南三陸町の八幡川、水尻川には鮭が戻ってきている。
仮設の志津川漁港で揚げられた7匹のピンコから作ったイクラを御馳走になった。
美味しいイクラをこんなに沢山一度に食べたのは初めてであった。
現地の人々の大変さは変わらないが
イクラを作って下さった地元の方の気持ちに嬉しくなって
自分の無力感を少し忘れることが出来た。
前回のブログから
実存やら魂やら何やらと
社会問題が山積している時節柄、虚しいとも思われかねない抽象的な話が続いていて
私の周囲からは
”アフガニスタンという現場を失って相当ヤキが回った”と
御同情・御批判頂く向きもあるのだが
ヤキが回っているのは今に始まったことではないので
もう暫くヤキが回ったような話にお付き合い願いたい。
世の中が
山のような喫緊の課題に迫られている時に
悠長に抽象的な話でもあるまい
と言われれば反駁し難いが
開き直って言うのならば
私にとっては
日本の社会が
後ろ髪を引かれつつも仕方なくなく
その場凌ぎの性急な判断で追いまくられているように思え
そんな状況では
寧ろ
一見杳昧を彷徨っているように思えても
実存に繋がる話をする鍛錬をしておいた方がよいと思う。
私にとっては10年ぶりとなる長期間の日本滞在中であるが
日本で暮らして感じるのは
暮らしの底流に流れる
尻に火が付いたような焦燥感だ。
それは
震災・原発・経済不安によって幾許か助長されたのかもしれないが
基本的には
この10年間の間に一時帰国する度に感じていたものと同質の焦燥感である。
本来
社会の中で長期的な物言いを担当しているはずの
多くの学識経験者やら研究者
文芸関係者やら芸術関係者
教育者やら宗教関係者までが
何だか
大多数が同じようなトーンで
肝心なところになると
ニヒリズムでお茶を濁したようなプラグマティズムを
無自覚に選択しているように思えてならない。
”そういう印象は大衆メディアのせいであって
本当はどっしりと構えた人間が大勢いるのだ”
と言われそうだが
それを確信させる実感を持つ機会は
東北の被災地の皆さんと触れ合う場合以外では
余りない。
経済・環境・原子力・自然災害など
対応が急がれている問題の中で
制御可能な課題
つまり
それらの問題によって発生する悲劇の量を抑えきれそうな課題は
余りないように思う。
いわば手遅れの問題だらけの現代である。
そもそも
シェラレオネの内戦もアフガニスタンでの戦争も
どんな紛争も自然災害も
その悲劇の量からみれば手遅れなことばかりである。
手遅れであることに対して
それでも
更なる悲劇の拡大を最小限にしようというのが
支援業界の目的と思っている。
この状況下では
”手遅れと知りつつ最善を尽くす”という凄味のある気概を持つか
手遅れであることを知らないで済む状況を探し続けるか
どちらかになりそうな気がする。
出来れば
前者のような人間になりたいと思っているが
私如きには死ぬまで無理かもしれない。
手遅れな事だらけの現代だが
私が一つ
まだ手遅れではないと思っていることがある。
それは
今後、山積された問題によって引き起こされる大量の悲劇によって
命や魂といった実存的な課題が繰り返し我々に押し寄せる時に
困窮した我々が
藁にでもすがるように
極めてお粗末で軽薄な思想に-思想とも呼べないような屁理屈に-
なだれ込んでしまい
その趨勢が、更なる悲劇を産んでしまう
そういう二次災害を遏防することである。
それが出来たなら
現在の危機による影響が納まるであろう何百年後かに暮らす子孫への
大きな遺産となるように思う。
そうする為には
遠回りかも知れないが
全ての事象の背景に厳然と存在している実存的なことについて
観照する修練をしておくことが大切ではないか
―例えその抽象性が非生産的に見えたとしても―
と思う。
さらに
もう少し批判的な言い方をするなら
様々なシステムを信じ切って暮らしている人々のほうが
その認識の抽象性は悪質のような気がする。
属性の表象性を疑わないことが社会的実践と思い込んでいては
人間が繰り返し直面してきた悲劇に
余りに無防備であると思う。
だから
もう暫くヤキが回ったような抽象的な話を続けさせて頂きたい。
● ● ● ”日本にいてアフガニスタンについて考える”ということ
過日
アフガニスタンから日本に一時帰国されていた
私が秘かに私淑している知人に再会してお話をすることが出来た。
そのときの話題の多くは
治安に関するものとなったが
非常に示唆に富んだ知見を頂くことが出来た。
知人との話題は当然のことながら
パキスタンそしてISIにも向かった。
