amazonプライムの呪いにより、久しぶりに見た。プライム会員の人は今はタダなので気が向いたら見るべし。
本作のキービジュアル、魔人、加藤保憲(嶋田久作)は最近では、外務省で活躍している(シンゴジラ)。うわー歳食ったなー!! という感想が出てくるが、見てるこっちもそれだけ歳をとったという事だ。
あれほど東京を破壊しようとした魔人が、ゴジラでは核兵器の使用提案に悔し涙を流すのだから時代も変わった。
さて余談はこの辺にして、以後、ネタバレばりばりで書くので、ネタバレを嫌う人は回れ右で。
小説発表後、映画公開後、相当立つので、もういいだろうと思うが。
■あらすじ
明治末期~。
平将門の怨念を利用し帝都破壊をもくろむ魔人「加藤保憲」を軸に、彼と戦う人々、歴史上の人物が入り乱れる。
■感想:あの時代のあの映画。混沌とした作風。
荒俣宏の小説デビュー作かつ大ヒット代表作。
映画版は豪華キャストを使い、ウルトラマンの監督で有名な実相寺昭雄。
当時の盛り上げもすごかったと記憶する。
自分も、小説も漫画も読んでるし、アニメも映画も見ている。
とくにこの映画版はレンタルビデオで何度も見た。
しかし、今見ると色々微妙な箇所がある。とても良い箇所もあり、合わせ技でモザイクのような映画になっていて、各種断片があり良し悪しがあり、それがちょっと引いてみるとおぼろげに映画の形を作っている。というような映画に見える。
全体的に冗長で、原作を駆け足でなぞっており、エンターテイメントに昇華しきれていないと感じる箇所も多く、非常にヤキモキする。駆け足なのにテンポが悪い。もともとの小説も雑学博覧会的でありどう映画に加工するかも悩ましいところだったと思われる。
だが時々キレのいい特撮映像や、グッとくるマの演出がある。また特撮でも非常に安っぽい箇所もある。地下坑道や、平幹二朗の腕に巻き付く式神などは、とても残念な感じだ。セットも超豪華なのから、あらら?というショボさまで。
何度も書くが、そういう混ざりきらないエッセンスのモザイク。
それも含めて、ああ、あの時代のあの映画だ。という感想。
■感想2:この話のタテツケはシンゴジラを思い出す。
俺の改ざんされた記憶では、映画の冒頭は「加藤が来たぞー!!」とバタバタと戸締りをするシーンであった。
久しぶりに見ると、そこまでは8分ぐらいかかった。ずいぶん長かった;各キャラが登場しこの人が誰ですよ、こういうキャラですよ、という説明が長々と続く。 これはテンポが悪い。
あれ;
漫画版とか、アニメ版とか、TV放送版とかで、そういう改変がされてたっけ?
今手元にないので確認できないが、漫画版がそうだっけ。とにかく俺の脳内ではもうちょっといいテンポだった。
漫画版:帝都物語
完全に余談になるが、藤原カムイによる漫画版帝都物語は、あの糞長く、あっちフラフラこっちフラフラする原作小説を、綺麗に加藤保憲とヒロインを軸に整理しなおし、きっちり漫画として面白くまとめてあった。
藤原カムイの技術は凄いなと。
それた話を戻す。
多くの登場人物が、それぞれの立場で明治末期を生き、死に、大震災や加藤を軸にバタバタする。
これは、あれだ。
このタテツケは、シン・ゴジラも類似だ。大掛かりな物語を大人数のリッチなキャストで回すとこうなる。
破壊神としてのゴジラが加藤であり、加藤対策を陰陽師や官僚がバタバタするのだ。そしてそれは国家の破壊にもつながるのだ。関東大震災が話の軸に絡んでいるのは、過ぎた震災の話ではあるが、今後も無いわけではないのだ。
そう感じてしまったらもう、帝都会議などはシンゴジラでの会議的な演出をしてほしくて仕方なくなってしまった。グルグル目。
■感想3:特撮のありがたみ。
特撮映像はとても頑張っている。
暗闇でごまかさず結構な光量がある場所で、式神などの人形やストップモーションが闊歩する。ただただグロイだけの造形の腹中虫をじっくり撮影するカットなどわりと重点がヘンだ。そういう頑張りが全編を通しているので、明らかに安っぽい操演の鬼たちもここはもう生暖かく見れる。
