先日小林節様とお会いしました。講演会の後、ご一緒に飲ませていただけて、いや~~~お玉、とっても幸せでした・・なんせ、過去にネット上の恋人は伊藤真さん・・愛人は小林節様などとふざけたことを公言するほど、改憲派なのに、敵?なのに??好きだったんですよねえ・・・お玉ブログのことをお話したら、奥様に検索してもらって、見るからと言ってくださって、それだけでもうれしいのに、節さんが出された本「「憲法」改正と改悪―憲法が機能していない日本は危ない」の編集をされた時事通信社の方が、以前からお玉ブログを読んでいてくださてって・・嬉しかったなあ・・それと、先週は朝日新聞社から取材受けたり、休眠状態のお玉ブログがなぜか急に表に出ることが増えてきて、
そろそろ・・・お玉も試運転開始です。
トルコでのデモの様子を見て、思った。
あの首相の支持率、過半数超えてるんだよね。
それでも、トルコの人たちはアカンと思った。絶対に許せないと思った・・
だから、あれほど大規模なデモに発展して、
どんなに警察に脅かされてもデモをやめない・・・
多数が支持する政権でも、アカンことはアカンから絶対許さない姿勢。
トルコのお話はまた別に書くとして、ここから、以前書いたお玉の立憲主義への違和感と悩みについて、
再度、2009年1月の記事を投稿しておきます。
大切な立憲主義を守るために行動すべき民主主義
立憲主義は大事だし(何回も書いてる)
理念をわかりやすく説明することも重要だと思ってる。
立憲主義の意味・・・お玉がこの連載のはじめに書いたことは次の三つ。
国民の1人1人の自由と権利を保障するために国家権力を制限するのが「立憲的意味の憲法」の本質。
例え民主主義によって作られた政府であっても、それが国民の自由と権利を侵すおそれがある場合はその権力に歯止めをかける必要がある国民の大多数が必ずしも正しいとは限らない、国民の多数意見の暴走への歯止めでもある(間違ったデモクラシーの暴走への歯止め)
これらがすごく大事な考え方だとわかった上でお玉は書いてるつもりなんだよね・・・
制限とか歯止めとか書いてあるから、じゃあそれが止められなくなった時、私たちはどうしたらいいんだろう?って疑問に思ったんだよね。
タマちゃんのクラスの話が実生活的において行き過ぎた仮定なので、それがダメと言うならもっとリアルに、いうとね。
いまこの不安定な社会の中で、一時的な感情で民衆(国民でもいいけど)が危険なカリスマ性を求めて頼ろうとして・・その結果誤った判断をしないとは、お玉には思えないんだよね。
小泉内閣のときくらいならば「期待はずれ」だとわかるまでにさして時間がかからなかったから良かったけれど…もっと巧妙な展開で大多数が望んでしまうカリスマ性のようなものが現れれば・・マスコミも巻き込んで簡単に暴走するとお玉は思ってる。
そして、そういう場面まで想定して、そうならないために立憲主義の理念をどう生かさないといけないかを考えたい、そして伝えたいそう思っているだけなんだけれど・・・・そういう危惧は立憲主義を語る上で必要のない不安なのかなあ?それは別の問題であり次元が違うって言う人がいて、憲法学者さんと同じようにお玉に言ってくれてるみたいに感じたけれど・・
立憲主義の理念があって、現行憲法さえがあれば、そういうことにはならないの?間違った民主主義はちゃんと歯止めをかけられるの?