ここ数か月間に発生したアフガニスタンでの治安関連事件のうち
大きなものだけを列挙しても
07月12日…カンダハル州で、カルザイ大統領の弟へのテロ事件
08月06日…ワルダク州で、米海軍特殊部隊SEALチーム6らを載せた米ヘリChinook撃墜さる
08月19日…カブールで、『ブリティッシュ・カウンシル』襲撃事件
09月10日…ワルダク州のNATO基地が襲撃され、米兵含む89人死傷
09月13日…カブールで、アメリカ大使館・NATO本部などを狙った攻撃
09月20日…高等和平評議会議長ラバニ元大統領・スタネクザイ同事務局長への爆弾テロ
という具合で
個々の事件の意味がそれぞれに深い。
特にラバニ元大統領事件の周辺について
その動静を観れば以下のようになる。
09月22日…マレン統合参謀本部議長、「パキスタンのテロ支援が国家的戦略として行われている」
「ハカニグループはISIの一機関」と発言
09月30日…オバマ大統領、「ISIとイスラム武装勢力に明確な関係を示す情報なし」と発言
パキスタン政府のアルカイダ掃討作戦への貢献も強調
「ISIのハカニグループへの関与も不明瞭」とも発言
10月01日…ISAF、ハカニグループのアジ・マーリ・ハン幹部をパクティア州で拘束
10月01日…アフガニスタン保安局、ラバニ事件について
「クエッタ・シューラが関与した証拠や書類を見つけた」と発表
10月01日…カルザイ大統領、「タリバンとの和解交渉の停止」と発言
カルザイ大統領、「オマル師らとの交渉が不可能であり、今後の交渉パキスタン以外ない」と発言
10月02日…アフガニスタン政府、「計画はクエッタ、実行犯はパキスタン人」と発表
ISIの関与も断定、「証拠をパキスタン政府に引き渡した」と発言
これに対してパキスタン外務省は反発
10月03日…ハカニ氏、犯行否定
10月05日…アフガニスタン政府NDS、カルザイ大統領暗殺計画首謀者を逮捕
ハカニグループと繋がりがあった模様
10月05日…カルザイ大統領、NYでの講演で、「タリバンとではなくパキスタンと交渉する」と再び発言
10月06日…オバマ大統領、自ら、パ軍・ISIとアフガニスタン武装勢力との関係を指摘
武装勢力との関係断絶を要求。「パへの経済支援は継続する」とも
上記のような主だった報道だけをみても
読み筋としては、幾つもの可能性が考えられる。
私としては
3月にサリプルを離れて以降
アフガニスタンに関する知見への接触がメディアなどからの二次・三次情報に偏っているわけで
私のアフガニスタン観から”肌感覚”という言語化の難しい部分が大いに欠落している。
だから
肌感覚を伴った知人の発言が
私に色々なものを喚起させてくれ
3月以前の感覚の何分の1かは戻ってきたように思われて
非常に有難かった。
ISIの話のように
知人も私も
その実体に直接触れた経験がない対象
(ISIについては
その実体に直接触れたという感覚を持っている人など
当事者も含めていないのではないか
とさえ思う)
殆どの人がその実態を知り得ないものについての言及は
我々の予備知識や知見の少なさや言及の射程距離の短さが明確である為
かえって生々しく感じることが出来
それは結局
遠いものでありながら
非常にリアルであった。
このことには
大げさかもしれないが
ヒュミントの存在意義が強く示されている。
一方
日本にいて
日本で暮らす人とISIについて語っても
それは自家中毒的な万能感に味付られてしまい
議論の目的によって帰結の方向が決定されてしまう。
二次情報の陥穽である。
実体が構造的な安定を持たないときには
それについてのエリントの深みには限界があると思う。
最前線と後方での記号の表象性の不連続性
これはどんな業種でも見られる現象である。
私には
これが前回のブログで述べた『平時の表現形式』の応用問題に思える。
● ● ● 『平時の表現形式』についての実感
私の下手な造語である『平時の表現形式』
この言葉を使って私が言いたかったことについて
もう少し考えてみたい。
まず私の実感した『平時の表現形式』について述べてみよう。
『平時の表現形式』を明瞭に実感したのは10年前、
シェラレオネに赴任して初めて一時帰国したときのことである。
その後
現在に至るまで
休暇でシェラレオネやアフガニスタンから日本に戻って来る度に
又は
中越地震や東北大震災の現場から東京などに戻って来る度に
以下に述べる気味の悪い感覚に包まれるのが常であり
この感覚が
『平時の表現形式』の肌感覚だと思っている。
