ノーベル経済学賞に元FRB議長・バーナンキ氏ら3人
金融危機の仕組み解明 元中銀トップ、異例の受賞
スウェーデン王立科学アカデミーは10日、2022年のノーベル経済学賞を元米連邦準備理事会(FRB)議長のベン・バーナンキ氏(68)ら3人に授与すると発表した。授賞理由は「金融危機における銀行の役割」。同氏は08年の金融危機時にFRB議長として対応の指揮をとった。実務面でも主要国中央銀行のトップを務めた人物が同賞を受けるのは極めて異例だ。
バーナンキ氏と共同受賞したのは米シカゴ大学のダグラス・ダイヤモンド教授、米セントルイス・ワシントン大学のフィリップ・ディビッグ教授で、いずれも銀行破綻が経済に与える影響を定式化した。
バーナンキ氏の研究業績で最も評価を受けたのは、1930年代の世界恐慌の分析だ。当時の米国は失業率が25%にまで上昇し、世界でも前例のない景気後退を記録した。原因として考えられていたのは中央銀行による資金供給の不足だったが、バーナンキ氏はほかにも原因があると考え、統計や歴史資料を吟味した。
結果として判明したのは、銀行の取り付け騒ぎが恐慌を深刻化した点だ。人々は銀行破綻が意識されると、一斉に預金を引き出そうとする。銀行は預金引き出しに備えた資金を確保するために企業への貸し出しを渋る。すると経済全体に回るお金の量が少なくなってしまい、不況が深刻化してしまう。こうした金融を介した負のサイクルをバーナンキ氏らは理論として定式化した。
バーナンキ氏は米プリンストン大学教授などを経て2006年から14年までFRB議長を務めた。08年9月、米金融大手リーマン・ブラザーズの破綻に始まった世界金融危機では、経営が不安視された他の大手金融機関に公的資金を投入する緊急対応策を主導した。当時、金融機関の救済には米議会などから批判の声が上がった。だが銀行の信用回復を重視するという自らの理論に沿った行動により、危機の広がりを食い止めたという評価が近年では定着している。
現在も米国をはじめ世界の金融政策に影響力を持つ。バーナンキ氏は20年3月、新型コロナウイルス危機を受けて英紙フィナンシャル・タイムズにジャネット・イエレンFRB前議長(現米財務長官)と共に寄稿。「FRBは限定的な量の投資適格社債を買い入れる権限を議会に求められる」と記し、信用の悪化が見込まれる企業の社債買い取りを中銀に求めた。FRBはその政策を実行に移し、市場の混乱を回避した。
政策への影響力は日本にも及ぶ。バーナンキ氏は中銀が物価上昇率に目標を設定する「インフレターゲット」の提唱者としても知られ、90年代後半にはデフレに苦しむ日銀に採用を求めた。02年には、ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンの言葉を引き「ヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言し、日本に大胆な金融緩和を説いたこともある。
一方、ダイヤモンド氏やディビッグ氏は、銀行への規制の必要を説いた業績が評価された。銀行は預金者が必要な時にお金を供給することが大切な役割だ。しかしひとたび銀行に取り付け騒ぎが起きると、預金引き出しに対応できなくなってしまい、危機を深刻化させてしまう。このためダイヤモンド氏らは、政府が銀行預金の一定額を保証する「預金保険」の重要性を唱え、実際に日本を含めた主要国が導入している。
金融危機に関わる研究では日本人の清滝信宏・米プリンストン大教授の評価も高い。王立科学アカデミーはバーナンキ氏らへの授賞理由を説明する文書の中で、清滝氏らが1997年に発表した論文も重要な関連業績として紹介した。論文では銀行が企業に資金を貸し出す際の担保に注目し、土地や株式など担保価値が下落することが金融危機を深刻にする点を解明した。
05~06年に米ブッシュ(第43代)政権の大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を務めた後、06~14年にFRB議長。08年以降の世界金融危機で米国史上初となるゼロ金利政策の採用などを指揮した。現在は米ブルッキングス研究所の特別フェローを務める。68歳。
Douglas W. Diamond氏 53年生まれ。80年米エール大学で博士号取得。
Philip H. Dybvig氏 55年生まれ。79年米エール大学で博士号取得。
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(更新)
2024年のノーベル賞発表は10月7日(月)の生理学・医学賞からスタート。物理学賞は8日(火)、化学賞は9日(水)、文学賞は10日(木)、平和賞は11日(金)、経済学賞は14日(月)と続きます。