いつも通り完全に趣味の話を描く。
今、歴史上最大級にゲームが溢れかえり、多種多様のゲームの快感があるが、自分が好きだったゲームの快感が消えていくのが忍びないので文章に残す。
今、歴史上最大級にゲームが溢れかえり、多種多様のゲームの快感があるが、自分が好きだったゲームの快感が消えていくのが忍びないので文章に残す。
■ミニマムなゲームの快感『シュバビシ』
『ボタンをポチっと押したら、シュバッと技が出て、ビシッとヒットする』(以後、「シュバビシ」)
格闘ゲームとか、ベルトアクションでよくあるアレだ。
これが自分にとってのミニマムなゲームの快感、快感の根源となっている。
この快感を強化するために、ビシッとヒットした時にスローがかかるとか、敵がのけぞるとか、ゲロを吐く(スト2)とか、画面がフラッシュする(サムスピ)とか、多種多様の演出がある。
自分がここにもっとも強い快感を感じるのは、サルのように格闘ゲームやベルトアクションゲームをプレイしていた時期に、脳に快感回路が作られてしまっているのだと思う。
ゲームをプレイしていて「こうなったらこっちのものだ」というのが、シュバビシの瞬間なのだ。だからシュバビシを阻害するゲームデザインは嫌いだし(当身投げとかの特殊な状況でもなく当てたのに反撃されてしまうとか、こちらのノータイム連打に割り込まれるとかは嫌い。駆け引きはそれまでに済ませたい)「シュバビシ」のないゲーム(ヒット感が無いゲーム)は、快感が一段落ちる。
これは、RPGをサルみたいにやった人、ガチャをサルみたいに回した人も同様に、そういうプレイで得れる快感を強化する回路が脳にできているのだと推測する。
テトリスプレイヤーは、ゲーム中以外でもテトリミノをどこに落とすかを考えてしまう、というアレだ。
脳が、テトリスの事ばかり考えモヤモヤしているところで、4列消しをしたときに、スカっと快感として認識する。その感覚は強化される。
これを「テトリス脳」ぷよぷよなら「ぷよ脳」と周りでは呼んでいた。
繰り返したガチャで当たった時の快感は強化され、また当てたいと思うようになる。「ガチャ脳」
パチンコの大勝ちは記憶され、負けても負けてもまたパチンコに行ってしまう。「パチ脳」
同じような意味で、一部のゲームプレイヤーは『シュバビシ』に快感を覚える。「シュバビシ脳」
逆に言えば、実はシュバビシは普遍的な快感ではないのだろう。
初めてのプレイヤーは、高度なシュバビシに快感を感じないし、繰り返さないとその良さを理解できない。
完全に趣味の話なので、好き嫌い全開で書くが。
スト2やファイナルファイトに代表されるある時期のカプコンは、この『シュバビシ』が完璧である。
例えば、ファイナルファイトは当時の同種ゲームに比べ、ボタンを押してから技が出る速度が速いのだ。自然な速度で連打するとだいたいその速度にゲーム側はついてくる。
また、ビシっと当たったら、そこからまず反撃されない。敵がのけぞって硬直するからだ。これによって、「シュバビシ」は成功体験として脳に反芻され快感として刷り込まれる。
良くできたベルトアクションは一対一ならまずプレイヤー側が負けないようなバランスになっていてゲーム性は複数をどう対処するかにスライドしてある。「シュバビシ」まで決まって反撃を受けたり割り込まれたりするようでは、快感が快感として刷り込まれないからだ。
「シュバビシ」している時は、上手く行っている、成功している、そうやて体験として強化されていく。
俺も「シュバビシ」の気持ちのいいゲームはずっとプレイできる。パニッシャー最高である。
カプコンから目を移して。
ある時期のSNKの「シュバビシ」は神がかっている。
例の「紅丸の居合蹴り」(KOF)だ。
レバー下、斜め下、前、キックボタンで「シュッ」と素早い前蹴りを繰り出すのだが、ヒットしてスローがかかったころにはもう足は引いているのだ(!)残像を残しつつ。
アニメーターの偉い人が誰かに語ったというていで、たぶん押井守のインタビューで読んだが「アクションシーンで重要なのはヒットの瞬間でなく次の瞬間である」そうだ。
アニメのシティハンターの格闘シーンなどを見ていると顕著だが、ビシと殴ったあとちょっと脱力したポーズで静止していることが多い。
