他社様案件だが、どうにも唸ってしまうことがあるので、ボヤボヤにぼかしつつちょっと書く。
難儀な話で、日本のゲーム業界は、一度ガラケーソーシャルとかを経由した所為で、ゲームを簡単に作れると思っている人が居るようだ。
自社で仕様を切って、社外デザイナーにリソースを発注し、開発会社にゲームを作らせる。みたいな案件があるという。
一瞬どうにかなりそうな気もするし、規模によっては成功しない事もないと思うのだが。
実際ソシャゲだとギリギリどうにかなったりもした。
だが。
最近のスマホ規模やら、かつてのコンシュマ規模ならば絶対それは成立しない。
どうにかなったら神様に感謝しろ
という話で。普通はどうにもならない。
20ガバス賭けてもいい。
何故か。
アイデア プログラム
大枠の企画 データ、結合
↓ ↓
企画を思いつく⇒⇒⇒→→→→→→→→→→→→→⇒⇒⇒ゲームが完成する
↑
この間にある、「→」の線、
企画を仕様に落とし込み、
ゲーム性を調整し、
デバッグをするという工程の
果てしなさを理解していない。
企画屋の仕事はこの「→」であって、
「⇒」だけではないのだ。
「→」をブラックボックスだと思ってる奴は
ゲームを作った事があると本人が思っていても
実際に作ったのとは違う。
例えとしては、「城を作ったのは城主だが城主に城は作れない」というアレだ。
じゃあ「城主が大工に指示を出せばつくれるか?」というと、大工の気が利けば作れるが、普通は無理だ。
設計者が必要なのだ。城主が「こういう城がいい」つったところで細部を決め込まねばちゃんとした城は出来ない。
「いやいや設計図かけるよ俺」
って城主が居たとする。
本当に書ける人も居るけどね。書けないけど書けると思ってる人も居る。
「攻撃が当たったら20ダメージ」
ぐらいしか書かなくて、イケると思ってる人ね。
そう仕様書に書いてあったら、無反応にHPから20減算して終わりだ。普通はそうなのだ。
ちょっとまてよ、攻撃当たったらエフェクトだしてダメージモーションかましてHPゲージがスムーズに20減って、0になったら死んでくれよ。とか言うならそこまで紙に書く必要がある。
勿論言わなくてもやってくれる開発会社やプログラマも居るが、それはサービスだ。
そこまでやって当然ではない。
また、実は、ダメージモーションとか要らなくて死ぬ時だけでいい、みたいな事もある。FPSとかね。サービスしてくれた仕事を、そこはオミットしてくれって言うと次からは、サービスしなくなる。無駄仕事だからね。
ほぼ出来たゲームみてごちゃごちゃ追加要望をコスト追加なしで言えばどれぐらい無駄仕事を生んでいるかは理解した方がいい。
そういう無駄仕事を減らすために、とにかく仕様書はちゃんと書かなきゃいけない。
だいたい仕様書ってのは紙の上である程度以上の矛盾をつぶせるし、書き出す事で脳内のゲームをある程度リアルに実感できる。自分が作るものをリアルに創造できなくてどーする。またリアルに伝えられなくてどーする。
プログラムを直すのは滅茶苦茶手間だが、仕様書直すのはすぐできるんだから。
適当に作らせといて「イメージと違う」とか言う奴は多分地獄に落ちていい。クモの糸はたらさぬ。
だが仕様書を書いたらそれでいいかと言えば良い訳が無い。
文字列から全てを理解できるわけが無い。文字列でゲームを表現しきれるわけも無い。だから企画浸透会議とかが必要だし、浮かんだ疑問を即共有、即回答するために、企画者は開発現場に必要だ。
そもそもが、仕様書だけでゲームをどうこうする事は無理なので、さっきの例ならダメージやそれを受けた時の表現とかを外部データに吐き出せるように仕様を切っておいてあとで調整できるようにする、ってとこまで考えるべきだ。
その上でそれが正解とも限らないので(正解はプログラマの数だけある)、
「こういう事がしたいので、こういう手法でやろうとおもったけど、何かオススメの手ある?」
というのをPGに聞けば一番いい手にとっとと辿り着ける。