写真3・4・5:2001年12月、壊滅状態だったコノ(シェラレオネ)
『ブラッド・ダイヤモンド』の舞台ともなったコノは、焼け焦げた家屋ばかり廃墟のようだった。町中の井戸の中は惨い状態であった。当時はパキスタン軍が治安維持部隊として駐屯していたが、国際NGOスタッフが反政府軍残党に斬首される事件も発生した。発掘されたダイヤの原石を巡る殺人事件があった。私のオフィスではスタッフの奥さん同士が痴話喧嘩で流血していた。町の子供達はとても可愛かった。まさに実存的主題の坩堝のような現場であった。
成田空港に着陸するまでは
飛行機の中で
”日本に帰ったら、あれもしよう、これもしよう、あの人に会おう、この人に連絡しよう”と
あれこれと思い巡らして非常に活動的な気分なのだが
着陸するとすぐ
機内にある種の空気が急激に立ち込めて来るようであり
もう到着ロビーに出る頃には
その気味の悪い感覚にうんざりと疲弊してしまい
”家の近所でラーメンと餃子でも食べて寝よう”
というくらいに
意欲は殫竭し活力は極度に萎えてしまうのであった。
この、気味の悪い感覚は
”到着ロビーに出たら、もう、周囲のモノ全てに名札がついている感じ”
”家の冷蔵庫の裏の隙間にも、トースターの中のパン屑にも、全部に意味が充満している感じ”
というような感覚である。
シェラレオネ勤務の頃から
親しい友人に何とかこの感覚を伝えようとしていたが
この表現は差詰め妄言であり
ノイローゼとしか思われなかったかも知れない。
しかしこれは、私の実感そのままの表現なのである。
自動販売機にも
空き缶にも
大型建築物にも道路にも
自動車にも
街路樹にも
歩いている人にも
ごみ箱の中にさえ
機能や意味が端的に示された名札が
くっついている感覚である。
私は、この気味の悪い気分が
『平時の表現形式』を体感したときの一つの現れ方だと思っている。
機能という名札で埋め尽くされた上に出来上がっている仕組みが
見え難いようで
しかし
あからさまな存在感で
隠顕しながら確かに自走しているのを感じるのであり
それは
分かり易くて軽薄な記号と因果律の充満した
澱んだ洞のような世界なのである。
● ● ● ”物語”から 緒につく
私が感じた
この”周囲の物全てに名札がついている感じ、全てに意味が充満している感じ”
というのは
私の超個人的な心象であり
それは
私個人が
私個人を取り巻く
狭くて深い世界に関わる中で
私の中に生まれた”物語”の一部分である。
私のこの心象に
所謂科学的な客観性があるのかないのか
と問われれば
ない、と応じるしかない程に
私個人が
私の周辺と触れ合うときに生まれた個人的な”物語”である。
蛇足ながら
私がこれまでにブログで述べた
”物語”についての話、”貨幣”、”情報”、”信仰”についての話なども
アフガニスタンやシェラレオネなどの現場で
私が全人格的に直面した実存的な経験によって薫陶されて芽生えた
私を取り巻く外界の意味を
私が掘り下げるときの
個人的な”物語”である。
そういう個人的な”物語”の語り口というは
例えば
”スマートフォンの使い方”とか
”5分でわかるロボット工学”とかいった
ある程度客観的と思われる事物について述べる場合とは
全く異なる心の姿勢から発せられたものである。
よくよく省みると
私はそれらの超個人的な”物語”を
弊団体が運営しているこのブログで書いてみようとしている訳で
ブログの趣旨からかなり逸脱していると思われ、申し訳ない。
しかし
アフガニスタンでの支援活動の経験を他の人と共有したいと思うと
実務的な事象を共有することを除けば
こういう”物語”のようなものを示すことになるのではないだろうか。
つまりもっと突き詰めた言い方をするのなら
他人と何かを共有したいと思う場合は
超個人的な”物語”を伝えることになるように思う。
だから
私の狭くて限定的な経験世界から浮かび上がる物語が
所謂一般的な”世の中”を理解するための客観的な知見になるとは
つくづく思えないし
小さな私の小さな物語を
大きな世界を読み解くような”大きな物語”に繋げようという意志もない。
ただ
文化人類学的な専門家によれば
実際に今も息づいている神話というのは
日々の個々人の生活の中で
個々人の実存的な体験と絡み合いながら
常に変更され更新されているそうで
多くの専門家が研究対象としたアメリカ先住民の場合でも
現地の語り部たちは
「本当のところは”これが神話”っていうものはない」
と言うそうだ。
各家庭や共同体の構成要素の各々の事情で
日々神話は作り変えられてゆくそうだ。
