受賞に関して賛否はあったけれど、お玉は立派だと思うな。
たとえどんなに「壁」が正しくとも私は常に「卵」の側に立つ・
壁は戦争そのもの・・そして卵はお玉たち・・・・小説家がこういうことを言わずして、誰が高らかに理想を語れるのだろう・・欠席して何も語らないより、あえて授賞式に出て「語る」ことを選んだ彼に敬意を表したいな・・
中国新聞より
村上春樹氏の講演要旨
一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。
一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。
一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。
一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。
一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。