もう一度書くが、最適解は相手によって違うのだ。プログラマもデザイナも人によって能力が違う。
こういうのは企画と開発が机並べてないと調整出来ない(当たり前)。
ブラウザソーシャルゲーム全盛期、「既存ゲームの類似品で全部の遷移を書けば何とかなる(場合が無きにしも非ず)」っていう世にも稀な状態がちょびっとだけあったのだが、コンシュマや最近のスマホゲーはそうは行かない。
なんでこんな当たり前の事を書いてるのだろうと思う人が多いだろうが、オレもこれが当たり前だと思うんだが、開発をオフショアって、ゲームでもやれると思っちゃう人は居るのだ。
もちろん全く出来ないわけじゃないんだけど、可能なジャンルと、やり方ってのがある。
そういうのは知ってる奴は知ってるし、知らない奴は全く知らない。知らなくていいと思ってる。
でもそれはブラックボックスにして良い場所じゃない。問題は全部ソコで発生してるんだから。
プロジェクトを山に例えると、誰一人自力で山を登ったことがないくせに、関係者が俺だったら登れると思ってるような状況ってのがある。
マグレで登れる場合もあるので、一概に全否定できない。
だが基本的には一人ぐらい山登りできる奴を混ぜるべきだ。シェルパを頼め。
仕様書投げて納品日に希望に希望通りのプログラムがミミをそろえて納品されると思っている人が居るらしい。
それは絶対無い。
どうやってミミをそろえて納品されるように持ってくかというのが手練手管。
だから開発とは連絡を蜜にしてやらないとダメに決まってる。仕様書から完全な完成品を汲み取るのは絶対無理だから。キャッチボールしながら落しどころを探らないといけない。
作ってみたら予想外の障害があった、作ってみたらクソつまらなかった、そういう事態は日々発生する。納品日までボヘーと指を咥えてて良い訳が無い。
開発現場に机置いて常に質疑応答しつつ、ちょっと画面見てヘンな方向に苦労してそうだったらインタラプトして仕様を見直す必要だって出る。
それが出来ないような開発座組みはダメ。当たり前だ。ほんと当たり前だ。
ゲームは普通に作ったらクソゲーになるんだから、せめて良作になるように出来うる手は全部打たなきゃイカン。
もちろん何事にも例外があるし、既存ゲームのクローンや素材変更ぐらいのもの、移植、規模が小さい等なら、遠隔でも開発できる場合がある。どれぐらいまでのゲームなら遠隔開発が可能で、どっからはムリか等も経験から導き出せる。
だから理解して、もしくは理解してる人に聞いて、座組みとそのまわし方を考えないとゲーム製作はハッピーエンドを迎えない。
もう一度書くが。
何でこんな当たり前のことを書いてるかというと、当たり前じゃなかったらしいから。
この辺は常識化して欲しいと思っている。
難儀な話で、日本のゲーム業界は、一度ガラケーソーシャルとかを経由した所為で、ゲームを簡単に作れると思っている人が居るようだ。
自社で仕様を切って、社外デザイナーにリソースを発注し、開発会社にゲームを作らせる。みたいな案件があるという。
一瞬どうにかなりそうな気もするし、規模によっては成功しない事もないと思うのだが。
実際ソシャゲだとギリギリどうにかなったりもした。
だが。
最近のスマホ規模やら、かつてのコンシュマ規模ならば絶対それは成立しない。
どうにかなったら神様に感謝しろ
という話で。普通はどうにもならない。
20ガバス賭けてもいい。
何故か。
アイデア プログラム
大枠の企画 データ、結合
↓ ↓
企画を思いつく⇒⇒⇒→→→→→→→→→→→→→⇒⇒⇒ゲームが完成する
↑
この間にある、「→」の線、
企画を仕様に落とし込み、
ゲーム性を調整し、
デバッグをするという工程の
果てしなさを理解していない。
企画屋の仕事はこの「→」であって、
「⇒」だけではないのだ。
「→」をブラックボックスだと思ってる奴は
ゲームを作った事があると本人が思っていても
実際に作ったのとは違う。
例えとしては、「城を作ったのは城主だが城主に城は作れない」というアレだ。
