東京・大阪…東西の中心駅に「短い階段」多いのはなぜ?
鉄道の達人 鉄道ジャーナリスト 梅原淳
JR各社の駅で特に規模の大きなターミナルというと、東の東京駅、西の大阪駅が思い浮かぶのではないだろうか。通勤・通学客だけではなく多数の旅行客が利用し、キャリーバッグを携えた人たちがコンコース(通路、広場)やホームを忙しく動き回っている。両駅とも改札口を入って中に進むと、階段が次々に出現する。そのたびにストレスを感じる人も多そうだ。こうした「階段」について今回は取り上げたい。
ちょっとした段差が各所に
両駅は規模が大きいだけにホームがたくさん並ぶ。大勢の利用者が滞りなく行き来できるようにコンコースとホームとを結ぶ階段は当然多くなる。しかし注目したいのはそうした階段ではない。改札口の置かれた階層から、コンコースの各所にある小高い空間とを上り下りするために取り付けられた10段前後の短い階段に注目したいのだ。
なぜ小高い空間があるのだろう。混雑する中、わざわざ短い階段を上り下りしなければならない苦労が生じるのはどうしてか。その理由を探ってみよう。
東京駅で目立つのは新幹線改札口の周辺
まずは東京駅のケースだ。小高い空間に設けられた短い階段は新幹線の改札口やコンコースの周辺に集中している。その空間の分なのだろうか。新幹線のホームからは在来線を見下ろす形になっている。
何ともよくわからない階段は1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業したときから存在するという。理由を一言で説明すると、「建設費を節約するため」なのだ。
東海道新幹線の建設に当たり、JRの前身である国鉄は東京駅の狭さを問題視した。東京駅は東海道新幹線の起点であると同時に、日本の首都を代表する駅でもある。したがって、新幹線の駅のなかでも特に多くの利用者が見込まれた。
ところが、東海道新幹線向けには在来線のホームと八重洲口の駅舎との間にはさまれた空間しか確保できない。64年10月の当初は17、18、19番乗り場分と開業時に間に合わなかった16番乗り場分のスペースしかなく、その幅は約34メートルであった。一見広いように見えても、この範囲に改札口や指定席券売り場などを設置すると、自由に使える空間は案外少ない。
国鉄は3階建てにしようと計画した。1階が八重洲口と在来線とを結ぶ連絡通路、2階が改札口とコンコース、3階をホームという具合にだ。東海道新幹線で言うと、京都駅がこのような構造となっている。
空間狭く…3階構造は断念
しかし、東京駅では建設費を節約するため、3階建てのつくりは結局見送られた。ならばせめて新幹線の改札口やコンコースに段差のある小高い空間はつくらないでほしかったのだが、こちらは諸般の事情で設置せざるを得ないのだ。
東海道新幹線東京駅の設計に携わった当時の国鉄本社・新幹線局土木部計画課の斎藤隆雄氏は小高い空間が設けられた理由を次のように説明する。
「ホームに直結する振分け階段は当然ホームの直下に設けられるが、この階段の中段通路(筆者注=小高い空間)は一般に著しく1階の空間に突出しており、特にホームが対向式(注=ホームが2本の線路のともに外側に設置される方式)の駅にあつては高架下の両端に突出して、コンコース空間を局部的に分断する結果を招いている。これはホームの高さの如何(いかん)によるもので、十分高ければそのようなことは起らない」(斎藤隆雄「新幹線駅舎あれこれ」、「交通技術」1964年10月号)
振分け階段とは現在はあまり使わなくなった建築用語だ。ここではコンコースからホームへ向けて前後に2カ所設けられた階段を指す。新幹線に限らず多くの駅で見ることができる。
一直線の階段 必要なスペース大きく
なぜ「ホームの高さの如何」で小高い空間が必要になるのか、これはホームとコンコースとの間に設置される階段の特徴によるものだ。駅の階段をイメージしてほしいのだが、コンコースとホームとを結ぶ階段は途中で向きを変えず、一直線にホームまたはコンコースを目指す。階段の傾斜は大勢の利用者が混乱なく上り下りできるようとても緩い。
筆者が入手できた過去の資料を基に計算したところ、東海道新幹線東京駅16・17番ホームの階段の場合、高さは6.3メートルほどに対し、長さは14.7メートルほどと2倍以上だ。もしも小高い空間を設けなかったとすると、駅1階とホームとの間の高さは最大で9.7メートルほどになる。この高さの階段を同様の条件で設置すると、長さは22メートルほどと結構長くなってしまう。上り下りしづらいし、階段の上下に広い空間が必要となって、狭い東京駅では設置が難しい。