殴ったちょっとあとのポーズ、殴られたちょっとあとのポーズで流線背景の前でゆっくり左右にスクロールしている絵を思い出せるのではないか。
紅丸の居合蹴りは、ああいうのを感じさせる。
自分の操作で、シュバッ、ビシッ、ジーン、である。(ジーンはヒットスロー)
ほかにも、俺はこの技が好きだを列挙すると、長いので我慢するが。
この、時間にして1秒前後の快感を、ゲームのミニマムの快感として自分は摂取している。
2D格闘ゲームプレイヤーの人は、この快感に同意してくれる人が居るのではないか。
ゲームにはいろいろな快感があるが、これが一番好きなのだ。
■シュバビシの強化と限界
紅丸ばかり褒めるのもナニなので、カプコンのスパ2のフェイロンも褒めておきたい。(いやもう趣味の話なので)
フェイロンの「烈火拳」は、レバー下、斜め下、前、パンチポタンで発動する前進しながらパンチを繰り出す技だ。1発目発動中に2発目、3発目、と最大3発まで連続で打つことができる。これは連続技としてつながるし、ガードされたら2段目以降を浅く入れて距離をあけるといった使いかたもできる。
この技のモーションがすばらしく、先ほどの紅丸の居合蹴り的な「ヒットスローがかかった時にはもう次のモーションに入ってる」を自分の操作で狙って行う。
3段目まできっちり入れると、ブルースリー的な決めポーズを取る。あちゃーおちゃーわちゃー!プルプル!だ。相手はダウンしているので、技の成功の噛みしめタイムである。
こんなもん脳汁出るに決まってるじゃないか。
ちなみに紅丸の居合蹴りは後にアップデートされ、シュバッから割り込んで三段蹴りにつながるようになる。これも良い。(良いが、つなぎがデジタル過ぎて感じる)(ビシゴンスバブシュ反動三段蹴りエコー)
このタイプの技は「サムスピの牙神幻十郎の猪鹿蝶」にとどめを刺す。
フェイロンの烈火拳と同じタイプの技だが、移動量が増え、3弾攻撃の1段毎に、相手を通り過ぎて背中側に回り込むのだ。
剣劇アクションであるサムスピで相手を切りながら背後に回るのは非常に絵的にそれっぽい。よくあるベタな剣豪対決ものの一シーンだ。
また、SNKの格闘ゲームのダッシュ技は、それこそホバーかローラーダッシュかというぐらい、意味不明の動力でスーっと滑るのだが(特にREAL BOUT 餓狼伝説とかで目立つ)そういう意味不明さも含め高度に完成している。
サムスピは攻撃1発のダメージが大きく、即死手前まで行くゲームのため、ヒットスローが重くダメージの重大さをユーザーに的確に伝える。そういったいろいろの複合技で、とても気持ちがいい。
アニメーション枚数が少なめなSNKの格闘ゲームは、リミテッドアニメ的な快感をパターン数の少ないドット絵にうまく昇華している。
ただ、これは一部の人(俺みたいなの)の快感を強化したために、一見様お断りっぽくなっている、弊害はどうしてもでていると思う。
格ゲーをプレイしない人からの「なにやってんだかわからねぇ」という発言は当時からよく聞いた。
さらに進んだ例として。
ヴァンパイアや、ヴァンパイアハンターにおける、チェーンコンボ(特定の手順で技がめちゃくちゃつながる。ビシビシベシベシドゴーンみたいなの)はこの手の、濃い人の快感を強烈にくすぐる仕組みだが、俺はついていけなかったので、そこで脱落した。
サムスピは「連斬」という概念(コマンドで始動するチェーンコンボ的なもの)が入って、ついていけなくなった。
3D格闘ゲームはもともとあんまりついていけなかった。
サルのように格闘ゲームをやっていてもこのザマである。
なんと、快感を突き詰めると脱落者が出るのだ。
ラーメンスープを濃くしすぎたら、ドマニア以外食えなくなってしまった、という類だ。
当時はそういうものが現れることができるほどの市場の広さがあったともいえる。素晴らしいなー。
■ゲームの快感
基本的には、ゲームの快感って、出題と回答である。
出された出題に対し、回答を選択し、その成否で一喜一憂する。
「シュバビシ」は「敵がいる、ここでどの技をどのタイミングでどの距離で出せば当てれるのか」という出題があり、ただしい選択をすれば、あたった快感をスローだのフラッシュだのの演出総出でほめたたえてくれる、というものだ。
