機動戦士Vガンダム
放送当時は、早々に脱落し、その後断片的に見るも、あまり記憶に残っていなかった。
amazonプライムでタダだったので、家で作業してる時のBGVとして使っていた。
見終わったので改めて感想を書く。
プライム会員ならタダのため、興味のある人にはお勧め。合わなければ途中でやめたらいいし。
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見終わったので改めて感想を書く。
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■あらすじ
宇宙世紀0153年。(1stガンダムは0079)
人々は、地球以外にも宇宙コロニーを建設しそこで生活をしていた。
かつて人類を統括していた地球連邦政府は形骸化し、コロニー各地で紛争が頻発している。
コロニー国家ザンスカール帝国は、ギロチンによる恐怖政治と、博愛による救済を基調とし、癒しのサイキックを使う女性マリアを担いだマリア主義の二本立てで急速に勢力を伸ばし、地球に向けて侵攻を開始する。
ザンスカールの侵攻に抵抗する組織、リガ・ミリティアも、地球上各地で散発的な抵抗を行う。
主人公ウッソ・エヴィンは、戦闘に巻き込まれ、リガ・ミリティアのフラグシップ的な機体、Vガンダムに搭乗することになる。
少年兵と老人、女性ばかりといった、リガ・ミリティア、恐怖政治とサイキック、洗脳のザンスカールというろくでもない戦争。そしてウッソの幼馴染みの女の子シャクティは、ザンスカールの王女の実子であった。
■感想 ざっくりと見た場合
子供に見せられないガンダムとしては、鉄血ガンダムと同レベルだと思う。
ひどい死に方、暴力描写、気が狂った人たち。
当時の自分は、このガチャガチャした感じのドラマをウザく思ったし、ビームローター(ビームでプロペラを成型しそれを回して空を飛ぶ。MSの腕についてて、これをかざして使用する)とかバイク戦艦(戦艦の下部がバイクになっている)タイヤロボ(直径20mぐらいの1輪タイヤの中にMSが乗る)とかの子供騙しなメカにうんざりした。
今見ると、なんだかんだできっちりと演出されているし、お話を勧めながら活劇を混ぜ込んでいるので、プロの技だなーと感心する。
しかし、やはりSFガジェットの子供だまし感が、物語全体の子供だまし感に通底してしまい、深刻な話をやればやるほど、コンフリクトを起こして見ていて嫌な感情が湧いた。
例えば1stガンダムにおけるびっくりドッキリメカとしては、ザクレロとかが居るが。まぁ擁護のしようがないデザインだが、数カットで居なくなるし、これはあの時代、ロボットプロレスが求められていたから仕方がないよね、となだめることも出来る。リアルロボット路線がちゃんと金脈であることが分かった後の線の多いメカでこのガジェット群ってどうなの?というのは気になってしまう。
子供だましガジェットで子供の人気を得たいなら、物語もそれに合わせて明朗快活にすればいいじゃないかと思うし、戦争の悲惨さとか子供が戦場に出る危うさをやりたいなら、せめてもうちょっと子供だましガジェットを子供だましでないように演出する気はないのかと、当時の自分は感じていた。(なので序盤で挫折している)
(実際は、ビームローターやタイヤロボなどは、こまかく演出されているし、こんなアホなものでも演出次第で見せ切れる、という算段があったのかもしれない。)
そういうガジェットの微妙さに加え、人間サイドのドラマが端的に鬱展開だ。
シュラク隊(女性パイロットばかりの隊。バタバタ死ぬ)とか、ハダカ部隊(動揺を誘うため裸に近い装備で戦闘する)とか、子供が戦場にいることを最大限利用する、女性であることを最大限利用する、といった、ゲンナリ話を盛り込みまくっている。暴力的な描写や、肉体的な痛みを伴う描写、狂ってしまうような描写を、あまり躊躇なしに使っている。まさかこれほんとうに子供向けのつもりで作ってないよね?