じゃあ「城主が大工に指示を出せばつくれるか?」というと、大工の気が利けば作れるが、普通は無理だ。
設計者が必要なのだ。城主が「こういう城がいい」つったところで細部を決め込まねばちゃんとした城は出来ない。
「いやいや設計図かけるよ俺」
って城主が居たとする。
本当に書ける人も居るけどね。書けないけど書けると思ってる人も居る。
「攻撃が当たったら20ダメージ」
ぐらいしか書かなくて、イケると思ってる人ね。
そう仕様書に書いてあったら、無反応にHPから20減算して終わりだ。普通はそうなのだ。
ちょっとまてよ、攻撃当たったらエフェクトだしてダメージモーションかましてHPゲージがスムーズに20減って、0になったら死んでくれよ。とか言うならそこまで紙に書く必要がある。
勿論言わなくてもやってくれる開発会社やプログラマも居るが、それはサービスだ。
そこまでやって当然ではない。
また、実は、ダメージモーションとか要らなくて死ぬ時だけでいい、みたいな事もある。FPSとかね。サービスしてくれた仕事を、そこはオミットしてくれって言うと次からは、サービスしなくなる。無駄仕事だからね。
ほぼ出来たゲームみてごちゃごちゃ追加要望をコスト追加なしで言えばどれぐらい無駄仕事を生んでいるかは理解した方がいい。
そういう無駄仕事を減らすために、とにかく仕様書はちゃんと書かなきゃいけない。
だいたい仕様書ってのは紙の上である程度以上の矛盾をつぶせるし、書き出す事で脳内のゲームをある程度リアルに実感できる。自分が作るものをリアルに創造できなくてどーする。またリアルに伝えられなくてどーする。
プログラムを直すのは滅茶苦茶手間だが、仕様書直すのはすぐできるんだから。
適当に作らせといて「イメージと違う」とか言う奴は多分地獄に落ちていい。クモの糸はたらさぬ。
だが仕様書を書いたらそれでいいかと言えば良い訳が無い。
文字列から全てを理解できるわけが無い。文字列でゲームを表現しきれるわけも無い。だから企画浸透会議とかが必要だし、浮かんだ疑問を即共有、即回答するために、企画者は開発現場に必要だ。
そもそもが、仕様書だけでゲームをどうこうする事は無理なので、さっきの例ならダメージやそれを受けた時の表現とかを外部データに吐き出せるように仕様を切っておいてあとで調整できるようにする、ってとこまで考えるべきだ。
その上でそれが正解とも限らないので(正解はプログラマの数だけある)、
「こういう事がしたいので、こういう手法でやろうとおもったけど、何かオススメの手ある?」
というのをPGに聞けば一番いい手にとっとと辿り着ける。
もう一度書くが、最適解は相手によって違うのだ。プログラマもデザイナも人によって能力が違う。
こういうのは企画と開発が机並べてないと調整出来ない(当たり前)。
ブラウザソーシャルゲーム全盛期、「既存ゲームの類似品で全部の遷移を書けば何とかなる(場合が無きにしも非ず)」っていう世にも稀な状態がちょびっとだけあったのだが、コンシュマや最近のスマホゲーはそうは行かない。
なんでこんな当たり前の事を書いてるのだろうと思う人が多いだろうが、オレもこれが当たり前だと思うんだが、開発をオフショアって、ゲームでもやれると思っちゃう人は居るのだ。
もちろん全く出来ないわけじゃないんだけど、可能なジャンルと、やり方ってのがある。
そういうのは知ってる奴は知ってるし、知らない奴は全く知らない。知らなくていいと思ってる。
でもそれはブラックボックスにして良い場所じゃない。問題は全部ソコで発生してるんだから。
プロジェクトを山に例えると、誰一人自力で山を登ったことがないくせに、関係者が俺だったら登れると思ってるような状況ってのがある。
マグレで登れる場合もあるので、一概に全否定できない。
だが基本的には一人ぐらい山登りできる奴を混ぜるべきだ。シェルパを頼め。
仕様書投げて納品日に希望に希望通りのプログラムがミミをそろえて納品されると思っている人が居るらしい。
それは絶対無い。