アーケードゲームという「100円入れて数分で去れ」というゲームシステムだからこそ、研ぎ澄まされていった部分の快感である。
快感のループが短く、刹那的で、集中を要する。
アーケード以外だとこの辺りの事情も変わる。
たとえば、コンシュマーゲームだとRPGが猛威を振るった。
一度購入したらあとは遊び放題なので、長期的な快感を用いることができるので「成長の快感」「蓄積の快感」が使える。
その分、毎回繰り返される戦闘は、サイコロで十分になる。毎回毎回そんなに集中したくないのだ。
コンシュマー版の格闘ゲームには蓄積要素や収集要素が入るのは、それがプレイヤーに望まれるからだ。
100円を無駄にしたくないから、ギリギリまで集中するゲームと、タダでやればやっただけメリットのあるべきゲームでは、ゲーム性をどこに置くかは変わらざるを得ない。良し悪しではない。
そして今隆盛しているのはスマホだ。
スマホで商品として成立するゲームというのは結構狭い。
例えばソシャゲに「シュバビシ」を入れた場合、いろいろな要素とコンフリクトを起こす。問題はタッチパネルの反応の絶望だけではないのだ。
シュバビシをソシャゲに導入するならば、それは序盤の快感として用意し、中盤以降は、オートモードで流していくタイプにならざるを得ないだろう。集中してプレイするというプレイスタイル自体が長期継続プレイを必要とするタイトルに向いていないので。
そして時々、集中しないとクリアできない場所を出す。ただしそこも課金によるパワープレイで突っ切れる。みたいなの。
これはもう仕方がないというか。
先にも書いたようにゲームの快感はいろいろな種類があるので。
「シュバビシ」はその一つでしかなく、現状の戦場では相性が悪い。
■まとめ
そういうわけで「シュバビシ」は気持ちいいんだよ。
だけど、誰にでも通用する快感てわけでもないんだよ。
だからといって、このままなくなってゆくと寂しいね。
みたいなことを、書いた。
そんなことを書いてどうするんだとも思うが、今の若い子は生まれたときからスマホなので、あの快感を知らないんだよ。
俺にとってゲーム最大級の快感であるというのにだ。そりゃちょっと文字として残しておこうと思うじゃないの。
『ボタンをポチっと押したら、シュバッと技が出て、ビシッとヒットする』(以後、「シュバビシ」)
格闘ゲームとか、ベルトアクションでよくあるアレだ。
これが自分にとってのミニマムなゲームの快感、快感の根源となっている。
この快感を強化するために、ビシッとヒットした時にスローがかかるとか、敵がのけぞるとか、ゲロを吐く(スト2)とか、画面がフラッシュする(サムスピ)とか、多種多様の演出がある。
自分がここにもっとも強い快感を感じるのは、サルのように格闘ゲームやベルトアクションゲームをプレイしていた時期に、脳に快感回路が作られてしまっているのだと思う。
ゲームをプレイしていて「こうなったらこっちのものだ」というのが、シュバビシの瞬間なのだ。だからシュバビシを阻害するゲームデザインは嫌いだし(当身投げとかの特殊な状況でもなく当てたのに反撃されてしまうとか、こちらのノータイム連打に割り込まれるとかは嫌い。駆け引きはそれまでに済ませたい)「シュバビシ」のないゲーム(ヒット感が無いゲーム)は、快感が一段落ちる。
これは、RPGをサルみたいにやった人、ガチャをサルみたいに回した人も同様に、そういうプレイで得れる快感を強化する回路が脳にできているのだと推測する。
テトリスプレイヤーは、ゲーム中以外でもテトリミノをどこに落とすかを考えてしまう、というアレだ。
脳が、テトリスの事ばかり考えモヤモヤしているところで、4列消しをしたときに、スカっと快感として認識する。その感覚は強化される。
これを「テトリス脳」ぷよぷよなら「ぷよ脳」と周りでは呼んでいた。
繰り返したガチャで当たった時の快感は強化され、また当てたいと思うようになる。「ガチャ脳」
パチンコの大勝ちは記憶され、負けても負けてもまたパチンコに行ってしまう。「パチ脳」
同じような意味で、一部のゲームプレイヤーは『シュバビシ』に快感を覚える。「シュバビシ脳」
逆に言えば、実はシュバビシは普遍的な快感ではないのだろう。