子供に解からなくてもいずれ解ってくれる、というような作劇ではなく、子供に見せちゃダメだろ、という方向に舵が切られている感じだ。
少なくとも子供向けでなく、大人が見て喜ぶ話にもなっていないし、玩具マニアが喜ぶガジェットでもない。どっちを向いているんだこれは、という困惑。
だが、なにかドロドロした鬱憤やドグマのようなものは感じられる。
作家性が強いといえば、強い。
そういった作品だと思う。私小説的な何かか。
Vガンが好きだという人に話を聞くと、わりと熱狂的に好きなので、琴線にふれるものがあるのだろう。
自分も改めてみたら、それなりに面白かった。
思っていたより全然ちゃんとしたお話だし、歳食ってから見たら微妙な個所は全部スルーできる。(が何度も見たいかと問われればもう十分だ)
というのが、俺の感想となる。
■感想 商業的な話とか
Vガンダムは、F91の商業的失敗を経て、練り直されたものだという。
バンダイのサンライズの買収予定があり、ガンダムの価値を上げたいタイミングであっただの、その事情が富野監督に伝えられたのは後年であることなど、いろいろな断片が雑誌やwebに転がっているが、真実は解らない。また人によって異なるだろう。
この辺りは事実なのかもな、と感じたものを元に話を進める。
先ほど触れた、F91はもともとTVシリーズを想定していたが、映画で公開し結果的に求める商業的成功を得ることができなかったので、TVシリーズの予定を練り直すことになって出来なのがVガンダムだ、という話に沿って書く。
映画F91の感想は以前に書いた。
テンポよく話が進むし、絵の質も高いが、SFガジェットが微妙、登場人物がほぼ全員不快、MSのデザインに玩具が欲しくなるようなヒキが弱い、物語が多分に寓話的、という欠点がある。(これを欠点と感じているのは自分だけかもしれない)
良い点としては、家族関係に重点を置いて描かれた物語は、わかりやすくすっきりしている。
そして、Vガンダムは、F91の商業的失敗を元に、SDガンダムの客層の取り込みを意識し、主人公を14歳の少年として、明朗快活な戦争冒険ものとして企画されたという。
だが、見る限り明朗快活な要素などなく、ほぼF91と同様、微妙なメカロボSFガジェットと寓話的な話と不快な登場人物が戦争でグダグダになっていくのであった。(序盤数話は、ザブングル的な、ドタバタ風味があったが)
こちらも家族関係の話があるが、どれもわりと不快なものにチューニングされている。
結果的に、Vガンダムも予定していた成功を得ることはできなかったので、後続として考えられていた、宇宙世紀のガンダム、ポルカガンダムは制作中止となり、全く別世界でのシンプルな子供向け作品としての機動武闘伝Gガンダムが制作されることになったそうだ。(Gガンも冒頭はなんか暗めだけども)
その意味では、Vガンダムは宇宙世紀ガンダムの終止符的な位置にある。
とはいえVガンダムはLD(昔のDVDみたいなの)の販売が1万5千本ほどで、平均的な販売数が4千本程度のTVアニメジャンルにおいて、ファンに強く支持されている数字と見ることもできる。
このあたり、メッセージ性の強い作風だけに、この評価のされ方はなるほどと感じる。
このあたり、F91とVガンダムの共通項は、作家としての富野氏がやりたかったことと求められていることのコンフリクトなのではと感じてしまう。
この2つのガンダムは、メカロボSFガジェットの評価が低く、物語が寓話的に過ぎ、登場人物が不快で、メッセージ性が強い。
F91に出てくるメカとして特徴的なものに、バグ(超電磁ヨーヨーみたいな外見の、自立可動する自動殺戮兵器。浮遊し体当たりで人やメカを壊す)や、ラフレシア(ラスボス。宇宙空間に浮かぶ巨大な花+触手のような外見で、触手をウネウネさせて攻撃してくる)がある。これはもうまったく玩具欲しくない。グッと来ない。
Vガンダムの特徴的なメカとして、バイク戦艦、ビームローター、タイヤロボ、といったものがあるのは先に触れた。玩具欲しいかこれ? 欲しいとしてもマニアックすぎるだろう。ちなみに当時は、タイヤとバイク戦艦は玩具化されていない。
自分のような玩具購買者視点では、この辺のSFガジェットの子供向け加減が、商業的不振の理由ではないかと思う。そしてドラマにもマイナス影響がある。
ソーラレイで焼かれて死ぬのは悲劇だが、バイク戦艦に轢かれて死ぬのは喜劇だ。
まじめなドラマ、深刻なドラマをやればやるほどコンフリクトを起こし、見ていて微妙な感想が出てくるドラマになってしまう。
