フニクリ・フニクラ
『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和:著/サンマーク出版:刊)という奇談のコーヒー本の帯には、《過去に戻れる喫茶店で起こった、心温まる4つの奇跡。》という惹句があったが、読み始めた私の背筋にはゾクゾクっと冷たいものが走った。
「フニクリフニクラ」という喫茶店の特定の席に座って過去へ移動した場合、冷めきる前にコーヒーを飲みほせないと幽霊になってしまうのだ。この「フニクリフニクラ」が、もしも「当店のコーヒーは最も味がなじむ温度にしてありますが特に熱いコーヒーをお望みの方は申し付け下さい」などという店であったならば、或いは「クリーンカップやスイートネスを感じてオーバーオールでコーヒーを捉えるには室温に近づくまで冷めてから」などという店であったならば…幽霊になるのは必至、身の毛がよだつ。しかも、この「フニクリフニクラ」では、コーヒー豆はエチオピア産のモカしか使わないという拘泥の他方で、抽出法はサイフォンであったりペーパーフィルターのドリップであったりコーヒーメーカーであったりというお座なり。抽出液の温度は安定していないだろうから、過去へ戻った際に少しでも気を抜けば…幽霊になるのは必至、血の気が引く。恐ろしい設定の『コーヒーが冷めないうちに』は、心が冷めるコーヒーホラー小説である。
『コーヒーが冷めないうちに』は、同名の戯曲を小説化したものであり、この点ではアガサ・クリスティによる戯曲『ブラック・コーヒー』(Black Coffee/1930年初演)がチャールズ・オズボーンによって小説化(1997年)されたことに類する。但し、『コーヒーが冷めないうちに』の場合は、劇団音速かたつむりの主宰(脚本・演出)であった川口俊和が作った舞台劇を、劇団解散(2012年)の後に自らの手で小説化して2015年12月に発売したものだ。これまでにもいくつかの劇団が『コーヒーが冷めないうちに』を演じていて、2013年には1110プロヂュース公演で「第10回杉並演劇祭大賞」を受賞、また、小説化を記念して劇団SparkLingによる公演(2015年12月12・13日)や劇団天狼院による公演(同年12月26日)が催された。天狼院書店の三浦崇典は、小説『コーヒーが冷めないうちに』を5代目天狼院秘本として1000冊を買いきり、さらに秘本劇として『コーヒーが冷めないうちに』を上演した。これほど惚れ込んだ三浦崇典だが、小説版の原稿を初めて読んだ際は、《読み始めて、しばらくして舌打ちをしました。文章が、頭に入ってこないのです。おそらく、小説を初めて書いた著者だったので、冒頭、力みすぎたのではないでしょうか。説明が頭にすんなりとはなじまない》(「天狼院書店」Webサイト 2015年12月12日)と言っている。私も、そう思う。例えば、《通常、映画や小説のタイムトラベルものでは「過去に戻って現実に影響を与えるような干渉をしてはいけない」というルールがある。(以下略)》(第一話「恋人」 p.24)などという下手で余計な説明が、《頭にすんなりとはなじまない》のである。通常、演劇が演劇であることに不可欠な要素は舞台に立つ‘俳優’であろうが、小説は(映画やTV番組などと同様に)そこに登場する‘人’を置くだけで小説として成立するとは限らない。小説版の『コーヒーが冷めないうちに』は、人物の描写に長けてはいるが、設定の説明が活きていない。それは、劇作家のままで小説へと転写した川口俊和の限界を示しているのだろう。私は、冷めたコーヒーでも飲めるが、心が冷めるコーヒー本を飲み込みきれない。
《ふと、路地裏に小さな看板を見つけた。喫茶店の名はフニクリフニクラ。昔、
歌った事がある。古い記憶のはずなのにメロディーはハッキリ覚えていた。
火の山へ登ろうという歌詞だ。》 (第二話「夫婦」 p.124)
火の山であるヴェスヴィオは、西暦79年の大噴火による火砕流と降灰で古代都市ポンペイを消滅させた。1880年にはヴェスヴィオ火山の山麓から山頂の火口までフニコラーレ(鋼索線=ケーブルカー)が開通した。この世界初の火山観光鉄道の愛称を曲名として作られたコマーシャルソング(ルイージ・デンツァ:曲/ジュゼッペ・トゥルコ:詞)が、「フニクリ・フニクラ」である。だが、1944年のヴェスヴィオ火山の噴火によって、フニコラーレ「フニクリ・フニクラ」は破壊されて遺棄された。喫茶店「フニクリフニクラ」で過去(時には未来)と現在とを行き来する話『コーヒーが冷めないうちに』は、火山が冷めないうちに作られた「フニクリ・フニクラ」で麓と頂を行き来したことの投影であろうか? 「フニクリ・フニクラ」は実体を失って曲と名だけが残ったが、それを名乗る喫茶店の話には何が残るのであろうか? コーヒーが冷めないうちに、それを見出すことは難しい。
