皆様こんばんわ。
いつもお越しくださり、いいネやコメントくださる方々、本当にありがたいです。
初めてお越しくださった方々、気分屋が適当に書いているブログですが、お越しくださいましてありがとうございます。
まず初めに、今回の記事は長めです・・。
トライデントがお嫌いな方は、Uターンされた方が良いかもしれません(笑)。
メルセデス党の私ですが、気になるメーカーがマセラティです。
メルセデスの歴史は勿論調べましたが、長くなるので自重しております(^^;)
今回は、マセラティについてまとめさせて頂きます。
気になっていた車を逃し、整理出来ていない感情をかかえていたのが発端。
「マセラティのどんな部分に惹かれているのか?」
表面では、クーペという車種を狙っているぐらいですので、デチューンされたフェラーリエンジンをお得にゲット、という浅はかな考えが働いております。
深い部分では、それ以外の魅力・・ジェントルさと凶暴さが同居したキャラクターが好きと認識しています。
好きという事に理由は要らないという価値観は知っておりますが、私は「どう思いますか?」に対し「こうこうこうだから、こう解釈する」と全てをかみ砕かないと気が済まない面倒くさい性格、どこまでもゲルマン的思考なのでしょうね(^^;)
答えが出ないため、時代を遡ってみました(笑)
ネットより頂きました知識は、箇条書きにさせて頂いております。
マセラティ兄弟時代
・1914年、マセラティ兄弟がボローニャで開業。
・初期は市販車のレーシングチューンを主業とし、第一次世界大戦中は軍需産業向けに事業を伸ばす。
・終戦後はグランプリマシンを制作。
・「ティーポ26」で、1926年のタルガ・フローリオで、デビュー戦でクラス優勝。
アルファとマセラティ、競い合いの中で高性能なモデルを産み出していったそうです。
まだエンツォフェラーリ氏はアルファに居た時代ですよね・・。
↓面白い話を発見↓
・1983年、ペルティーニ大統領はイタリア・マラネロのフェラーリ工場を、マセラティに乗って訪れた。
・しかし、フェラーリと競合するマセラティに乗った大統領と面会することを、フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリは拒んだ。エンツォ・フェラーリは、マセラティ車からおよそ10m離れたところで静止。高齢のペルティーニ大統領はクアトロポルテから降りて、エンツォ・フェラーリに歩み寄ったという。この「マラネッロの訪問」は、ペルティーニ大統領とマセラティに関するエピソードのひとつだ。
(^^;)(^^;)(^^;)勝利に拘るエンツォ氏、細胞の一つ一つまでそうだったのでしょうね。
・国有化されたアルファ、豊富な資金と人材のメルセデスやアントウニオン(アウディ)を相手に、家族経営のマセラティは検討する。
1930年代中頃になると、イタリア勢はレースで勝てなくなったそうです。
ドイツではヒトラー主導のもと、国をあげて自動車を発展させていた時代。
王者メルセデスをさらに進化させるため、アントウニオンに対して援助してメルセデスのライバルに育て、レースで競い合わせるよう仕向けていたそうです。
圧倒的なドイツ勢が相手ですから、イタリア勢が太刀打ちできなかったのは無理もないと感じます。
当時はレースの成績が自動車の販売に影響した時代、さらに世界恐慌の波にさらされれば、アルファも厳しいのは勿論、家族経営のマセラティにとってはかなり辛い境遇だったのでしょうね(^-^;
オルシ時代
・資金難が続き、1937年にマセラティ兄弟はモデナの実業家、アドルフォ・オルシ (Adolfo Orsi) に経営を譲渡。
マセラティ兄弟はコンサルタントとして10年間会社に在籍するという契約を交わす。
・1940年にはモデナのチーロ・メノッティ通りに本社工場を移転。
・第二次世界大戦後の1947年、契約の10年間を終えたマセラティ兄弟は会社を離れる。
・1950年代はレースで成功するものの、プライベーター向けの車両供給にシフトする。