F91の微妙メカ軍団は、それでもクロスボーンバンガードという敵組織の異常性を示すアイコンだったが、Vガンの微妙メカ軍団は、いろいろと言い訳が付いているものの、象徴としてはギロチンや、エンジェルハイロー(サイキック増強兵器)のほうが強いので、なぜこんなことに、といった感じがする。(コロニー国家感というのはあるにせよだ)
次にドラマの方に触れると。
1stガンダムというのは、SF宇宙戦争で、第2次世界大戦のやり直し的なネタの使いかただった。ヤマトが近い時期であったのも影響としてあるだろう。
そして物語のバックボーンはジオン公国の独立戦争である。あれやこれやあれど、そこに最低限のリアリティが付随して見える。(欲目もある)
対して。
F91は、宇宙貴族主義、Vガンはマリア主義とギロチンが、それぞれ戦争のバックボーンとなっている。
リアリティとしては、ジオン公国独立戦争も五十歩百歩かもしれぬが。それにしても、宇宙貴族とマリア主義+ギロチンは、寓話的に過ぎる。1stガンダムが獲得したリアリティから後退して見えるのだ。
もうだいたいの戦争ネタは使ってしまった、というのはあるだろうが。
SFリアル戦争ごっこを期待する視聴者としては、そんな寓話話をやるならもうちょっと色々まぶしてカモフラージュしてくれというのが本音だった。
次に。
登場人物がすべて不快なのは、戦争状況の演出だったり、都合の良い人間ばかりといった花畑との決別なので、それが悪いわけでは無いのだが、常に裏目に出る話を50話も続けてやると視聴気力が萎えて行くとは感じた。F91は2時間ですむのだが。
なので、F91の商業的失敗を経て練り直したのがVガンダムと聞くと。
「いやいやいや、練り直すところ間違ってないか」
という感想がどうしても出てしまう。SFガジェットや物語の座組みを1stガンダムが獲得したリアリティ程度かそれ以上をめざし、子供にも分かるシンプルさとかっこよさをまぶし、玩具が売れて視聴率が取れそうなもの、このあたりが不通に期待された落としどころではないか。
それをまずい箇所はそのままに、さらに不快な要素を積み増しして、これで子供相手に商売しようというのは、正気とは思えない。
リアルさを好むハイティーンを寓話で退け、単純明快さを好むローティーンを陰鬱さで退け、売りたい玩具はタイヤロボと戦ってるというタテツケになってしまっているのではないか。
子供に玩具を売る。という目的とそのやり方が非常にチグハグな気がする。
■子供向け戦争アニメ
子供向け戦争アニメというのがそもそも無理があるのだと思う。
「少年を主人公にした明朗快活な戦争活劇」
ガンダム的世界観における一番の軋みがここにある。
子供用ロボットプロレスアニメに戦争の要素を取り込み敵も人間としたのはガンダムが初で。それこそがアイデンティティであり、それゆえにこれを外すことはできない。
そもそも戦争に子供が出張ってくる時点でまともな話ではない。戦争をまともに扱う時点でそれは和気藹々とした話にはならない。
そしてガンダムはもともとローティーンのものだったロボットプロレスアニメでハイティーンに訴求した、というのも忘れてはいけない。ローティーン向けのガンダムはSDガンダムだ。
1stガンダムは、主人公の英雄的活躍と、ニュータイプという人類の革新という希望をまぶして、なんかいい話でうまく終わってしまったが、そんなうまいネタが何度も使えるわけでもない。
最初の一撃だったからこそ、粗削りでも美味しい、という部分も多分にある。
Vガンダムの主人公ウッソは、14歳にしてMSに乗ればほぼ無双状態のキラーエリートだ。戦局を変えるだけの戦闘力を有す。
ここまでなら明朗快活でギリ行けるかもしれないが、相手が人間で戦争なので、躊躇はするものの殺人を行う、相手側も主人公が子供だと知って躊躇するなどをずっとやる。そりゃ14歳が撃墜王だったら、どういう視点からでもそこに触れずに流せないだろう。その上女子供ばかりの部隊であるということで、それを使って敵を欺いたりする。欺かれる敵は子供や民間人だと思って攻撃しなかったところを裏切られて殺される事になる。
どうにもこうにも、ひどい話ばかりだ。
1stガンダムが戦争状態だから少年兵も仕方がない、ホワイトベースにはまともな軍人など殆どいない、相手もこっちを倒しに来るんだから引き金を引くのは仕方がないと、うまく短くすませた個所を、Vガンは14歳という見た目も少年な主人公だけに引っ張り続け、少年兵や女性兵が多いことをさらに利用し、主人公たちの行動は非常に卑怯なものになっていく。