どうやってミミをそろえて納品されるように持ってくかというのが手練手管。
だから開発とは連絡を蜜にしてやらないとダメに決まってる。仕様書から完全な完成品を汲み取るのは絶対無理だから。キャッチボールしながら落しどころを探らないといけない。
作ってみたら予想外の障害があった、作ってみたらクソつまらなかった、そういう事態は日々発生する。納品日までボヘーと指を咥えてて良い訳が無い。
開発現場に机置いて常に質疑応答しつつ、ちょっと画面見てヘンな方向に苦労してそうだったらインタラプトして仕様を見直す必要だって出る。
それが出来ないような開発座組みはダメ。当たり前だ。ほんと当たり前だ。
ゲームは普通に作ったらクソゲーになるんだから、せめて良作になるように出来うる手は全部打たなきゃイカン。
もちろん何事にも例外があるし、既存ゲームのクローンや素材変更ぐらいのもの、移植、規模が小さい等なら、遠隔でも開発できる場合がある。どれぐらいまでのゲームなら遠隔開発が可能で、どっからはムリか等も経験から導き出せる。
だから理解して、もしくは理解してる人に聞いて、座組みとそのまわし方を考えないとゲーム製作はハッピーエンドを迎えない。
もう一度書くが。
何でこんな当たり前のことを書いてるかというと、当たり前じゃなかったらしいから。
この辺は常識化して欲しいと思っている。
銭華
いまだと、スマホならマンガ読破EXとかで無料で読める。全3巻。
ネオン街モノを得意とする倉科遼による、女相場師のお話。
作画は倉科の原作モノを多く手がける和気一作。
性描写もあるので良い子は読んじゃダメ。
■お話
土佐で貧困から妾の子として扱われてきた少女が、復讐を決意。
金で受けた屈辱は金で返すと、バブル景気に沸く日本を舞台に、性描写しながら株式の説明をしつつ、相場を張って金をつかんでいく。
■感想
殆どの状況をモノローグで足早に進めていく。
大きなエピソードは3つぐらい。全3巻とちょうど読みやすい量で、キッチリと話にケリが突いている。
いや、綱元の投資家集団の話って、フォロー無しかよとか思うけど。普通最後の大勝負に関わるんじゃね?
とまぁ投げっぱなしっぽい部分もあるが、女性が高卒から政治家の金庫番になって辞めるまでが、ささささっと書かれていて、すいすい読めるのは、さすがの倉科寮だなと思う。
自分は見ていないのだが、ドラマ化されていたそうだ。ドラマ版は時代背景が違いデイトレードとかそういう話も織り込まれていた模様。
■その他
もうマンガの感想でもなんでもないのだけど。
この読破を含めそのほかにも最近はマンガをタダで読めるサービスが大量にある。
実際マンガの商業流通は旬を過ぎると入手難度が格段に跳ね上がる。漫画家のほうも売れないから新しい利益が出ない。
そこに、スマートフォンだのなんだのと状況がそろって、広告収入やレベニューシェア(多分)で、かつて一斉風靡したマンガやそれほどではなくても充分に面白いマンガが、タダで読めるようになる環境がそろってしまった。
どんどん新人漫画家が食いにくい世の中になってくなと思う。
消費者としても、いろいろなものがタダで読めるのはありがたい話なのだけど、市場のシュリンクに関してはとても恐ろしいところ。
いまだと、スマホならマンガ読破EXとかで無料で読める。全3巻。
ネオン街モノを得意とする倉科遼による、女相場師のお話。
作画は倉科の原作モノを多く手がける和気一作。
性描写もあるので良い子は読んじゃダメ。
■お話
土佐で貧困から妾の子として扱われてきた少女が、復讐を決意。
金で受けた屈辱は金で返すと、バブル景気に沸く日本を舞台に、性描写しながら株式の説明をしつつ、相場を張って金をつかんでいく。
■感想
殆どの状況をモノローグで足早に進めていく。
大きなエピソードは3つぐらい。全3巻とちょうど読みやすい量で、キッチリと話にケリが突いている。
いや、綱元の投資家集団の話って、フォロー無しかよとか思うけど。普通最後の大勝負に関わるんじゃね?