だから
個人個人が
自らの周辺世界の意味を日々耕していくという作業は
人間が太古から継続してきた実存的な営みだと思う。
私が繰り返し使う”実存”という言葉は
超個人的な入口から心とか魂を覗くということとも言えるが
物語はそこから生まれるわけである。
個人の物語は
個人の実存的命題について湧きあがった内的必然性の集合体であるから
世界を説明し尽くしそうという野心からは遠いところにある。
そして
個々人の物語が
沢山縒り合わさった結果として
演繹でも帰納でもない
内的必然性の収斂の中で大きな物語が結晶し
実存の言葉を支えるようになっていくのではないだろうか。
つまり
個人が物語を深める作業は
現代社会の持つ、世界を裁断しようという異様とも思える野心とは無縁であり
人間社会で亘古亘今続いてきた
人知を超えたものへの配慮が育まれるときに不可欠な
揺籃であったはずである。
この作業なしでは
実存と繋がるどんな世界の解釈も存在できないのではないだろうか。
翻って
日本にいて思うのは
過剰な記号の中で生まれた
”世界全体が理解可能である”という思い込みと
”世界を理解した”と思うことから得られる
麻薬のような快楽で中毒になっている様な
説教臭い酔っ払いを眺めているような異質感である。
個人の物語を見つけていく作業が
お手軽な世界理解にすり替わっている。
だから
一見個々人の物語に見紛うものも
お手軽な世界理解の変形版でしかないことがある。
個人の物語は本来
本人の実存的経験から来る一次情報から創造されるものであり
二次・三次情報から作られるものは
実は
個人の物語とは呼べない贋造ではないだろうか。
大きな世界を説明し尽くそうとする意志が氾濫している現代
お手軽な世界理解を誘発するような情報体系であふれる現代
私には
個人が物語を紡ぐという千古不易な営みが
安易な記号化の元で繰り広げられる陳腐な因果律や論理に
取り込まれてしまっているように思える。
『平時の表現形式』のせいで上手く隠されてしまっている実存的主題について
それを掘り下げる人間の根源的な意志が
判り易い論理で代替されているように思えてならない。
『平時の表現形式』を使い続けていると
恰も世界が理解可能なように思え
世界を言い切ってしまい
実存的主題さえ単純な因果律で言い切って
お手軽に不安を解消して
物語を取り溢しながら
快楽を得ている。
日本に帰ってきて思うのは
全体的に
そういう安直な快楽で麻薬漬けにされているような
清朝時代の阿片窟のような
甘い窒息感である。
日本では
『客観的な世界理解などは有り得ないはずだ』
と主張することが憚られるぐらい
世界は理解可能だと仮想してしまっているように思う。
思想史からみれば
”世界が理解可能である”という認識上のスタンスは、今に始まったことではない。
カントがコペルニクス的転回と称した認識の仕組みというのは
”我々の認識が対象に準拠しなければならない”のではなく
”対象が私たちの認識に準拠しなければならない”とした点にあるが
彼が設定した”物自体”という概念が孕む勇み足は、
カントが敬虔なキリスト者であったことで補完されていたと思う。
”物自体”を認識することは出来ず
我々は”現象”にのみアプローチが可能であるという考え方と合わせることで
”対象が認識に準拠する”範囲を現象に留めたことが
私には
彼の信仰心の表現方法の一つだと思える。
ハイデガーによれば
”Weltbild”(”世界統握”)の時代とは
”世界というものは
始めから人間によって細かく調べることが可能で、それによってコントロールも出来るもの”
という
西洋に萌芽した認識が普及した時代である。
西洋では中世の頃
”実体は
スプシステンチア(それ自体)とスプスタンチア(諸性質や属性)の2つに分けられる”
と考えられた。
そして近代では
存在に対する諦めなのか居直りなのか
スプスタンチアのみが重視されることになった。
つまりWeltbildの時代では
世界は統握でき裁断できる対象なのである。
私の理解では
ニーチェの言う”真理への意志”も
理解可能な世界という虚構に恋い焦がれた中で生まれる。
この文脈で言えば
私には
現代が”スーパー・スプスタンチア時代”とも呼べる状況にあると思える。
現代では
近代の様々な悲劇の一因となった思想について
それらは過去のもののように語られるが
実際に人間を動かしている主要な世界観は
近代或いはそれ以前の
Weltbildの儘ではないか
と思う。
物自体の世界は
追いやられている。
現代では
