東日本大震災、亡き親友と誓った教員の夢 宮城の大学生
「一緒に小学校の先生になろうね」。宮城教育大3年の高橋輝良々さん(20)は、東日本大震災の津波で失った親友との約束を今も忘れない。つらい思いや葛藤を抱え、自分の被災経験とも向き合ってきた。「子どもたちの命を守れる教員になる」。誓った夢は、いつしか目標になった。
宮城県石巻市の門脇小1年だった3月11日、下校中に地震に襲われた。近くの墓石が倒れ、ゴーと地鳴りが響く。「戻ろう」。同級生の一言で校庭に向かう。他の児童や教職員と裏山に駆け上がった。
雪が降る公園で肩を寄せ合っていると、頭上にブルーシートをかぶせられた。雪をしのぐためか、津波を見せないための配慮だったのだろう。周囲ではサイレンや車のクラクションが鳴り響いていた。
津波は親友を奪った。下校して海に近い自宅に戻り、母親とともに犠牲になったと聞いた。
幼稚園からいつも一緒だった。ある日の休み時間、校庭のジャングルジムに登り「小学校の先生になりたいんだ」と話すと、親友は「わたしも。一緒になろう」と目を輝かせて言った。あの日から夢は変わらない。
母校の門脇小は津波と火災の被害に遭い、立ち入れなくなった。震災遺構として一般公開された2022年の夏、震災後初めて訪れた。校舎を歩くと、みんなと過ごした思い出がよみがえる。
展示された1枚の写真が目に留まった。火災を免れた教室の机に置かれたクレヨン。よく見ると、親友の名前が書かれたシールが貼られていた。「ちゃんといたんだよね」。生きた証しを見つけ、涙があふれた。
震災で、多くの人が大切な家族や家を失った。「家族も自宅も無事だった自分は被災者なのか」「被災者という言葉は自分にふさわしくないのでは」。そう自問し、人前で被災経験を話すことをためらっていた。
転機は23年の夏。震災当時、門脇小校長を務めていた鈴木洋子さんとの再会だった。
被災経験を語ることへの葛藤、親友との約束――。全て打ち明けた。鈴木さんは「その思いを自分の言葉で語ることができるのはあなただけ。子どもたちを守る、あなただけの教材になる」と声をかけた。その言葉に背中を押され「震災の教訓を伝える一員になりたい」と思うようになった。
12月、知人からの依頼で地元中学生に初めて自身の経験を語った。話し終えると、心が軽くなった気がした。現在は、大学で教員を目指す勉強に励みつつ、震災遺構の案内役を務める語り部育成の研修を受講中だ。
「犠牲になった命を無駄にしない」。亡き親友を思い、目指す先を追い続けている。〔共同〕
東日本大震災から13年となった被災地。インフラ整備や原発、防災、そして地域に生きる人々の現在とこれからをテーマにした記事をお届けします。