら道路の周辺情報を3次元で高速収集する「モービルマッピングシステム(MMS)」も開発した。
非常に正確な測位技術によって、乗り物が自律的に動き回る時代も遠くなさそうだ。
2011年6月、1人乗りで自律型の四輪ロボットが滑るようにつくば市内の歩道を走り始めた。日立製作所の輸送システム研究部が開発した「搭乗型移動支援ロボット」だ。6月にデビューして以来、TXつくば駅周辺の「つくばモビリティロボット実験特区」の中を月2回、行き来している。
現状では小さな子どもやジョギングする人などをよける操作は人間の操縦に頼っている。しかし、周囲の障害物を検知するセンサーと組み合わせることで、近い将来に自律型の移動手段の実用化が可能になると見ている。日立は通勤や通学でユーザーを駅などに送った後、事故を起こすことなく自ら自宅に戻る便利な自律型コミューターなどをイメージしている。
次世代GPSは経済活動を持続するための欠かせない道具になるだろう。新たな測位技術は、少子高齢化で担い手不足が影を落とす日本の生産現場にも光明をもたらすからだ。筑波大学の知能ロボット研究室坪内孝司教授は「山奥など従来のGPSが受けられなかった場所でも衛星から正確な位置情報を受け取ることができるようになり、無人で動く機械の活動範囲が大きく広がる」と話す。
「農業にも、大きなチャンスをもたらす」と話すのは、日立造船・衛星測位事業推進室の神崎政之主席技師。推進室は11年12月に発足したばかりの戦略部門だ。直前の10月には北海道富良野町の農場で文部科学省や北海道大学、スガノ農機などと無人トラクターの実証実験をした。
準天頂衛星「みちびき」から得られる測位情報を使うことでトラクターは自分の位置を誤差数センチの正確さで認識。約4万平方メートルの農地をGPSからの情報をもとに動き回った。衛星からの情報を受信するシステムはニコンの子会社が、自律走行システムは北大が担当した。
いずれは、土を耕し、肥料をまき、種を植えるといった一連の農作業をほぼ自動的にこなしてくれるようになりそうだ。「夜間も農機を自動運転させることができるようになる」。関係者は期待を寄せる。
日立造船の神崎氏は富良野町での実証実験の直前の9月、東京海洋大学の越中島キャンパス(東京・江東)でも「みちびき」を使った農機の自動走行試験をした。キャンパスに並べた障害物と農機のバンパーの間はわずか5センチメートル。無人農機はみちびきから位置情報を受け、次々によけながら走行した。神崎氏は「技術的な確証を得た」と話す。日本の農地は面積が狭く、消費者の品質やトレーサビリティー(生産履歴管理)に対する要求水準も高い。神崎氏は「高齢化する農家の代わりに無人トラクターがきめ細かい作付けや収穫ができるようにしたい」と将来の目標を話す。実現すれば「アジア各国にシステムを売り込むチャンスも出てくる」と先を見据える。
経済産業省の予測によると、人工衛星を活用した社会インフラ事業全体の市場規模は08年に4兆円規模だったが、13年には約10兆円に拡大する見通しだ。新たな測位衛星の追加打ち上げで、さらなる成長が期待されている。一連の衛星の活用策を探る衛星測位利用推進センター(SPAC)によれば、すでに214の企業・団体が100を超えるテーマを提案している。東日本大震災の経験も踏まえ、地盤変位の観測や災害救援などのアイデアも広がっている。
高度な位置情報は、電気、ガス、水道、通信に続く「第5のインフラ」(SPAC)として、国の競争力を左右する可能性が高い。中国も自国版のGPSを民間向けに開放するなど各国の開発競争は激しくなるばかりだ。
慶大の神武准教授は「日本独自の規格を確立し、海外に輸出できる体制整備を急ぐべきだ」と訴える。測位精度が向上すると、重要な個人情報が流出する懸念も増す。日本はこうした面にも配慮しながら、次世代GPS競争で生き残るために不断の用途開発を続ける必要がある。
(電子報道部 杉原梓)