とまぁ投げっぱなしっぽい部分もあるが、女性が高卒から政治家の金庫番になって辞めるまでが、ささささっと書かれていて、すいすい読めるのは、さすがの倉科寮だなと思う。
自分は見ていないのだが、ドラマ化されていたそうだ。ドラマ版は時代背景が違いデイトレードとかそういう話も織り込まれていた模様。
■その他
もうマンガの感想でもなんでもないのだけど。
この読破を含めそのほかにも最近はマンガをタダで読めるサービスが大量にある。
実際マンガの商業流通は旬を過ぎると入手難度が格段に跳ね上がる。漫画家のほうも売れないから新しい利益が出ない。
そこに、スマートフォンだのなんだのと状況がそろって、広告収入やレベニューシェア(多分)で、かつて一斉風靡したマンガやそれほどではなくても充分に面白いマンガが、タダで読めるようになる環境がそろってしまった。
どんどん新人漫画家が食いにくい世の中になってくなと思う。
消費者としても、いろいろなものがタダで読めるのはありがたい話なのだけど、市場のシュリンクに関してはとても恐ろしいところ。
通勤中にフリスクの新味の試供品を配っていた。
わりとフリスクはよく食うので、新味が出るとほっとけば1コは絶対買うのだが。
試供品食べたらこれが美味しくなくて。
試供品の所為で買わなくなりそうな感じである。
とはいえ、普通のフリスクは買うから、まぁゆるせ。
■Gのレコンギスタ5話までの感想
どうにもGレコがいまんとこピンとこないのだが、面白くなるかもしれないので期待している。
Gレコはわりと描こうとしてる事がエゲつない感じ(戦争状況とそこへのコミットのしかたとか)なんだけど、それをコミカルテイスト折り混ぜつつ、悲惨な描写を回避して描いてるので、これでは物語の進行に合わせて「悲惨な描写をする」しか綺麗にオチない。しかし、しちゃうと色々微妙だし、しないと作品として成立しにくい。
えらい方向に向けて、弾丸ぶっ放したなーという感じ。
この軌道のまま行くとエグいし、軌道修正するとヒヨった感じになってしまう。
どうするんだろうね。
映画版のZガンダムにおける「戦場でいらんことしてる奴は皆死ね」ルールは徹底されていて、シロッコとか、ヘンケンとか、カツとか、もりもり死んで行く中、ただ生きようとしたカミーユは精神崩壊も免れたわけで。そういうとこキッチリしてる安心感が富野作品にはわりとあって。
Gレコは登場人物がわりと個人の理由で戦場で人殺してるので、これを子供に見せたいと富野監督が言ってたってことは「個人の理由で考えなしに動く奴はヒドイ目に遭う」に着地させそうな気がする。
しかし監督の若者へのメッセージであるなら、ソレをも乗り越える、ってとこまでやるかもとか。
その辺期待しつつ、ちゃんと消化されるのか、まったく違うとこへ転がってくのか。
しかしなんか、イマイチこの瞬間は盛り上がりに欠けるというか。
うーむ。
■フアウスト
タダなのでありがたく読んだが、要約版というかザックリし過ぎてて、仕事のネタ本として読んだはいいが、名作のあらすじだけ拾っちゃった感じ。しまったちゃんと読めばよかった。
つぎこれよも>神曲 01 地獄
わりとフリスクはよく食うので、新味が出るとほっとけば1コは絶対買うのだが。
試供品食べたらこれが美味しくなくて。
試供品の所為で買わなくなりそうな感じである。
とはいえ、普通のフリスクは買うから、まぁゆるせ。
■Gのレコンギスタ5話までの感想
どうにもGレコがいまんとこピンとこないのだが、面白くなるかもしれないので期待している。