少年兵を最前線に立たせ続けるリガミリティアはまともな組織ではない。主人公にかかわる人間もロクなものではない。彼が戦争にかかわることを否定するのは、ほぼ敵に回った人達だけなのだ。
どんな英雄的活躍も少年兵が最前線、両親すらもそれを許容する、という状況下においては、物語の快感要素ではない。快感要素にしたくなかったのだろう。
戦争状態を否定するシャクティ(主人公の幼馴染女子)も、彼女の行動は関係者の死につながっていく。
ウッソがあこがれていた女性カテジナ(カテ公)は、敵に回る。
両親はウッソをキラーエリートとして育て、戦場に投入する。
敵は敵で内輪揉めを繰り返し、自滅していく。
誰一人として、この人の言うことはただしい、彼についていけばよい、という大人は出てこない。
F91も主人公を取り囲む大人は不愉快な大人をそろえてあったが、主人公が比較的安定した距離感をもって戦争と関わっていたのに対し、ウッソは立脚する足場を持たない。
ウッソを老人とヒステリカルな女性が取り囲み、バタバタと関係者が死亡していく中、敵からも見方からも子供が戦争するな、もっとうまくやれ、もっと兵士としてふるまえと、叱責される。しかもそれをこなせてしまう。
1年間の放映期間という長い尺をずっと、ろくでもない状況に振り回されていく。覚悟も無いままに。
これを本気で子供に売る気か。
流石にワザとやってるでしょう;;
■まとめ
「子供向けに明朗快活な戦争物を作れ、主人公は無双する少年だ。女性キャラもいっぱい出せ、お色気も入れろ、タイヤロボやバイク戦艦も出せ、そうすれば、明るい雰囲気で子供にウケるんじゃないのか。」
みたいな、スポンサー指示があったかどうかは定かではないが。バイク戦艦などはあったとされるが。
状況への反発がそうさせたんじゃないか。という穿った見方もしてしまう。
というかだ。
観客に媚びない、スポンサーのいう事も一応聞く、だが自分がやるべきことをやる。
みたいな、全方向の話を聞きつつそれでも自分の作劇に突っ走るのはちょっとハートが強すぎる。凄いよ。1年間もだ。準備期間やF91も居れたらもっとだ、そうとうキツくないか。
こんなの普通なら心折れるし、もう明朗快活な戦争アニメ撮っちゃうよな。
戦争は悲惨だなんてわざわざアニメでやらなくてもいい話だ。一体何と戦っていたんだ。
この辺りが「ちゃんと残る作品を作っている」という事なのだと思う。創作者の覚悟というか。
が、スポンサーから見ると扱いにくくて仕方がないだろう。難儀なことだ。
ガンダムに対して、1stガンダムの縮小再生産や似た路線を望む客というのはそれなりの数だと思う。ガンダムUCや0083のような、同人誌的なガンダムはまさにそういう土俵での評価ではないか。見たいものを見せてくれ、見せてやる。的な。
だが、そんな縮小再生産なんかしたくない、新しいガンダム像を見せてやる、古いガンダムなんか超えてやる。
みたいなことを、毎度毎度ガンダムを撮影する毎にやっているわけだから、恐れ入る。
■おまけ
玩具セールス的には微妙とされるVガンだが、Vガンダム自体はそれなりに売れたという。MG(1/100サイズの結構いい感じのグレード)でリメイクもされている。
個人的にも、曲線主体で線が少なく、きっちり変形するVガンのデザインは良いと思う。変形時の機種の扱い(収納)も素晴らしい。コアファイターから頭部がチラ見えし、Vアンテナでこいつはガンダムですよを主張しつつ、額のバルカン砲もそのまま使えて、武器も無駄にしませんよという見せ方は、よく考えられていると感じる。
振り向いて後方が見えない戦闘機のコクピットは、そりゃないわと突っ込んじゃうタイプのオタクだが、1stガンダムからコアファイターなんて全部そうだしね。
あとは、気になると言えば、細かくごちゃごちゃ変形して、強度的にも大変不安にもかかわらず、変形後のシルエットはたいして変わらず、足が空飛んでる、腕が空飛んでる、といった感じになっていることぐらいか。
主役機でここまで線を減らしたのなら、なぜ敵MSの線をもうちょっと減らしてシンプルで見分けがつきやすい形にしなかったのかは疑問が残る。いろいろあったんだろうけどさ。
手首の差し替え以外はほぼ完全変形。
さらについでに。
V2ガンダムは玩具に振り切りすぎてて、いまいちな印象がある。コアファイターがもうだいぶ戦闘機に見えないのもマイナスポイントではあるが。
■どうでもいいこと箇条書き
・ドラグナー
明朗快活明るい戦争アニメとして、部活感覚で戦争をやってたドラグナーが思い浮かぶ。