「フニクリフニクラ」という喫茶店の特定の席に座って過去へ移動した場合、冷めきる前にコーヒーを飲みほせないと幽霊になってしまうのだ。この「フニクリフニクラ」が、もしも「当店のコーヒーは最も味がなじむ温度にしてありますが特に熱いコーヒーをお望みの方は申し付け下さい」などという店であったならば、或いは「クリーンカップやスイートネスを感じてオーバーオールでコーヒーを捉えるには室温に近づくまで冷めてから」などという店であったならば…幽霊になるのは必至、身の毛がよだつ。しかも、この「フニクリフニクラ」では、コーヒー豆はエチオピア産のモカしか使わないという拘泥の他方で、抽出法はサイフォンであったりペーパーフィルターのドリップであったりコーヒーメーカーであったりというお座なり。抽出液の温度は安定していないだろうから、過去へ戻った際に少しでも気を抜けば…幽霊になるのは必至、血の気が引く。恐ろしい設定の『コーヒーが冷めないうちに』は、心が冷めるコーヒーホラー小説である。
『コーヒーが冷めないうちに』は、同名の戯曲を小説化したものであり、この点ではアガサ・クリスティによる戯曲『ブラック・コーヒー』(Black Coffee/1930年初演)がチャールズ・オズボーンによって小説化(1997年)されたことに類する。但し、『コーヒーが冷めないうちに』の場合は、劇団音速かたつむりの主宰(脚本・演出)であった川口俊和が作った舞台劇を、劇団解散(2012年)の後に自らの手で小説化して2015年12月に発売したものだ。これまでにもいくつかの劇団が『コーヒーが冷めないうちに』を演じていて、2013年には1110プロヂュース公演で「第10回杉並演劇祭大賞」を受賞、また、小説化を記念して劇団SparkLingによる公演(2015年12月12・13日)や劇団天狼院による公演(同年12月26日)が催された。天狼院書店の三浦崇典は、小説『コーヒーが冷めないうちに』を5代目天狼院秘本として1000冊を買いきり、さらに秘本劇として『コーヒーが冷めないうちに』を上演した。これほど惚れ込んだ三浦崇典だが、小説版の原稿を初めて読んだ際は、《読み始めて、しばらくして舌打ちをしました。文章が、頭に入ってこないのです。おそらく、小説を初めて書いた著者だったので、冒頭、力みすぎたのではないでしょうか。説明が頭にすんなりとはなじまない》(「天狼院書店」Webサイト 2015年12月12日)と言っている。私も、そう思う。例えば、《通常、映画や小説のタイムトラベルものでは「過去に戻って現実に影響を与えるような干渉をしてはいけない」というルールがある。(以下略)》(第一話「恋人」 p.24)などという下手で余計な説明が、《頭にすんなりとはなじまない》のである。通常、演劇が演劇であることに不可欠な要素は舞台に立つ‘俳優’であろうが、小説は(映画やTV番組などと同様に)そこに登場する‘人’を置くだけで小説として成立するとは限らない。小説版の『コーヒーが冷めないうちに』は、人物の描写に長けてはいるが、設定の説明が活きていない。それは、劇作家のままで小説へと転写した川口俊和の限界を示しているのだろう。私は、冷めたコーヒーでも飲めるが、心が冷めるコーヒー本を飲み込みきれない。
《ふと、路地裏に小さな看板を見つけた。喫茶店の名はフニクリフニクラ。昔、
歌った事がある。古い記憶のはずなのにメロディーはハッキリ覚えていた。
火の山へ登ろうという歌詞だ。》 (第二話「夫婦」 p.124)
火の山であるヴェスヴィオは、西暦79年の大噴火による火砕流と降灰で古代都市ポンペイを消滅させた。1880年にはヴェスヴィオ火山の山麓から山頂の火口までフニコラーレ(鋼索線=ケーブルカー)が開通した。この世界初の火山観光鉄道の愛称を曲名として作られたコマーシャルソング(ルイージ・デンツァ:曲/ジュゼッペ・トゥルコ:詞)が、「フニクリ・フニクラ」である。だが、1944年のヴェスヴィオ火山の噴火によって、フニコラーレ「フニクリ・フニクラ」は破壊されて遺棄された。喫茶店「フニクリフニクラ」で過去(時には未来)と現在とを行き来する話『コーヒーが冷めないうちに』は、火山が冷めないうちに作られた「フニクリ・フニクラ」で麓と頂を行き来したことの投影であろうか? 「フニクリ・フニクラ」は実体を失って曲と名だけが残ったが、それを名乗る喫茶店の話には何が残るのであろうか? コーヒーが冷めないうちに、それを見出すことは難しい。
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