日本の人形アニメーターとして俺ですら名前を知っている真賀里文子氏(コンタック、イソジン、ドコモダケなどを手掛ける)の手による式神は素晴らしく、文様が描かれた和紙がくしゃりくしゃりとカラスに変化する様は、やはり非常にテンションが上がる。これを見るために映画館に来た!という映像だ。CGでやられてもこのテンションにはならない。
ほかにも飛びかうカラスの影など、駆使された特撮は数知れず、CGが無い時代だからこそのウホウホ感、高揚感は、ほんとに素晴らしい。
先ほども触れた、ただただ気合の入った造形を見せる腹中虫とか。(女優がゲロゲロやるのをまったくそのまま撮影する)
終盤のクリーチャー「剣の護法童子」をHRギーガーにデザインさせるとか、それが丸ノコギリついたガイガンタイプのギミックだとか。
力尽きたかのようなしょっぺぇ式神のぬいぐるみとか。
対する、国産ロボット「學天則」はその開発者西村真琴をその子である西村晃が演じるとか。
ミニチュアセットのなかで、人影がするする動くとか。(えっそこでそんな凝ったことするんだ、と。)
画面に出てくる「絵」としての収まりがすこぶるいいカット、なんか凝り過ぎて意図が歪んでわけがわからなくなっちゃったカット、そういう各種カットが特殊な味わいを醸し出していると思う。(残念なカットは生暖かく見る)
実相寺昭雄といえば、へんなオブジェクト越しのカメラワークで有名だが、そういうものが絡み合ってとてもイカしたカオス具合になっている。
なにしろ、セットがやたらすごい。ぼへーとみてる時が付かないが、あれよく考えたらこれセット組んだのか。マジか。というようなリッチなセットが多くある。力尽きたかのようにスタジオで安く作ったなこれ、というのもあり。ヘンなカメラワークと混ざって、ほんと妙な味わいだ。
■感想4:人間ドラマとシンゴジラ
人間ドラマは大変弱く感じる。
俺の人間ドラマ感受性がとても低いせいもあるので割り引いて読んでほしいが。
流石の有名俳優そろい踏みなので、彼らがボソリとつぶやいて表情を作ると「おおっ」と思うような空気が出来上がっている。
震災後のすべてが無に帰してしまったような空気は、勝新太郎によって念押しされる。役者ってすごいわー。役者のスキルの使いどころってこういうところなのかと感心する。
が、わりと重要でないところも同じノリなのだ。
登場人物が多く、誰もがわりと長尺の芝居をし、しかし物語への関与度合いはみな浅いので、その芝居が空回りしてしまう。
みんなすごい雰囲気を作って、いいセリフを言うのだが、別に物語とは関係ないのだ。なんじゃそりゃ。
実力派俳優のスキルの無駄遣いだ。
これはシナリオか撮影時にもうちょっと調整が必要だったのではないか。
シナリオ時点であんまり見せ場がないと思うし、実相寺昭雄ってヘンなアングルで撮影するけど、それほど濃い意図をかぶせた撮影をする感じでも無いので、マが持たないのだ。(これは俺の感受性が足りない可能性も大きい)
今の目で見ると、シンゴジラ的な手法で、カットを刻みまくれば、帝都会議(東京構想)のシーンなどはワクワクできたのではないかとつい妄想してしまう。(ぐるぐる目)
大人数の豪華キャストを使った映像化での、人間ドラマの捌き方として、シンゴジラはかなり極北をやってしまい、反則技とはいえアレはありだ、というのを刻み込んだので、それを知っているとついいろいろと比較をしてしまう。
『人間ドラマが弱ければ、物量とテンポで流してしまえばいいじゃない。』
これは、帝都物語のような話には向いていると思う。1988年の映画になんて言いがかりだ。
映画の撮り方としてはシンゴジラが反則で。雰囲気、空気、背景美術、せりふ回し、マ、といったもので尺を使って説明すべきところを、読み切れない字幕でさっさと済ませてしまうというのは、映画のあり方を変えてしまう。
撮影された時代の違いもあるし、映画に何を求めるか、一度見てわかるものであるべきか、ソフトのセールスを考えるべきか。誰が見るものか、みたいな部分の違いもあるだろう。ビッグムービーとオタムービーを同じようには撮れまい。
ただ、今後この手の映画を見たとき、思考実験として、ああいう風に撮影したらどうなっただろう、というのはチラつくようになってしまった。
■まとめ
今の目で見るといろいろ厳しいが、ところどころテンションの上がるカットがある。