”実体=属性”というところで思考を停止させておくことが流行りである。
社会の駆動力となっている多くのシステムが
属性を実体そのものとした上で成り立っているからである。
記号化された属性について表象性を疑うことは少ない。
ハイデガーの言う
”気遣い”や”意味関連”とは本来
存在者の意味関連として意識されるものだが
現代は
膚浅な記号群で構成された精緻なシステムのなかで
擬似的な”気遣い”・”意味関連”とすり替えられている。
このことが本来の実存的主題を遠ざけているのかも知れない。
或いは
実存的主題を安直に記号化した世界観のなかで
擬似的な意味関連を実感したように錯覚して
個人の物語が安直な世界観で代用されてしまうのかも知れない。
危機感の規模が大きいほど
それは国家レベルの構造を思考の射程とするから
そこに現れる様々な似非意味関連に惑わされる。
或いは
国家レベルでの思考の中に紛れ込んでくる
実存的主題の形ばかりの解消に騙される気がする。
危機感から生まれた世界観は政治との親和性を持ち易い。
私は
それがハイデガーがナチズムに接近した理由なのか
とも思う。
危機感で熱くなった時代の”意味関連”では
思想の”余白”のような部分に夢を託せる気がしてくるから
注意が必要である。
ともあれ
実存的世界に目を向ければ
世界がいつまでも不可知なものだと解る。
個人の”物語”の発見は
御手軽な世界理解とは全く異なるものである。
なのになぜ”物語”とお手軽な世界理解が等価と錯覚されるのか。
私には
実存的主題は常に不安を伴い
その不安を解消する為に
快感が要請されるから、お手軽な世界観が忍び込んでしまうのだと思う。
久しぶりに長く滞在している日本には
不安を解消する快感を得る為だけに作られたとしか思えない世界観が溢れ
不安を抑えたい人々は
それを貪る衝動に襲われている気がする。
ただ
一時的に不安を抑えることが出来ても
無意識では薄々”簡単に世界理解出来る筈がない”と気づいているので
焦りは更に増して
また別の”確からしい”世界理解を求める”情報教”に陥る。
聖書のヨブ記を引き合いに出すまでもなく
実存的主題の背後には真意の計りかねることばかりが迫っている世の中である。
シェラレオネやアフガニスタンや東北で起きた出来事について
個々人を主語にして語ろうととすれば
論理学的因果律で言語化することは心にとっては不毛なことである。
構造を分析して科学的に語っても魂にとって剴切な言葉は出てこない筈である。
換言すれば
ヨブ記の内容を
パワポ5ページでクライアントにプレゼンしても
A3一枚に見える化してプロジェクトリーダーにレポートしても
ヨブ氏に起きたことが内含する深淵にはなかなか迫れないであろう。
実存的主題について思い巡らすことは
世界を俯瞰しようという快楽とは別である。
旧約聖書の時代から延々と主題とされて来たことが
現代となって
まるで小学生の算数のように簡単に説明されてしまっていると感じる。
納得の体系が非常に浅くなっているような気がする。
日本に滞在して半年以上が経つが
小説や映画やテレビ、漫画で繰り広げられるドラマの多くに
何やら全体を説明する視点があって
気になる。
日本の小説やドラマを全部知ってる訳では勿論ないから
単なる私の思い込みかも知れないが
戦いや革命の成り行きが既知の歴史小説のように
まるで神様の様な視点を確保した上で
眼下の物語を見ているような感覚である。
勿論ここで私は
そういうドラマが存在してはならない
と言いたいのではなくて
そういうドラマばかりが流行ってしまうことの意味を考えているのである。
そういうドラマが流行ってしまうくらい
不明瞭な世界で埋没していることの強い不安が変形して顕在化していることに危惧を持つのである。
世界統握の背後には
何らかの構造的な分析がある訳で
世界をシステムとして理解する訳だから
そこに余りに耽溺すると
まるで電車やエレベータに乗るときの様な
疑いのない操作性と万能感が生まれると思う。
これは
システムに属するということが宿命的に生み出すものである。
システムの外から見れば
それは
自己愛としか思えないカタルシスと自己肥大の腐臭に溢れている。
閉塞感・絶望感と
操作性・万能感は
親和性が高いと思うのである。
そして
NGO業界で勤務してきて驚いたことは
NGOは言うに及ばず
業種に関わらず
国に関わらず
国際組織かドメスチックな組織かに関わらず
多くの組織の
うたてある主どもの中には
枠組みを作って絵を描くことに快楽を見出している者が沢山いることである。