逆に駅1階とホームとの間がさらに高いと、京都駅のように途中に2階を設けられるようになるので、階段設置の自由度が高まる。2階コンコースとホームとを結ぶ階段の条件はいま挙げたものと同じながら、2階はホームと比べて広いので、階段を多数設置しても階段の上下空間が1階や2階を圧迫するケースは起きづらい。
前述の斎藤氏はこのような構造とせざるを得なかった無念さを次のように語る。
「その結果(筆者注=「当時の予算事情その他から」と直前にある)、階段の中段通路がコンコース空間に低く突出する今日の姿となり、平面的にも空間的にもゆとりの少ないレイアウトに終つた」(前掲書)
大阪駅では別のワケが…
さて、大阪駅では2023年(令和5年)3月18日に開業したうめきたエリアのホームを除けば、JR西日本各線のホームは基本的に東海道新幹線の東京駅と同じく高架橋上に設けられている。この駅の中央コンコースには小高い空間が設けられ、やはり10段前後の階段が所狭しと並ぶ。まさか東京駅のように建設費を節約したからなのかと思いたくなるが、そうではない。
高架橋の構造へと1937年(昭和12年)前後に改められた大阪駅では完成直後から激しい地盤沈下に悩まされた。当初は年間20センチメートルも沈み、この頃から57年(昭和32年)ごろまでの間の沈下量は最大1.8メートルにも達したという記録がある。
地盤沈下、場所による差が大きく
やっかいなことに高架橋は均等に沈まず、高架橋を支える基礎部分の杭の長さで差が生じてしまった。たとえば、大阪メトロの地下鉄御堂筋線が地下を走る国道176号と立体交差する場所では長さ27メートルほどの杭で支えている。地下水をくみ上げても影響を受けない砂利層まで杭が達しているためほとんど沈んでいない。一方で、大部分の高架橋は長さ6メートル前後の杭で支えられ、この部分の地層は地下水をくみ上げると収縮する粘土層であるため、大きく沈んでしまった。
不均等に沈んだ結果、線路に傾斜が生じてしまう。当初はレール、枕木の下に敷くバラスト(砂利)を増やして対処していたが、新幹線でさえ30センチメートルの厚さであるところ、1.3メートルも敷かなくてはならず、限界を迎えた。
ホーム部分では根本的な対策が難しく、高架橋の橋桁やホームを部分的にかさ上げする方策が採用される。その際に問題となったのは、ホームと中央コンコースとを結ぶ階段だ。中央コンコース部分は地盤沈下の影響を大きく受けた場所の一つである半面、高架橋やホームはなるべく元の高さに戻そうとかさ上げされたので、階段が届かなくなる。新たな階段に置き換えるのも大変で、やむを得ず小高い空間を設けて中央コンコースとホームとを接続しようと考えられたのだ。
国鉄は地盤沈下がさらに進むと考え、次なる方策を練っていたが、あまりに沈むと手の打ちようがない。大阪駅の移転も考えたほどであった。ただ地盤沈下のペースは65年(昭和40年)ごろには鈍くなり、75年(昭和50年)には収まっていく。大阪市内の各地で発生する地盤沈下がこれ以上進まないよう、市による地下水のくみ上げ規制強化の効果が表れたからだ。
東京駅にしろ大阪駅にしろ、新しい駅舎への建て替えが必要となる時期がいずれ到来する。そのときこそ階段で頻繁に上り下りする必要はない構造へと改めてほしいものだ。
「東海道新幹線工事誌」 日本国有鉄道東京工事局、1967年
「日本鉄道請負業史 昭和(後期)篇」 日本鉄道建設業協会、1990年
斎藤隆雄「新幹線駅舎あれこれ」 「交通技術」1964年10月号、交通協力会
仁杉巌「大阪駅の沈下対策」 「交通技術」1955年6月号、交通協力会
村上温、村田修、吉野伸一、島村誠、関雅樹、西田哲郎、西牧世博、古賀徹志編「災害から守る・災害に学ぶ 鉄道土木メンテナンス部門の奮闘」 日本鉄道施設協会、2006年
1965年(昭和40年)生まれ。大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。「JR貨物の魅力を探る本」(河出書房新社)、「新幹線を運行する技術」(SBクリエイティブ)、「JRは生き残れるのか」(洋泉社)など著書多数。雑誌やWeb媒体への寄稿、テレビ・ラジオ・新聞等で解説する。NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。
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