上越市立城西中学校創立50周年記念式典
母校、城西中学校の創立50周年記念式典に実行委員として参列。秋晴れの中(体育館でありましたが)粛々と式典が挙行されました。第一回卒業生として思いが走馬灯のごとく頭をよぎった式典でありました。
午前10時記念式典が開演。
ステージには上越市立城西中学校創立50周年記念式典の横断看板が!早いものでもう50年かととの思いも!
校旗入場、例のごとく生徒会長以下幹部3人でブラスバンドの勇壮な曲に合わせ入場!イヤ―カッコいいですね。
初めに、実行委員を代表して麦谷実行委員長による挨拶。印象に残った言葉は、1、母校愛2、地域愛3、環境整備、この精神を無くさず、今後も城西中学校の発展を祈念すると。
鈴木副実行委員長による、経過報告。
記念事業報告の目録を早川校長に手渡しております。南門の整備、地域談話室(資料室)の設置、吹奏学部の楽器の補充等であります。
村山市長、公務の為、祝辞を中野教育長が代読。
生徒を代表して生徒会長の藤巻ゆうと君が挨拶。合併当時は体育祭は陸上競技場、入学式・卒業式も南厚生会館で行ったと。その通りで自身の卒業式は南厚生会館で行いました。また30年前、20年前、10年前の学校の移り変わりを披露、近年では、地域の方と繋がり、ハートとハートでつなぐ事業を展開し今まで以上に地域の皆様とつながりが持てた事はこの上ない喜びである。50周年の節目に携わった事は生涯の思い出に残り、皆様に感謝申し上げ、今後も母校発展の為努力することをお誓い申し上げますと。
早川校長がお礼の言葉を。昭和40年4月1日に金谷・三郷・和田と合併し城西中学校となり、一年後には城南中学校の一部も参加、前年の昭和39年には、東京オリンピック、東海道新幹線が開業の明るい年でもありました。しかし新潟地震が起き、26人の尊い命も振るわれた悲しい年でもありました。6年後には2回目の東京オリンピック開催が決定した年でもあります。また来年は北陸新幹線が開業します、半世紀たった現在、地域における環境も随分と変わってまいりました。卒業生も13,000人程度数えており、地域との繋がりも充実してまいりました。Do You Bestの精神で新たな目標をもって精進してまいります事をお誓い申し上げ御礼とさせていただきますと。
飯塚先生指揮の元、城西中学校校歌を全員で合唱。 大空高くそびえたつ 姿けだかき妙高に・・・・・
ここで一部終了、第二部へと!
↓ 第二部 記念セレモニー
映像で振り返る城西中の歴史 中々記憶にない画像が沢山あり、懐かしい思いが!
吹奏学部の演奏、以前より数段上手になっておりました。飯塚先生の指導が良いのかな?
全校生徒による合唱。曲目「ふるさと」においてはツイツイ自身も口ずさんでしまいました。ここでも先日視察した中野市出身の高野辰之先生の作詞「ふるさと」が・・・最近多いですね、この故郷が!故郷無くして皆さんも語る事は出来ないですからね!イイ曲です!(*^_^*) 飯塚先生、三段重ねの台に上がって指揮を執られておりました。この熱意があれば城西中学校は不滅であります。
こうして、母校の創立50周年記念式典は終了したのでありました。この間、7回に渡って会議(実行委員会)を行ってまいりましたが、無事終了したことに対し実行委員の皆様にご苦労さまとお礼を申し上げます。ありがとうございました!
午前10時記念式典が開演。
ステージには上越市立城西中学校創立50周年記念式典の横断看板が!早いものでもう50年かととの思いも!
校旗入場、例のごとく生徒会長以下幹部3人でブラスバンドの勇壮な曲に合わせ入場!イヤ―カッコいいですね。
初めに、実行委員を代表して麦谷実行委員長による挨拶。印象に残った言葉は、1、母校愛2、地域愛3、環境整備、この精神を無くさず、今後も城西中学校の発展を祈念すると。
鈴木副実行委員長による、経過報告。
記念事業報告の目録を早川校長に手渡しております。南門の整備、地域談話室(資料室)の設置、吹奏学部の楽器の補充等であります。
村山市長、公務の為、祝辞を中野教育長が代読。
生徒を代表して生徒会長の藤巻ゆうと君が挨拶。合併当時は体育祭は陸上競技場、入学式・卒業式も南厚生会館で行ったと。その通りで自身の卒業式は南厚生会館で行いました。また30年前、20年前、10年前の学校の移り変わりを披露、近年では、地域の方と繋がり、ハートとハートでつなぐ事業を展開し今まで以上に地域の皆様とつながりが持てた事はこの上ない喜びである。50周年の節目に携わった事は生涯の思い出に残り、皆様に感謝申し上げ、今後も母校発展の為努力することをお誓い申し上げますと。
早川校長がお礼の言葉を。昭和40年4月1日に金谷・三郷・和田と合併し城西中学校となり、一年後には城南中学校の一部も参加、前年の昭和39年には、東京オリンピック、東海道新幹線が開業の明るい年でもありました。しかし新潟地震が起き、26人の尊い命も振るわれた悲しい年でもありました。6年後には2回目の東京オリンピック開催が決定した年でもあります。また来年は北陸新幹線が開業します、半世紀たった現在、地域における環境も随分と変わってまいりました。卒業生も13,000人程度数えており、地域との繋がりも充実してまいりました。Do You Bestの精神で新たな目標をもって精進してまいります事をお誓い申し上げ御礼とさせていただきますと。
飯塚先生指揮の元、城西中学校校歌を全員で合唱。 大空高くそびえたつ 姿けだかき妙高に・・・・・
ここで一部終了、第二部へと!
↓ 第二部 記念セレモニー
映像で振り返る城西中の歴史 中々記憶にない画像が沢山あり、懐かしい思いが!
吹奏学部の演奏、以前より数段上手になっておりました。飯塚先生の指導が良いのかな?
全校生徒による合唱。曲目「ふるさと」においてはツイツイ自身も口ずさんでしまいました。ここでも先日視察した中野市出身の高野辰之先生の作詞「ふるさと」が・・・最近多いですね、この故郷が!故郷無くして皆さんも語る事は出来ないですからね!イイ曲です!(*^_^*) 飯塚先生、三段重ねの台に上がって指揮を執られておりました。この熱意があれば城西中学校は不滅であります。
こうして、母校の創立50周年記念式典は終了したのでありました。この間、7回に渡って会議(実行委員会)を行ってまいりましたが、無事終了したことに対し実行委員の皆様にご苦労さまとお礼を申し上げます。ありがとうございました!
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