もちろん、立憲主義が邪魔で憲法を改正しようとする動きに反対している、お玉たちのリアルな活動ももちろん、そのための努力ではあると思う。
何度も言ってるんだけれど、立憲主義を否定しているんじゃないんだよ。その理念が通用しなくならないために私たちはどうしたらいいの?・・と思ってるだけなんだよなあ・・・・お玉は。
とはいえ、これでいったん終わりにするけどね。
お玉って案外頑固でしつこいので・・きっとまたやる。
お玉おばさんの悩み(立憲主義と民主主義)
お玉おばさんの悩み 2 立憲主義と民主主義
お玉おばさんの悩み3(立憲主義と民主主義)
お玉おばさんの悩み4(立憲主義と民主主義)
立憲主義と民主主義
大切な立憲主義をを守るために行動すべき民主主義
##お玉のわがままな記事に付き合ってくれてありがとう。
記事違いに議論が発展すると判断した2件以外のコメントはすべて表に出してます。
思ったほど書き込みがなかったのは、共感してもらえてないからだろうなあと思ってます・・・・でもみんなのコメントのおかげでまた違う視点から書いてみようと決意も新たになってます。
ある友人に宛てて言った言葉ですけれど・・信じるに足る有効なフィクション(憲法と立憲主義)が脅かされた時に、そのためにリアルに戦える同志を増やしたくて、お玉はこんなブログやってるんだと思います。
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この記事の一つ前に書いた、アンパンマンの話も載せておきましょうね・・
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本当に世間が暴走した時にそれを止めることができるのは
理念としての立憲主義ではなくて、私たち民衆の一人一人の闘う気持ちなんだ。
ということがお玉は言いたかったんだと思います。
立憲主義の考え方はとても大事なのです。
これを憲法改正論の中で否定することはお玉も許せない。
立憲主義は弱者を守るために必要な理念です。
国を縛るという表現も間違いではないでしょう。
普通に今の日本で生活していく上でその理解でいいのかもしれない。
今回のお玉の設定しているタマちゃんのクラスは 撞木鳥さんがおっしゃる通りハードルが高いかもしれない。本来立憲主義的役割を果たすべき先生を「機能しない」といってるのですから・・
でも、守ってもらえるから大丈夫という考えが蔓延しそうな違和感をお玉はぬぐえなかった。
今、実際に「闘っている」人たちにとってそれは自明なことなんだけれど、そうでない大多数の人たちには一番大切なものが脅かされる時に真に行動しようという気持ちまで持っていくことは、とうていできないと思ったんだよね・・
松竹さんはヒットラー時代のユダヤ人弾圧までに行われてきたはじめは「小さかった」弾圧をなぜ止められなかったかという例を出して説明してくれてたけど・・
お玉さん流立憲主義への疑問・4
お玉は「茶色い朝」という本を思い出したよ。
立憲主義の大切さを伝えるだけでは片手落ちだと思った。
だからこそ、それを脅かされそうな時、それに気が付く人たちの存在は大きい。それに気が付ける人たちはきっと一番に被害を受けるだろうけど、その時に私たちはどう行動したらいいのか?
実はね、長谷部先生と杉田敦さんの「これが憲法だ」での問答を見ていてね、それを初めて読んだ二年前には絶対的平和主義が立憲主義とは相いれないというところばかりに目がいってしまって・・これもまたとても大事な視点で「その時の正義」が必ずしも絶対に正しいわけではないので・・・・ でもじゃあ私たちはどうすればいいのかを語ってくれてない。
そうそう、その絶対的平和主義と立憲主義が相いれない話に関して・・
実はあるブログ(まだ連絡が貰えず、許可がもらえてないので名前はふせるけど)で書いてあったなかなかの立憲主義のお話・・(原文ではなくお玉流にアレンジさせていただいてます。)
愛と正義のアンパンマンは町の住民が 迷惑して困らされている悪のバイキンマンをやっつける。
でもいつも住人は自分では戦わないで正義の味方のアンパンマンに戦ってもらっている・・
ひょっとしたら実はアンパンマンだってだんだん、正義の味方だけではなく欲や悪意が出てきておかしな行動をすることがあるかもしれないのに・・住民はアンパンマンには文句は言わない。だって「愛と正義」のアンパンマンだもの。
パン屋のジャムおじさんに作られたアンパンマンは
バイキンマンのいたずらに対して暴力をもって罰を与える。
その罰の根拠は「愛と正義」なんだよね。
アンパンマンは愛と正義という抽象的な価値判断でバイキンマンを罰している。(暴力的に)アンパンマンがあの国の住民の平穏を守る英雄であっても、本当は、立憲主義国家にとって脅威となるはずですよね。・・でもここの住人はそのことに文句を言わない・・アンパンマンに絶対的について行くんだよね・・愛と勇気の人だもの、みんなの英雄だもの・・アンパンマンのいうことは絶対に正しいもの・・
この話はさいごに、アンパンマンが間違った判断をした時には住民がジャム工場に泣きついて、パンの供給を止めればいいという落ちになってます・・・
いえ、泣きつくだけではだめかもね、今まで何もせずアンパンマンに正義の判断を任せっきりにしていた住人達はそれに気がついて、みんなでジャムおじさんたちの組織に抗議しなければなりません・・脅かされている立憲主義を守るために・・みんなで力を合わせなきゃ。
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