ヘンリー・クラビス 私の履歴書(3)シャイ
KKR共同創業者兼会長
1944年に生まれた私は、マサチューセッツ州のイーグルブルック・スクールに8年生で転校するまで、オクラホマ州のタルサで育った。
何にでも興味津々で、後先を考えずに動く性格だった。5、6年生だったか。友人に勧められ、消毒や漂白に使う薬品で髪を染めようと試みた。友人はもくろみ通りブロンドになったが、私の髪はオレンジ色になってしまった。驚いた両親に「染め直すまで、ディナーには連れて行かない!」と叱られ...
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米投資会社KKRの共同創業者兼会長、ヘンリー・クラビスさんは企業買収ファンドの仕組みを1970~80年代に創り、発展させました。それからほぼ半世紀。業績が低迷する企業を再生し、さらには市民も一緒になって繁栄する資本主義の実践に力を注いだと振り返ります。派手な買収で付いた「野蛮人」というレッテルに苦しみ、私生活では19歳の長男を事故で失うなど必ずしも順風満帆ではありませんでしたが、共同創業者でいとこのジョージ・ロバーツさんとの二人三脚でKKRの事業を育ててきました。その原点は祖父が米国に移民して以来続く「助け合う」家風を企業経営に生かしたところにあると記します。世界的に著名な投資家の言葉は、今まさに成長を迫られている日本経済にもヒントを与えるでしょう。