・レーシングエンジンをデチューンして搭載したロードカーの「3500GT」
・フェラーリなどはスピードは出せるが、高い値段の割にロードカーとしては居住性が劣悪で、信頼性にも著しく欠けていた。そのような状況を打開するため、当時のマセラティのトップ、オメル・オルシとチーフエンジニアのジュリオ・アルフィエーリは、『速く、そして安心して乗れるグランツーリスモ』を、しかも量産車で実現するという構想を立てた。
スピードだけでなく信頼性も考え、居住性にも配慮して乗車定員は4人なんですね・・こんな部分からも、マセラティイズムを感じます。
管楽器のようなV8エンジン、どこか風を感じる音です・・。
デザインも細部まで神が宿っていて、圧巻です・・。
個人的には、車は新しい方が技術が進化していると感じてはおりますが、現代の車はデザインがシンプルになり、音も色気が減り静かになり、重視されるのは燃費やコスト等・・。
必要な贅沢といいますか、かなり昔の車をコレクションされる方の気持ち、少しだけ解ってきた気がします(^^;)
・1963年に発表した初代クアトロポルテ、以後の主力モデルになる。
・アドルフォ・オルシと初代クアトロポルテ(4枚ドア)。
この初代クアトロポルテ、5代目とデザインが似ているんですね。
5代目の怪しい色気がいいと感じていましたが、昔から完成されたデザインなのでしょうね・・。
・初代ギブリ
・当時は世界最速の座と人気をフェラーリ・デイトナやランボルギーニ・ミウラP400と争った、マセラティのヒット作である。
初代ギブリはロー&ワイドのスーパーカー、カッコイイです。
音も、息吹と鼓動を感じる音で、マセラティらしい音です。
シトロエン時代
・オルシ家は経営難で株の60%を売却、マセラティはシトロエンの傘下に入る。
・ミッドシップスーパーカーのポーラ。
ライバルのフェラーリやランボルギーニがV12だった時代、マセラティはV8という部分が面白いです(^^)
限られた資金ゆえ、枯れた技術で勝負していたのかもと思うと、胸が熱くなってきます・・。
デトマソ時代
・シトロエンはオイルショック等の影響で業績悪化、デ・トマソがマセラティの経営再建に乗り出す。
・スーパーカーメーカーのマセラティにとっては初めての量産車である、ビトゥルボを登場させる。
普通の2ドアクーペ・4ドアセダンという外見ですが、内装は豪華、エンジンはメラクの2000ccがベース、とのことです。
世界一壊れる車で有名ですよね、自転車操業で開発~発売したためだそうですが・・まさに悪女。
・「当時のイタリアではテロや誘拐事件が頻繁に起こり、高級車が全く売れなかった。ミラノとかでは金持ちもボロボロのパンダにあえて乗ったりしていたしね。そこで地味な外見だが、パワーがあって豪華な内装を持ったクルマは売れると父は考えたワケだ。ビトゥルボはいわば金持ちのためのカモフラージュカーだな。はははっ。」
これはデトマソ氏の息子様の言葉です、凄い説得力(笑)。
普通車的な外見になった理由、時代を反映していたのですね・・。
とはいえ中身はまさしくマセラティ。
イイ音、元気な音、走りたくなる音♪
紳士的な外見なのに、中身は狂暴みたいです(笑)。
フィアットグループ時代
・1993年、デ・トマソはフィアットにマセラティ株を売却、フェラーリやアルファロメオと同様に、イタリア最大のフィアットグループ傘下に加わる。
・3200GT
・エンジンはマセラティ伝統の90°V8 DOHC 32バルブエンジンを搭載。
後発のクーペ(NAエンジン)と似ていますが、まだ3200GTはマセラティ制のツインターボエンジン・・。
悪名高いドッカンターボこそが、デトマソからこの世代までのマセラティらしさなのかもしれません♪
・1997年にはフェラーリの子会社となる。
生産体制の合理化により、フェラーリカラーが色濃くなった。
・クーペ。
ここからが、デチューンされたフェラーリ430エンジンが搭載された世代。
ターボからNAになったものの、吹け上がりから凶暴性が相変わらずな事が解ります。
動画では、フロントの入りに対してリアのスタビリティーが足りなく見えますが・・。