初めてのプレイヤーは、高度なシュバビシに快感を感じないし、繰り返さないとその良さを理解できない。
完全に趣味の話なので、好き嫌い全開で書くが。
スト2やファイナルファイトに代表されるある時期のカプコンは、この『シュバビシ』が完璧である。
例えば、ファイナルファイトは当時の同種ゲームに比べ、ボタンを押してから技が出る速度が速いのだ。自然な速度で連打するとだいたいその速度にゲーム側はついてくる。
また、ビシっと当たったら、そこからまず反撃されない。敵がのけぞって硬直するからだ。これによって、「シュバビシ」は成功体験として脳に反芻され快感として刷り込まれる。
良くできたベルトアクションは一対一ならまずプレイヤー側が負けないようなバランスになっていてゲーム性は複数をどう対処するかにスライドしてある。「シュバビシ」まで決まって反撃を受けたり割り込まれたりするようでは、快感が快感として刷り込まれないからだ。
「シュバビシ」している時は、上手く行っている、成功している、そうやて体験として強化されていく。
俺も「シュバビシ」の気持ちのいいゲームはずっとプレイできる。パニッシャー最高である。
カプコンから目を移して。
ある時期のSNKの「シュバビシ」は神がかっている。
例の「紅丸の居合蹴り」(KOF)だ。
レバー下、斜め下、前、キックボタンで「シュッ」と素早い前蹴りを繰り出すのだが、ヒットしてスローがかかったころにはもう足は引いているのだ(!)残像を残しつつ。
アニメーターの偉い人が誰かに語ったというていで、たぶん押井守のインタビューで読んだが「アクションシーンで重要なのはヒットの瞬間でなく次の瞬間である」そうだ。
アニメのシティハンターの格闘シーンなどを見ていると顕著だが、ビシと殴ったあとちょっと脱力したポーズで静止していることが多い。
殴ったちょっとあとのポーズ、殴られたちょっとあとのポーズで流線背景の前でゆっくり左右にスクロールしている絵を思い出せるのではないか。
紅丸の居合蹴りは、ああいうのを感じさせる。
自分の操作で、シュバッ、ビシッ、ジーン、である。(ジーンはヒットスロー)
ほかにも、俺はこの技が好きだを列挙すると、長いので我慢するが。
この、時間にして1秒前後の快感を、ゲームのミニマムの快感として自分は摂取している。
2D格闘ゲームプレイヤーの人は、この快感に同意してくれる人が居るのではないか。
ゲームにはいろいろな快感があるが、これが一番好きなのだ。
■シュバビシの強化と限界
紅丸ばかり褒めるのもナニなので、カプコンのスパ2のフェイロンも褒めておきたい。(いやもう趣味の話なので)
フェイロンの「烈火拳」は、レバー下、斜め下、前、パンチポタンで発動する前進しながらパンチを繰り出す技だ。1発目発動中に2発目、3発目、と最大3発まで連続で打つことができる。これは連続技としてつながるし、ガードされたら2段目以降を浅く入れて距離をあけるといった使いかたもできる。
この技のモーションがすばらしく、先ほどの紅丸の居合蹴り的な「ヒットスローがかかった時にはもう次のモーションに入ってる」を自分の操作で狙って行う。
3段目まできっちり入れると、ブルースリー的な決めポーズを取る。あちゃーおちゃーわちゃー!プルプル!だ。相手はダウンしているので、技の成功の噛みしめタイムである。
こんなもん脳汁出るに決まってるじゃないか。
ちなみに紅丸の居合蹴りは後にアップデートされ、シュバッから割り込んで三段蹴りにつながるようになる。これも良い。(良いが、つなぎがデジタル過ぎて感じる)(ビシゴンスバブシュ反動三段蹴りエコー)
このタイプの技は「サムスピの牙神幻十郎の猪鹿蝶」にとどめを刺す。
フェイロンの烈火拳と同じタイプの技だが、移動量が増え、3弾攻撃の1段毎に、相手を通り過ぎて背中側に回り込むのだ。
剣劇アクションであるサムスピで相手を切りながら背後に回るのは非常に絵的にそれっぽい。よくあるベタな剣豪対決ものの一シーンだ。
また、SNKの格闘ゲームのダッシュ技は、それこそホバーかローラーダッシュかというぐらい、意味不明の動力でスーっと滑るのだが(特にREAL BOUT 餓狼伝説とかで目立つ)そういう意味不明さも含め高度に完成している。