Gレコはわりと描こうとしてる事がエゲつない感じ(戦争状況とそこへのコミットのしかたとか)なんだけど、それをコミカルテイスト折り混ぜつつ、悲惨な描写を回避して描いてるので、これでは物語の進行に合わせて「悲惨な描写をする」しか綺麗にオチない。しかし、しちゃうと色々微妙だし、しないと作品として成立しにくい。
えらい方向に向けて、弾丸ぶっ放したなーという感じ。
この軌道のまま行くとエグいし、軌道修正するとヒヨった感じになってしまう。
どうするんだろうね。
映画版のZガンダムにおける「戦場でいらんことしてる奴は皆死ね」ルールは徹底されていて、シロッコとか、ヘンケンとか、カツとか、もりもり死んで行く中、ただ生きようとしたカミーユは精神崩壊も免れたわけで。そういうとこキッチリしてる安心感が富野作品にはわりとあって。
Gレコは登場人物がわりと個人の理由で戦場で人殺してるので、これを子供に見せたいと富野監督が言ってたってことは「個人の理由で考えなしに動く奴はヒドイ目に遭う」に着地させそうな気がする。
しかし監督の若者へのメッセージであるなら、ソレをも乗り越える、ってとこまでやるかもとか。
その辺期待しつつ、ちゃんと消化されるのか、まったく違うとこへ転がってくのか。
しかしなんか、イマイチこの瞬間は盛り上がりに欠けるというか。
うーむ。
■フアウスト
タダなのでありがたく読んだが、要約版というかザックリし過ぎてて、仕事のネタ本として読んだはいいが、名作のあらすじだけ拾っちゃった感じ。しまったちゃんと読めばよかった。
つぎこれよも>神曲 01 地獄
住んでるところの自治会みたいなのにクジで当たってしまい、対人に難があるオレではなくヨメが週1ぐらいで会議だの準備だのに忙殺されている。(その間オレは子供の面倒を見ている)
自治会行事的なものがどれぐらいの歴史があるのか、そのくじ引きがいったいどういう仕組みなのか、なんでこんな無駄な(無駄でないのもある)活動をしているのか、イマイチ俺にはわからんが、明らかにこれ、各世帯に時間的余裕がある前提なのだな。行事に顔出してるの年寄り多いし。子供行事ももちろんあって、これは子供たちにとって意味がある(集団行動的なもの)とは思うので、マイナスばかりではないので、文句ばかりあるわけではないのだが。
核家族の子育て世帯がこなせるタスク量ではないのだな。ウチは専業主婦だからギリギリ回ってるが、普通回らんよこんなの。もしオレが独り身の時だったらこれぜったいゴネてる。
そうでなくても、こういう時、ブーブー言うタイプなのだが、ヨメは言わないタイプなので、どうせ1年間ガマンすりゃそれで回ってこないからいいやスタンスでいる感じだ。
日本的な、これまでこうだったから急に変えるわけにもイカン、的な、面倒くささを纏っていて、あっしにはかかわりのねぇことでござんすと、木枯らし文次郎的な態度を決めていると、そのままズルズルな感じだ。
俺自身、社会にほとんどコミットしていないので、社会側から見ると、かなりフリーライダーなわけだろうが(税金はキッチリ払ってるしjisedaiの税源もちゃんと育ててるよ)、社会の側もなんつーか、若者にフリーライドし過ぎだろみたいなキモチにならないでもない。ちなみにオレは若者ではない。
これは「多数決とういうのは少数派にミソを押し付ける仕組みになりやすい」という類でもあるんで、もんもんとするが、そもそも残念ながら、世の中はそういうものなので、革命の志士でもやる気で無いなら、目と耳ふさいでネットにダイブしていたほうがよさげだ。