そこは
プラスチックワードとネームドロッピングで溢れ
ジャーゴンに酔いつつ使い捨てている。
見渡したようなドラマが供給する快楽と同様の
自己愛のカタルシスが耐え難い。
日本に戻って電車に乗っていると
心の芯から疲労して見える人がいるが
私には
お手軽なカタルシス中毒の飽和で
システムの中で暮らしながら夢想した際限ない万能感が
存外満たされないことを知って神経に触り
余りに神経に触りすぎて
虚脱しているようにも思える。
この手の『平時の表現形式』に依存した儘で
形而下的な課題に対応し続けていると
いずれ
実存的な課題に目を向けないことから生じる不安で鬱積した
無意識レベルのモーメントが
変形した形で形而下の事象として溢れてしまいそうな気がする。
だからこそ現在
自然災害や原子力問題、経済問題などを発端に
様々な形で溢れだしているリアルに臨んで
多くの人が実存的主題に取り組んでいる今
その取り組み方でこそ
我々現代人の器量が試されているように思う。
これまで『平時の表現形式』ばかりに親しんできた我々が
下手に実存に手を出せば
実存的主題の様々な局面で
自覚のない儘に心地よい『平時の表現形式』のお手軽さに嵌り
判り易くて気持ちのよい簡単な言葉を
自分の”物語”だと違戻してしまうのではないか。
そして
そのお手軽に生まれた“物語”に陶酔したり
なんとなく参加してしまうことが
似非神話の醸成に繋がり
それが二次的な悲劇を生むのではないか。
人間が言語の使用を選択した以上
論理学的な過剰は避けられないのかもしれない。
しかしそれが
世界の認識にアンバランスを生み
歴史上
言説が暴力的な力をもって
戦前のイデオロギー闘争や全体主義のような
思想が形而下世界を強引に制御する悲劇が
繰り返し発生してきたのだとすれば
現代の人間は
それを避けることに今少し聡睿であるべきではないだろうか。
メディア論によれば
『新聞やラジオなどの”熱いメディア”は
参加者の絶対数が多い、電話やテレビ、インターネットなどの”冷たいメディア”に移行していて
国民国家が意図するような
国家の物語を作り難くなっている』という。
国民国家の大きな政府に対する不信感が
80年代の新保守主義を生んだとも言われる。
これにグローバル化した経済が同期して
アメリカを中心にした経済圏が金融経済を主体とした経済成長を獲得した
というストーリーである。
だから
『”冷たいメディア”が主流の現代に近代のようなイデオロギー闘争は発生しない』
という楽観的な考え方があるが
果たしてそうだろうか。
国家の体をなしていないアフガニスタンでの八年間で私が感じたことは
この世では厳然として
貪欲な国益・域益を代表とする主体が
政治・経済・軍事の動力となっていることである。
アフガニスタンに住む吹けば飛ぶようなNGO職員にとって気になることは、
国民国家としてのアフガニスタンが
更に大きな範疇で構成される覇権の中に埋没していく際に
それら覇権を代表する様々な主体が
巧拙の違いはあれ
様々な言説で自・他国民を納得させる修辞を探し蠢いていることである。
前近代的とも言える主体性である。
そして
いずれ世界の新しい覇権主体が顕然化する過程では
それらの言説を道具にした悲劇が起こりそうな気がしてならないのである。
幾ら”冷たいメディア”によって散文化された民意も
将来
地震や洪水等の天変地異
中産階級が消滅して格差が増す経済不況
食料・水・エネルギーの獲得競争
広範な地域を真巻き込む軍事的衝突など
実存的危機をもたらす災厄の規模が更に大きくなったとき
我々は
心地よくて怪しい言説に寄り縋らないでいられるだろうか
散文化した言説の中で不安感に耐えられるだろうか。
私には
『平時の表現形式』の儘の無防備さでは
奇妙な言説が多数の人々を納得させてしまうような気がして怖い。
経済大国という位置から貶降しようとする日本は
中国やアメリカという覇権主体のヘゲモニー争いの中で
相当上手く渡り歩いて生き抜くしかないという点では
地政学的な要衝にあるアフガニスタンと同じであると思う。
そこで
凄味のある人間像を何百年か後の未来の日本の財産として残す為には
軽薄な記号による言説が持つ陥穽に対して毅然とし
或いは
天君泰然として取り合わないでいられる様に
個人の物語をまずは深め
実存的主題に臨む場合の格調を整えることは大事なのではないか。
現在の『平時の表現形式』のままでは心もとない。
実存的主題への接触を
個人のレベルから深めること無しでは
持続的発展とか
循環型経済とか
環境保護とか