サムスピは攻撃1発のダメージが大きく、即死手前まで行くゲームのため、ヒットスローが重くダメージの重大さをユーザーに的確に伝える。そういったいろいろの複合技で、とても気持ちがいい。
アニメーション枚数が少なめなSNKの格闘ゲームは、リミテッドアニメ的な快感をパターン数の少ないドット絵にうまく昇華している。
ただ、これは一部の人(俺みたいなの)の快感を強化したために、一見様お断りっぽくなっている、弊害はどうしてもでていると思う。
格ゲーをプレイしない人からの「なにやってんだかわからねぇ」という発言は当時からよく聞いた。
さらに進んだ例として。
ヴァンパイアや、ヴァンパイアハンターにおける、チェーンコンボ(特定の手順で技がめちゃくちゃつながる。ビシビシベシベシドゴーンみたいなの)はこの手の、濃い人の快感を強烈にくすぐる仕組みだが、俺はついていけなかったので、そこで脱落した。
サムスピは「連斬」という概念(コマンドで始動するチェーンコンボ的なもの)が入って、ついていけなくなった。
3D格闘ゲームはもともとあんまりついていけなかった。
サルのように格闘ゲームをやっていてもこのザマである。
なんと、快感を突き詰めると脱落者が出るのだ。
ラーメンスープを濃くしすぎたら、ドマニア以外食えなくなってしまった、という類だ。
当時はそういうものが現れることができるほどの市場の広さがあったともいえる。素晴らしいなー。
■ゲームの快感
基本的には、ゲームの快感って、出題と回答である。
出された出題に対し、回答を選択し、その成否で一喜一憂する。
「シュバビシ」は「敵がいる、ここでどの技をどのタイミングでどの距離で出せば当てれるのか」という出題があり、ただしい選択をすれば、あたった快感をスローだのフラッシュだのの演出総出でほめたたえてくれる、というものだ。
アーケードゲームという「100円入れて数分で去れ」というゲームシステムだからこそ、研ぎ澄まされていった部分の快感である。
快感のループが短く、刹那的で、集中を要する。
アーケード以外だとこの辺りの事情も変わる。
たとえば、コンシュマーゲームだとRPGが猛威を振るった。
一度購入したらあとは遊び放題なので、長期的な快感を用いることができるので「成長の快感」「蓄積の快感」が使える。
その分、毎回繰り返される戦闘は、サイコロで十分になる。毎回毎回そんなに集中したくないのだ。
コンシュマー版の格闘ゲームには蓄積要素や収集要素が入るのは、それがプレイヤーに望まれるからだ。
100円を無駄にしたくないから、ギリギリまで集中するゲームと、タダでやればやっただけメリットのあるべきゲームでは、ゲーム性をどこに置くかは変わらざるを得ない。良し悪しではない。
そして今隆盛しているのはスマホだ。
スマホで商品として成立するゲームというのは結構狭い。
例えばソシャゲに「シュバビシ」を入れた場合、いろいろな要素とコンフリクトを起こす。問題はタッチパネルの反応の絶望だけではないのだ。
シュバビシをソシャゲに導入するならば、それは序盤の快感として用意し、中盤以降は、オートモードで流していくタイプにならざるを得ないだろう。集中してプレイするというプレイスタイル自体が長期継続プレイを必要とするタイトルに向いていないので。
そして時々、集中しないとクリアできない場所を出す。ただしそこも課金によるパワープレイで突っ切れる。みたいなの。
これはもう仕方がないというか。
先にも書いたようにゲームの快感はいろいろな種類があるので。
「シュバビシ」はその一つでしかなく、現状の戦場では相性が悪い。
■まとめ
そういうわけで「シュバビシ」は気持ちいいんだよ。
だけど、誰にでも通用する快感てわけでもないんだよ。
だからといって、このままなくなってゆくと寂しいね。
みたいなことを、書いた。
そんなことを書いてどうするんだとも思うが、今の若い子は生まれたときからスマホなので、あの快感を知らないんだよ。
俺にとってゲーム最大級の快感であるというのにだ。そりゃちょっと文字として残しておこうと思うじゃないの。
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