「サッカーの王様」ペレさん死去 82歳、元ブラジル代表

【サンパウロ=宮本英威】「サッカーの王様」として知られるブラジル代表元エースのペレさんが29日、死去した。82歳だった。結腸がんなどで闘病していた。ワールドカップ(W杯)に4度出場し、世界中でただ1人、選手として3度の優勝に加わった。20年以上の現役生活で、1200以上の得点を決めた。ボクシングのムハマド・アリらと並び、20世紀最高のスポーツ選手の一人と数えられる。
ペレさんの娘がインスタグラムへの投稿で死去を明らかにした。ペレさんは1940年10月、南東部ミナスジェライス州トレスコラソエスに生まれた。靴磨きをして家計を助けながら、プロ選手だった父からサッカーの手ほどきを受けた。15歳で名門サントスFC(サンパウロ州)に入り、16歳でブラジル代表に選ばれた。
17歳だった58年にW杯スウェーデン大会に出場して優勝に貢献。62年チリ大会、70年メキシコ大会でも世界一を獲得した。小柄ながら、曲芸的なフェイントや自在なドリブルで、W杯では通算14試合で12得点、ブラジル代表では91試合で77得点を記録した。

74年にサントスを退団したが、75年には当時はサッカー不毛の地だった米国でニューヨーク・コスモスに加入した。77年の現役引退までプレーして「伝道師」として普及に尽くした。現役生活の得点数は諸説あるが、1283得点といわれる。
引退後は国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として子供の権利保護に取り組んだ。95~98年には母国でスポーツ相を務めた。クラブ側に有利だったプロ契約を選手にも配慮するように整備した通称「ペレ法」を通すなど、選手の権利向上に尽力した。国際オリンピック委員会(IOC)は99年、20世紀を代表するスポーツ選手の1人にペレ氏を選んだ。
ペレさんのひつぎは2023年1月2日、サントスのホームスタジアムに運ばれ、同日午前10時(日本時間同日午後10時)から24時間、市民の弔問を受けるという。
競技場外での豊富なエピソードでも知られる。1969年にはサントスがアフリカ遠征した際、内戦状態だったコンゴやナイジェリアが一時停戦して、親善試合を実施した逸話が残る。サンパウロで強盗に襲われた際には、車内にいたペレさんに気付くと、謝罪して退散したという。

2022年11~12月に開催したW杯カタール大会ではブラジル代表やそのサポーターたちがペレさんの回復を願う横断幕を掲げた。ペレ氏はW杯期間中、病床からもたびたびインスタグラムにメッセージを寄せていた。決勝の結果を受けて「アルゼンチン、おめでとう。きっと今、ディエゴ(・マラドーナ氏)は笑っている」と書き込んでいた。
本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント。愛称のペレの由来は本人にも不明で、子供の頃のひいき選手だったビレがなまったなど複数の説がある。
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