共存型社会とか
自然エネルギーとか
一見、『平時の表現形式』からは一線を画しているように見える
もっともらしいキーワードを唱えても
いずれ
記号の海の浮薄な論理に絡め捕られ
心猿意馬、拴縛し定めず
畢竟、その思慮する所は飾詐一邊となるのではないか。
● ● ● 記号量の変遷
お手軽な世界理解の快楽で中毒になっている阿片窟の臭気が
シェラレオネやアフガニスタンから帰国したときに特徴的に体感されるのは
日本とこれらの国とでは
実存的主題を共有するときの”物語”の有り方が大きく異なるからだと思う。
私がその背景として感じるのは
過去のブログの繰り返しになるが
現代における宗教性の代替物として機能している
情報が貨幣のように流通すること自体でその強化が促される
”確かなこと”の体系
”情報教”の存在である。
『平時の表現形式』とは
言わば
この情報教の聖典みたいなものである。
この聖典を支えているレトリックは
記号の流通を担保するための記号群による因果律である。
まるで貨幣のように
表象性は単純になっている。
そこでは
実存的深淵を抱え込めないから
尻に火が付いたような信仰となっている。
『平時の表現形式』という軽薄な言葉しかもたない儘で
単純な記号が蔓延すると
実存的主題に取り組む際に危険性が発生する。
これが、前回のブログの末尾で述べた懸念
『実存的なことを放置することには異議を唱えたいが
簡単に実存に迫ることもまた危うい、ということである』
ということの内容である。
この視点から、私なりに見た日本の近代について、ここで少し概観してみたい。
なぜなら
こういう文脈の中で、日本の近代を省みることが
現代の『平時の表現形式』について客観的になり
その副作用に警戒心を持つために
重要だと思うからだ。
結論から言えば、
戦前のイデオロギーの飽和状態が
記号量の激増による『平時の表現形式』の爛熟の中で必然的に起こったように思えてならない。
歴史の流れの中での記号量の変遷を考える際に
インジケータとして
経済規模を見るべきなのか
出版物の量を見るべきなのか
貨幣流通量がいいのか
見当もつかない。
とにかく
私の仮説は
それらのインジケータが急激に膨れ上がる時期に同期するように
言説が膨れ上がっているのではないか
ということである。
日本銀行の統計資料から見れば
明治初年3000万円にも満たなかった通貨量は
明治6,7年から26,7年までに2億円前後で推移するようになり
その後
大正元年に7億円弱になるまでに急激増加した。
さらに大正5年から8年には10億弱から20億円にまでなっている。
そして
大正8年から昭和8年までは20億円前後で推移した後
昭和15年までには60億円を超し
終戦時では、550億円を超している。
1894年(明治27年)の日清戦争、1904年(明治37年)の日露戦争ののち
大正デモクラシーが1913年(大正2年)~1925年(大正14年)として
その間
貨幣の流通量が大きく伸びる中で
安直な記号群で語られる『平時の表現形式』が
巷間に蔓延したのではないか。
貨幣という単純な価値=記号が
それ以前の時代に比べ急増する時代に
お手軽な言説が蔓延するのではないか。
そしてそこに起こった
1923年(大正12年)の関東大震災や
度々東北地方を襲った凶作で
リアルは溢れ
実存的悲劇が日本中で顕在化したときに
哀しいことに
記号論的世界理解の快感に慣れてしまっていた日本国民は
急激にわかりやすい言説を量産し
自ら盲信するようになったのではないか。
平時の表現形式に慣れてしまった頭では
どんなに危険で極端で視野狭窄な考え方に対しても
極めて記号学的に”納得”してしまう習慣がついてしまっていたので
”どうも胡散臭い”と薄々気が付いても
世界理解の快楽と”納得”の習慣には勝てず
ズルズルと時流に流されていったのではないか。
太平洋戦争になだれ込んだ原因を
経済や国際政治の構造で考えることも大事だが
しかし
国民が戦争をどのように納得し
積極的・消極的に支持・看過したのか、について考えることも大事だと思う。
そこに
各人の信仰を支えている実存的な部分までが関与していたのであれば
民主主義制度が導入されている現代では
国民個人が実存的主題に臨む姿勢は
国の意志決定に大きく影響しているように思う。
ある種の実存的体験を
大勢の人間が
感情や肌感覚を持って共有したときには
幾ら安直な理屈でも
容易には疑うことができなくなる。
実存抜きで豊かさを享受した社会では浮薄な記号論が蔓延し
その後からリアルが溢れた時に