あれはさすがにリアリティレベルのコントロールが無茶苦茶だと感じた。
・大量のMS
Vがンは序盤から大量のMSが参戦しており、しかも誰がどれに乗る、が結構変わるので覚えにくい。
これは、1stガンダム以外のほぼすべてのリアルロボットアニメに言えることだが。
逆に1stガンダムは序盤は敵メカがザクだけで非常にわかりやすいが、今の時代にあれはタルいだろう。この辺の難しさは最適解はないのだろう。
しかし、グフと言えばランバラル、ドムと言えば黒い三連星、ギャンと言えばマクベ、のような、わかりやすい組み合わせは、やはり必要なのではないかと感じる。
ほか、わかりやすさでは、富野作品でいえば、ガンダムのモビルアーマーや、ダンバインのガラバ、逆襲のシャアのアルパアジールなど、異形のメカが、それに搭乗するキャラクターと込みで登場するが。
ああいうものは、設定資料も模型にもアクセスしない人が、映像だけ見てなんとなく理解するには必要なのだなと感じた。
VガンにでてくるMSは差異は少なすぎて、視聴時に判別に苦労するし、意識に残らない。
ダンバインの頃は、オーラバトラーによるチャンバラこそがダンバインの醍醐味だと思っていたので、ガラバのような異形の登場は残念だったのだが。一目でわかる個性とパワーのありそうさ、という意味では必要なのだろうなと。
思い出しついでに書くが、1stガンダムの序盤、シャアがホワイトベースとの戦闘で、ザクを複数失い、これを補給するまでザクの数が足りないという描写があり、アレのおかげで、非常に戦闘の規模がわかりやすかった。
以後のリアルロボアニメは比較的補給の話がおざなりだと感じる。(補給は描かれるが、結局あと何台あるの?みたいなのは省かれる)
・戦場の俯瞰
今どこで、敵がどこで、どれぐらいの距離で、どれぐらいの戦力差? みたいなことがわかりにくいのでやたらガチャガチャして感じる。もっと世界を俯瞰した地図とか、戦力図を出せばいいのにと思う。
地名も空想地名ばかりだと覚えにくい。
・ザブングル
ザブングルは3日の掟として3日逃げ切ったら何してもお咎めなしという、荒廃した世界で、しぶとく生きる主人公たちを明るく描いたアニメだが。未来少年コナン的な運動能力(高い所から落ちても死なない)や、その生命力、行動力で、殺伐とした話をカラっと仕上げていた。
Vガンダムも結構な頻度で、パイロットがコクピットから飛び出したりと、ザブングル的な活躍を見せるのだが。
ガンダム世界のリアリティレベルと、ザブングル的なリアリティレベルは、食い合わせが悪く、どうにもチグハグな印象がある。
ZZガンダムなどは、Zで築き上げたリアリティレベルを同じ登場人物やメカのままひっくり返したので、そうとうヒいた。
そういった、ザブングル的なコミカルなキャラの動きと頑丈さに加え、Vガンの初期は、コクピットがスポーンと抜けて脱出カプセルとして逃げていく描写が多く、物語の都合的に過ぎて感じた。
・裸特攻
さすがにないだろう。物語終盤で、盛り上げるべきタイミングで、そんな醜悪なエピソードいれてどうすんだ。しかもオマケ程度のエピソードとして。Vガンファンはこれも含めアリなのか。
やたら多い登場人物を、グロテスクに殺していくVガンダムの作劇は、ちょっと人の死に頼りすぎてるんじゃないかと思う。
。サイキック
個人的にニュータイプの表現として「ちょっとカンがいい」程度がベストで、ララアとアムロの戦闘中の精神感応あたりでギリギリだと感じている。感じ方を表現しましたよ、イメージ映像ですよ、という体裁で、宇宙で海ざっぱーんは、ギリギリの崖っぷちだ。生身でオーラだしまくったZの強化人間はもうナシだと思っていたら、なんか癒しの光を発射する人が出てきてコケた。
えー。そういうリアリティレベルの設定だったんか。みたいな。
・最終話付近
ボーカル曲を流しながら、各所のドラマを断片的に見せていく、めぐりあい宇宙的なあれ。マクロスでもよくやる。
鉄板である。
これを食らうと、自動的になんかいい話を見た気になる。
なにしろ里見八犬伝とかでもすげぇいい話見た気になった。
鉄板過ぎるとはいえ、鉄板は鉄板なのだ。
・最終話
ここまで、ひどい話を連打しておいて、なんとなくそれなりのところにキレイに着地してしまった。
なんという力技、
すごいな。
終わりよければ全てよし、というが。なんか良い気がしてくる。
以上、とりとめないしぐだぐだ長いのでこの辺で。
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