そういうのが好きな人、当時を懐かしみたい人、嶋田久作の若かりし日の大活躍を見たい人にはお勧めできる。一般的にはあまり勧められない。
レンタルなら数百円だし、amazonプライム入ってたらタダなので。気楽に見るのがいいと思う。
明治末期~。
平将門の怨念を利用し帝都破壊をもくろむ魔人「加藤保憲」を軸に、彼と戦う人々、歴史上の人物が入り乱れる。
■感想:あの時代のあの映画。混沌とした作風。
荒俣宏の小説デビュー作かつ大ヒット代表作。
映画版は豪華キャストを使い、ウルトラマンの監督で有名な実相寺昭雄。
当時の盛り上げもすごかったと記憶する。
自分も、小説も漫画も読んでるし、アニメも映画も見ている。
とくにこの映画版はレンタルビデオで何度も見た。
しかし、今見ると色々微妙な箇所がある。とても良い箇所もあり、合わせ技でモザイクのような映画になっていて、各種断片があり良し悪しがあり、それがちょっと引いてみるとおぼろげに映画の形を作っている。というような映画に見える。
全体的に冗長で、原作を駆け足でなぞっており、エンターテイメントに昇華しきれていないと感じる箇所も多く、非常にヤキモキする。駆け足なのにテンポが悪い。もともとの小説も雑学博覧会的でありどう映画に加工するかも悩ましいところだったと思われる。
だが時々キレのいい特撮映像や、グッとくるマの演出がある。また特撮でも非常に安っぽい箇所もある。地下坑道や、平幹二朗の腕に巻き付く式神などは、とても残念な感じだ。セットも超豪華なのから、あらら?というショボさまで。
何度も書くが、そういう混ざりきらないエッセンスのモザイク。
それも含めて、ああ、あの時代のあの映画だ。という感想。
■感想2:この話のタテツケはシンゴジラを思い出す。
俺の改ざんされた記憶では、映画の冒頭は「加藤が来たぞー!!」とバタバタと戸締りをするシーンであった。
久しぶりに見ると、そこまでは8分ぐらいかかった。ずいぶん長かった;各キャラが登場しこの人が誰ですよ、こういうキャラですよ、という説明が長々と続く。 これはテンポが悪い。
あれ;
漫画版とか、アニメ版とか、TV放送版とかで、そういう改変がされてたっけ?
今手元にないので確認できないが、漫画版がそうだっけ。とにかく俺の脳内ではもうちょっといいテンポだった。
漫画版:帝都物語
完全に余談になるが、藤原カムイによる漫画版帝都物語は、あの糞長く、あっちフラフラこっちフラフラする原作小説を、綺麗に加藤保憲とヒロインを軸に整理しなおし、きっちり漫画として面白くまとめてあった。
藤原カムイの技術は凄いなと。
それた話を戻す。
多くの登場人物が、それぞれの立場で明治末期を生き、死に、大震災や加藤を軸にバタバタする。
これは、あれだ。
このタテツケは、シン・ゴジラも類似だ。大掛かりな物語を大人数のリッチなキャストで回すとこうなる。
破壊神としてのゴジラが加藤であり、加藤対策を陰陽師や官僚がバタバタするのだ。そしてそれは国家の破壊にもつながるのだ。関東大震災が話の軸に絡んでいるのは、過ぎた震災の話ではあるが、今後も無いわけではないのだ。
そう感じてしまったらもう、帝都会議などはシンゴジラでの会議的な演出をしてほしくて仕方なくなってしまった。グルグル目。
■感想3:特撮のありがたみ。
特撮映像はとても頑張っている。
暗闇でごまかさず結構な光量がある場所で、式神などの人形やストップモーションが闊歩する。ただただグロイだけの造形の腹中虫をじっくり撮影するカットなどわりと重点がヘンだ。そういう頑張りが全編を通しているので、明らかに安っぽい操演の鬼たちもここはもう生暖かく見れる。
日本の人形アニメーターとして俺ですら名前を知っている真賀里文子氏(コンタック、イソジン、ドコモダケなどを手掛ける)の手による式神は素晴らしく、文様が描かれた和紙がくしゃりくしゃりとカラスに変化する様は、やはり非常にテンションが上がる。これを見るために映画館に来た!という映像だ。CGでやられてもこのテンションにはならない。
ほかにも飛びかうカラスの影など、駆使された特撮は数知れず、CGが無い時代だからこそのウホウホ感、高揚感は、ほんとに素晴らしい。