浮薄な記号と因果律の上でイデオロギーが求心力を持つ
という構造は
近代も現在も変わらないのではないか。
経済規模の膨張
記号の大発生
経済の縮小や天変地異をきっかけにした実存への回帰
陳腐な記号での陳腐な実存理解
俚耳に入りやすい思想の蔓延
右や左に関わりない思想による暴力の集約
という流れで考えれば
大きな思想が暴力を集約化した時代の前には記号の爆発があったのではないか。
勿論
上記のメディア論で述べたように、
近代に見られたような形のイデオロギーが現代には復活しないかもしれない。
しかし
これだけ記号化が進んでいる現代
新たな覇権主体が生まれつつある現代だからこそ
可笑しな言説が入り込む隙間は大きいように思う。
最近、街頭インタビューで繰り返される”もっと強いリーダーシップがほしい”という、
非現実的なリーダーシップを夢想するこの傾向は
現代に復活する万能感
高揚感を伴う過去のイデオロギーと同じ匂いがあるのではないか。
記号の海から生まれてくる万能感という精神的な一種の興奮のもとで
実存的な主題を読み解こうとするときに
異様に万人受けする教義が生まれてしまうと
教祖や教団がいかに誠意を持っていても
御為倒しの迎意が無くても
表象性のきわめて怪しい記号を用いて世界を言い切ってしまえば
無防備な我々は信用してしまう。
● ● ● リアルへの佇まい
以上長々と書いたことが
今現在、私が自分の周囲に埋没しながら思う、
まずは私にとってしか意味を持たない物語の一部である。
こういう解釈をする私にとっての、
私が周囲と関わるときの言葉のようなものである。
上で述べた物語に含まれる実存的主題についての問題意識について
”客観的に精査しロジカルに考察して解決策を検討する”
という手順をとることは
私にとっては
優先順位の低い作業である。
なぜなら、そこでは、知らず知らずのうちに
表象性の誤謬を看過し、常に操作性を志向してしまうからである。
まずは、
そういう『平時の表現形式』からの強迫に従うよりも
物語の導出を担う実存につながるリアルに目を向けたいと思う。
だいたい
"解決策を想定して世界を読む"ことほど
実存の物語からかけ離れたことはない。
"問題点を指摘するなら、解決策を示せ"と言うバカが時々いるが
問題が実存的な事柄に接近していればいるほど
解決策など想定できず
また
始めから解決策を提示出来ると楽観したような姿勢で
掘り起こした問題提起ほど
浅いものはない。
特に
NGOのように
実存的な主題と国家的制度の間を埋めるような業種であれば
そんなお手軽な姿勢では
詐謀ばかりが再生産されて
いつまでも真人間として生きることに近づかない気さえする。
この点も
日本に戻って呆然とする『平時の表現形式』のひとつである。
こんな思考に埋没していたら
『Win Win』とか『ビジネスモデル』とかとお気楽に言ってられなくなった時に
すぐ思考停止になるに違いないと危惧する。
なのに
日本で感じるのは
しばしば多くの人々が
率先して『平時の表現形式』を使って意思伝達をしているのに
それが
安直に属性を記号化しただけの言葉であることに無自覚であることである。
私には
それらの意思伝達の多くが
実は没コミュニケーションに思える。
戮力するのに不可欠な組織是が
互いに切磋琢磨されず薫陶されず
遂には実務の舵の方途までが成り行き任せとなり
まるで思考停止状態の雛鳥のようである。
ともあれ
私は
私の物語については
『平時の表現形式』的思考法はとらない。
"私"という一人称で考えるなら
生まれてこのかた
ずっと愚かしく生きてきたお馬鹿さんの私が
今後もう少しは真人間になる為の心構えとして
"どんなふうな姿勢でリアルに昵比していくか"
というところが
私のこれからの物語の修辞を支えるように思う。
だから、私としては、リアルへの佇まいを鍛錬していきたい。
現代は
世界を統握して裁断する意志に溢れていて
疲倦この上ない時代であるが
実存の言葉を用いてリアルに臨み
自分の物語を彫琢することをもって端緒にすれば
私如きにも
他人の物語の深淵さを少しは忖度出来るようになるかも知れない。
そうして初めて
お手軽な世界理解の快楽との距離感をもっと上手く掴めるようになるかもしれない。
それが基本として備わった真人間になるべく研鑽しないと
”手遅れと知りつつ最善を尽くす”という凄味のある気概は
永劫に私には身につかない気がするし
自分の仕事にひきつけて言えば
原義的な意味での国際援助や緊急支援業務に肉迫出来ないような気もする。
(続く)