あくまでもドイツ車ではなくイタリア車、純粋に振り回して楽しむのが流儀なのかもしれません。
・5代目クアトロポルテ。
このデザイン、初代への尊敬を持ちつつ、新しさを加えた素晴らしいデザインだと感じます♪
・2005年にはフェラーリ傘下から離れ、かつてライバルだったアルファロメオと統合。世界市場で戦う量産ラグジュアリーブランドへの変化を目指し、これまでの少量生産から一転した拡大戦略を図っている。
・6代目クアトロポルテ
このCM、芸術性や貴族的な雰囲気を巧みに表現されています。
ダウンサイジングターボとなり大人になった感はあるものの、耳をすませば、マセラティらしいエンジンの鼓動やバラバラした排気音はちゃんと聞こえてくるんですね。
・3代目ギブリ。
・全世界での量販戦略を担うスポーツセダンとしての位置づけとなる。
ギブリは初代がスーパーカー、2代目が2ドアクーペ、なぜに3代目はセダンなのか?統一性が無いのもマセラティ特有かもしれません(^^;)
昨年試乗させていただいた際、イタリア車とは思えない程の剛性があり完成度の高い車でした。
年々「味」が薄まっている感もありますが、品質の向上や量産体制の整備によって、洗練された車になってきたと感じます。
以上、ざっくり歴史をたどってみましたが、マセラティは何度も経営難に陥り、親会社が幾度となく代わり、そのためにイメージが付きにくいブランドだなと感じます。
前置きが長くなってしまいました(^-^;
本題に入りまして、昨日、2代目のギブリを拝見してきたので、記事にしていきます。
2代目のギブリは、ビトゥルボの最終進化版と言われているみたいです。
いいなと思ったのは、ボディが小さめという点。
マセラティは大柄で車重もかさむ車が多いですが、ギブリⅡはコンパクトながら4シーター、街乗り&峠にはこのぐらいのサイズが好きです。
個人的には曲線的なデザインが好きですが、この世代特有の直線的なデザインも、実際に見ると、無骨な伊達男が醸し出す「艶」のような色気を感じました・・。
室中を拝見。
うわぁ・・木と革の香り♪♪
上質なイタリアンレザー、木目と光沢が美しいウッドパネル、ラ・サール製の金時計、人の手で作られたぬくもり感、ピンとこないドライビングポジション。
一番驚いた点が、近代のマセラティの内装が霞んでしまうぐらい、昔のマセラティの内装が「ありえない」ほど上質だったことです。
これは・・売れば売るほど採算が取れなくなるわけです・・。
イタリアの恐ろしさ・・贅沢をさせたら本当に世界一の国民です。
エンジンをかけて頂き、マセラティ純血のV6ツインターボの音を拝見。
これが本来のマセラティの音・・でも聞いたことがある・・。
マセラティ純血エンジンの音は、デチューンされたフェラーリエンジンが搭載されたエンジンの音とも似ていると感じました。
純粋なレーシングエンジンを楽しみたいのなら、シングルプレーンのまっすぐな高音を楽しみたいのなら本物のフェラーリしかなくて・・。
マセラティはマセラティ、あくまでもマルチプレーン、耐久性と低振動性を考慮された高級スポーツカー用エンジン。
「マセラティが好きならば、どの世代でも、ちゃんとマセラティのエンジンになっている」「マセラティは、マセラティらしい音を大切にしているのかもしれない」、そう思えて来ました。
車全体としては、当時のマセラティが持つオーラ、凄かったです。
お店の方は複数台所有されている方で、「どうしても故障は多いです、普段使いというよりも、これはもうコレクションして大事に保管され、たまに楽しむ車だと思います」とのお言葉。
故障もほどほどで、普段使い出来る車じゃないと困ります(笑)。
気兼ねなく乗れて、ガンガンに走れないと困ります(笑)。
エンスーすぎ、軟派な私には近寄れません(苦)。
往年のマセラティはまさに貴族の車・・。
近寄りがたいまでの格式の高さこそ、マセラティらしさ、なのかもしれません。
まとまりが無い文章、最後までお読みくださいまして、心よりありがとうございました<(_ _)>