なんというか。
クリエイターやメーカーを神格化するのはあんまり気持ちの良いものではないので。
人を褒めるのを見るのは、気持ちの良いものだけど、合わせ技で他の人や物を貶すのはちょっとね。
クリエイターやメーカーを神格化するのはあんまり気持ちの良いものではないので。
人を褒めるのを見るのは、気持ちの良いものだけど、合わせ技で他の人や物を貶すのはちょっとね。
例えば、ドラゴンクエスト1で。あれは本当に良く出来たゲームだけど。
「操作を覚えるまで城から出さないように出来てる。さすが素晴らしいゲームだ!」
という話があって。これは自分も良く出来たチュートリアルになってるなと思うんだけど、あれは当時のインタビューや随想を見るに、
「ユーザーテストしてみたら、みんな装備や買い物もせずにマップに出て死んでしまった。だから対策した」
という事だったそうだ。
ユーザーテストする余裕、作り直す余裕、そういった、時間的、予算的余裕が成せる技なので、クリエイターの天才性とはちょっと話が違う。
もちろん、限られたコストをどこに使うかという意味では天才性を示すエピソードでもあるけど。
例えばゼルダで。インタビューによると、あれはもう宮本茂の手を離れていて、それでも最後のシメとして彼がプレイした感想を「とほほメール」として「こうなるかとおもったらならなかった。とほほ」みたいなメールを(仕様変更圧力がある立場から極力圧力を排除して伝える為のテクニックとして)使ったそうだ。
これも、実際の所「出来た物をプレイして物を言うのは、宮本茂じゃなくても出来る」わけ。
その内容は、天才性を示すものだったかもしれないけれども。
こういうエピソードはえてして「出来た物に対して何かを言う」所からはじまる。
何も出来て無い状況で、ああだこうだ言う話は人には伝わりにくいから。
しかし、こういう話が美談として語られるならば、「早い時点でレビューを行って仕様変更する事をスケジュールに初期から盛り込んであった。」「開発後期、締め切りの延長と予算の追加をしてまでもっと売れる物を作った。」であるべきで。
締め切りの延長も、予算追加も無しで、それを求めるなら穴と言う穴から血を流して倒れろ。
あ、これは個人の事情だ。違う今回はこの話じゃない。
例に挙げたクリエイターは、押しも押されぬ天才だからいいとして。
ちょっとヒット作を作ったクリエイターが独立して、その後泣かず飛ばすだったりするじゃない。
そういうのが何故発生するかと言うと、クリエイターにクリエイトする状況を提供していた奴らが凄いんだよね。
予算にしろ、期間にしろ、スキルにしろ。アイデアにしろ。
多分クリエイターとして褒めそやされてる人も、よっぽどのアレじゃない限り、自分の実力云々より環境の力を感じている。
キーマンが抜けてもそれまでと変わらぬ作品を出し続けているチームもある。キーマンじゃなかったんだろう。
キーマンが抜けたら、やはり大事な味が抜けたような作品になる場合もある。それが彼の力だったのだろう。それでもそれ以外の所は何とかなってしまう。
たまにヘタするとクリエイトまったくしてないクリエイターも居る。
でもそういう人、現場から好かれてる時もある。自分のネタ使いたいって人はもちろん居るから。
なので、一人の才能が一つのゲームを作った。という状況はもう最近はなかなか生まれないし、そういう状況を夢想して、他を貶めるのはイマイチ釈然としませんよ。みたいな。
PCゲー全盛期、ファミコン初期は、プロジェクトの人数も少なかったから、一人の天才が何かを成す、というのはわりとあったんだけどね。
今もしあるとすれば、ほとんどの場合、プログラマや絵描きの力の方が大きい気がする。
その方が神格化しやすいしね。
たまに、こんな企画良く通したな!というゲームが有った場合、それはその企画通した奴の手柄だと思うので、個人的に少しリスペクトしてしまう。
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