とか言っているウチに、なんか面倒なヤマは超えたらしい。
おれの貴重な休日がまいどぶっ潰され続けてきたが、もうちょっとで終わるらしい。
ちなみにウチ以外の世帯だと、世帯主(だんな)がやってる場合も多いという。この負荷をヨメに分投げてる時点で俺もたいがいなものなので、いろいろヨメには埋め合わせをしようと思っている。
こどもがもう少し大きくなれば、それなりに手が離れるとは思うんだが。それにしてもご存知のとおり今の時代の子育ては難しい。
一般的にも学費は上がり続け、収入は横ばいを続け、 社会的な蓄積は老巧化し、国力は削がれ続けている。
これらも含め、もんもんとするわけだが、個人がどうこうできる範疇ではないので、自分とその周辺にとっての最適解を探す日々となる。
つかれるつかれる。
難儀なこっちゃ。
自治会行事的なものがどれぐらいの歴史があるのか、そのくじ引きがいったいどういう仕組みなのか、なんでこんな無駄な(無駄でないのもある)活動をしているのか、イマイチ俺にはわからんが、明らかにこれ、各世帯に時間的余裕がある前提なのだな。行事に顔出してるの年寄り多いし。子供行事ももちろんあって、これは子供たちにとって意味がある(集団行動的なもの)とは思うので、マイナスばかりではないので、文句ばかりあるわけではないのだが。
核家族の子育て世帯がこなせるタスク量ではないのだな。ウチは専業主婦だからギリギリ回ってるが、普通回らんよこんなの。もしオレが独り身の時だったらこれぜったいゴネてる。
そうでなくても、こういう時、ブーブー言うタイプなのだが、ヨメは言わないタイプなので、どうせ1年間ガマンすりゃそれで回ってこないからいいやスタンスでいる感じだ。
日本的な、これまでこうだったから急に変えるわけにもイカン、的な、面倒くささを纏っていて、あっしにはかかわりのねぇことでござんすと、木枯らし文次郎的な態度を決めていると、そのままズルズルな感じだ。
俺自身、社会にほとんどコミットしていないので、社会側から見ると、かなりフリーライダーなわけだろうが(税金はキッチリ払ってるしjisedaiの税源もちゃんと育ててるよ)、社会の側もなんつーか、若者にフリーライドし過ぎだろみたいなキモチにならないでもない。ちなみにオレは若者ではない。
これは「多数決とういうのは少数派にミソを押し付ける仕組みになりやすい」という類でもあるんで、もんもんとするが、そもそも残念ながら、世の中はそういうものなので、革命の志士でもやる気で無いなら、目と耳ふさいでネットにダイブしていたほうがよさげだ。
とか言っているウチに、なんか面倒なヤマは超えたらしい。
おれの貴重な休日がまいどぶっ潰され続けてきたが、もうちょっとで終わるらしい。
ちなみにウチ以外の世帯だと、世帯主(だんな)がやってる場合も多いという。この負荷をヨメに分投げてる時点で俺もたいがいなものなので、いろいろヨメには埋め合わせをしようと思っている。
こどもがもう少し大きくなれば、それなりに手が離れるとは思うんだが。それにしてもご存知のとおり今の時代の子育ては難しい。
一般的にも学費は上がり続け、収入は横ばいを続け、 社会的な蓄積は老巧化し、国力は削がれ続けている。
これらも含め、もんもんとするわけだが、個人がどうこうできる範疇ではないので、自分とその周辺にとっての最適解を探す日々となる。
つかれるつかれる。
難儀なこっちゃ。
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