先ほども触れた、ただただ気合の入った造形を見せる腹中虫とか。(女優がゲロゲロやるのをまったくそのまま撮影する)
終盤のクリーチャー「剣の護法童子」をHRギーガーにデザインさせるとか、それが丸ノコギリついたガイガンタイプのギミックだとか。
力尽きたかのようなしょっぺぇ式神のぬいぐるみとか。
対する、国産ロボット「學天則」はその開発者西村真琴をその子である西村晃が演じるとか。
ミニチュアセットのなかで、人影がするする動くとか。(えっそこでそんな凝ったことするんだ、と。)
画面に出てくる「絵」としての収まりがすこぶるいいカット、なんか凝り過ぎて意図が歪んでわけがわからなくなっちゃったカット、そういう各種カットが特殊な味わいを醸し出していると思う。(残念なカットは生暖かく見る)
実相寺昭雄といえば、へんなオブジェクト越しのカメラワークで有名だが、そういうものが絡み合ってとてもイカしたカオス具合になっている。
なにしろ、セットがやたらすごい。ぼへーとみてる時が付かないが、あれよく考えたらこれセット組んだのか。マジか。というようなリッチなセットが多くある。力尽きたかのようにスタジオで安く作ったなこれ、というのもあり。ヘンなカメラワークと混ざって、ほんと妙な味わいだ。
■感想4:人間ドラマとシンゴジラ
人間ドラマは大変弱く感じる。
俺の人間ドラマ感受性がとても低いせいもあるので割り引いて読んでほしいが。
流石の有名俳優そろい踏みなので、彼らがボソリとつぶやいて表情を作ると「おおっ」と思うような空気が出来上がっている。
震災後のすべてが無に帰してしまったような空気は、勝新太郎によって念押しされる。役者ってすごいわー。役者のスキルの使いどころってこういうところなのかと感心する。
が、わりと重要でないところも同じノリなのだ。
登場人物が多く、誰もがわりと長尺の芝居をし、しかし物語への関与度合いはみな浅いので、その芝居が空回りしてしまう。
みんなすごい雰囲気を作って、いいセリフを言うのだが、別に物語とは関係ないのだ。なんじゃそりゃ。
実力派俳優のスキルの無駄遣いだ。
これはシナリオか撮影時にもうちょっと調整が必要だったのではないか。
シナリオ時点であんまり見せ場がないと思うし、実相寺昭雄ってヘンなアングルで撮影するけど、それほど濃い意図をかぶせた撮影をする感じでも無いので、マが持たないのだ。(これは俺の感受性が足りない可能性も大きい)
今の目で見ると、シンゴジラ的な手法で、カットを刻みまくれば、帝都会議(東京構想)のシーンなどはワクワクできたのではないかとつい妄想してしまう。(ぐるぐる目)
大人数の豪華キャストを使った映像化での、人間ドラマの捌き方として、シンゴジラはかなり極北をやってしまい、反則技とはいえアレはありだ、というのを刻み込んだので、それを知っているとついいろいろと比較をしてしまう。
『人間ドラマが弱ければ、物量とテンポで流してしまえばいいじゃない。』
これは、帝都物語のような話には向いていると思う。1988年の映画になんて言いがかりだ。
映画の撮り方としてはシンゴジラが反則で。雰囲気、空気、背景美術、せりふ回し、マ、といったもので尺を使って説明すべきところを、読み切れない字幕でさっさと済ませてしまうというのは、映画のあり方を変えてしまう。
撮影された時代の違いもあるし、映画に何を求めるか、一度見てわかるものであるべきか、ソフトのセールスを考えるべきか。誰が見るものか、みたいな部分の違いもあるだろう。ビッグムービーとオタムービーを同じようには撮れまい。
ただ、今後この手の映画を見たとき、思考実験として、ああいう風に撮影したらどうなっただろう、というのはチラつくようになってしまった。
■まとめ
今の目で見るといろいろ厳しいが、ところどころテンションの上がるカットがある。
そういうのが好きな人、当時を懐かしみたい人、嶋田久作の若かりし日の大活躍を見たい人にはお勧めできる。一般的にはあまり勧められない。
レンタルなら数百円だし、amazonプライム入ってたらタダなので。気楽に見るのがいいと思う。
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