子供をiPadで黙らせるのは教育上許される?
俺は、この問いに明確な答えを持っている。(自分の中でだが)
「程度問題」
以上終わりだ。
「子供ともっと対話を」などと言う奴は、今リアルに子供と対話していないと感じる。子育て経験が無いか、子育て経験は有るが昔のこと過ぎてピントがボケている人ではないか。
或いは全然対話していない人に向かっての言葉を、対話し過ぎて育児疲れの人が聞いてイラっとするとか。
実際のその人の子育てを見た事もない人が言う言葉は、正解である事の方が珍しいだろうし、正解だったとしても刺さりはしないだろう。
子供との対話は。
子供とどれだけ対話しても、子供はロジックより欲望に負けるし、そもそも言葉によるキャッチボールの限界がとても早い。
食事の場でやかましい子供を黙らせる手段はそんなに数が無い。
乗り物でやかましい子供、公共の場でやかましい子供をどうするかというのは子育て上のテーマだ。
公共の場につれてくるな、だけで通せる程、全ての家庭に余裕が有る訳では無い。
そこでipodを使おうが、psvitaを使おうが、仕方が無い事情というのは有る。
普段からそれを乱用していないので有ればだが。
結局、程度問題でしか無いのではないか。
以後自分語りをする。
子供特有の「これは何?」「どうして?」に全て答える親であろうと思っていた。現在も努力中だ。
昔なら大変だったが、今ならgoogle先生もいる。どんと来いだ。
可能な限り答えようとしているが、全問回答はやはり無理であった。
まず彼らの日本語がおぼつかないので質問の意味が不明だ。
それが理解できたとしても、 彼らのボキャブラリー内で説明できる内容は限られる。
その次にかれらの興味が持続しない。今さっきした質問の答えをもう上の空で聞いていない。
さらに言えば、彼らは質問の答えをすぐ忘れる。同じ事を何度も聞く。
スポンジが水を吸収するように知識を吸ってくれると思っていたら、砂漠に水をまく如くだ。
そして、彼らは自分の空想のごっこ遊びに夢中で、その事を親に説明したがるが、何を言っているのかよく解らない上に、必死で理解しても特に意味は無い。そして本人はすぐ飽きる。
見た目や実際に使う言葉ほど、脳は成熟していないので。反射で生きてる虫よりはちょと上等だが、ロジックで動いているわけではない。
この状況下で、常に子供との対話をじっくりする親をやり続けるのは骨が折れる。
時々なら、可愛い可愛いと対応できるが、フルタイムでは無理だ。
他人の目のある公共の場では、どうしても手っ取り早く静かにさせる必要がある時がある。
世の中が、対話を通じて子供が静かになるまでの時間、騒がしいのを許容してくれるわけでもない。
子供が対話が通じるほど成熟するまでは。
子供の教育や親の振舞い方は「コレが正解」と言うのは無い。
統計とろうにも、それ以外の要素がデカ過ぎる。文化圏が違っても、環境が違っても、資質が違っても、別の答えになる。
そして、全てが程度問題ではないか。
翻訳の所為か、意訳の所為か、もともとなのか、見事にイラっとくる物言いだけど。
有る意味では正しいのだろう。
しかし、教育論なんてのは、満たされた人の玩具になりかねない。
俺は、この問いに明確な答えを持っている。(自分の中でだが)
「程度問題」
以上終わりだ。
「子供ともっと対話を」などと言う奴は、今リアルに子供と対話していないと感じる。子育て経験が無いか、子育て経験は有るが昔のこと過ぎてピントがボケている人ではないか。
或いは全然対話していない人に向かっての言葉を、対話し過ぎて育児疲れの人が聞いてイラっとするとか。
実際のその人の子育てを見た事もない人が言う言葉は、正解である事の方が珍しいだろうし、正解だったとしても刺さりはしないだろう。
子供との対話は。
子供とどれだけ対話しても、子供はロジックより欲望に負けるし、そもそも言葉によるキャッチボールの限界がとても早い。
食事の場でやかましい子供を黙らせる手段はそんなに数が無い。
乗り物でやかましい子供、公共の場でやかましい子供をどうするかというのは子育て上のテーマだ。
公共の場につれてくるな、だけで通せる程、全ての家庭に余裕が有る訳では無い。
そこでipodを使おうが、psvitaを使おうが、仕方が無い事情というのは有る。
普段からそれを乱用していないので有ればだが。
結局、程度問題でしか無いのではないか。
以後自分語りをする。
子供特有の「これは何?」「どうして?」に全て答える親であろうと思っていた。現在も努力中だ。
昔なら大変だったが、今ならgoogle先生もいる。どんと来いだ。
可能な限り答えようとしているが、全問回答はやはり無理であった。
まず彼らの日本語がおぼつかないので質問の意味が不明だ。
それが理解できたとしても、 彼らのボキャブラリー内で説明できる内容は限られる。
その次にかれらの興味が持続しない。今さっきした質問の答えをもう上の空で聞いていない。
さらに言えば、彼らは質問の答えをすぐ忘れる。同じ事を何度も聞く。
スポンジが水を吸収するように知識を吸ってくれると思っていたら、砂漠に水をまく如くだ。
そして、彼らは自分の空想のごっこ遊びに夢中で、その事を親に説明したがるが、何を言っているのかよく解らない上に、必死で理解しても特に意味は無い。そして本人はすぐ飽きる。
見た目や実際に使う言葉ほど、脳は成熟していないので。反射で生きてる虫よりはちょと上等だが、ロジックで動いているわけではない。
この状況下で、常に子供との対話をじっくりする親をやり続けるのは骨が折れる。
時々なら、可愛い可愛いと対応できるが、フルタイムでは無理だ。
他人の目のある公共の場では、どうしても手っ取り早く静かにさせる必要がある時がある。
世の中が、対話を通じて子供が静かになるまでの時間、騒がしいのを許容してくれるわけでもない。
子供が対話が通じるほど成熟するまでは。
子供の教育や親の振舞い方は「コレが正解」と言うのは無い。
統計とろうにも、それ以外の要素がデカ過ぎる。文化圏が違っても、環境が違っても、資質が違っても、別の答えになる。
そして、全てが程度問題ではないか。
MIT教授のシェリー・タークル教授は、「互いの会話というのは子どもたちが自分自身と会話し、独りになることを覚えるための訓練なのです。孤独に一人で遊ぶことは、幼児期の成長にとって最も基本的なことなのです。つまり親たちは、ガジェットなどで大人しくさせたいがために彼らの学びのチャンスを奪ってしまっているのです」とは彼女の弁。
翻訳の所為か、意訳の所為か、もともとなのか、見事にイラっとくる物言いだけど。
有る意味では正しいのだろう。
しかし、教育論なんてのは、満たされた人の玩具になりかねない。
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