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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

謝らない趣旨感情

http://ttensan.exblog.jp/d2015-09-21/

法則概念の中に不正を暴く構造が定理付けされている。誰に対して設けられているのかと言う事ですが、人間が人間に対して法則概念を適用しているのです。

何で人間が人間に対して罰を被らせるのであろうか?その罰を被らせる意義は何であろうか?

人間である事の証明をさせるのですが、人間でないならばその罰を被らせる必要もないわけで、人間であるならば罪の意識を持っているであろうから、その罪を改めるべく侵してはいけないよとの戒めであり、人間の在り方を法則概念において説いているともいえる。

誰しも過ちがあるからその過ちを正して戒める事を第一義に醸している法則概念であります。

ここに罪を犯しても謝らない構図があることも事実で、罪を犯したと感じてじないと言う事もあるわけで、認識力の差が各々において違うと言う事です。

謝りの認識を持っていないのなら、始めっから誰も相手にしなくなるであろう、何ら付き合っても得るものはなく無駄だと言う事であります。

何となれば謝りの構図が存在しないと言う事は、居丈高に相手を見下している構図に相違なく、従属物に仕上げたい為の行為にほかならず、資する感情の中に過ちの構図が存在しないと言う意味になる。過ち構図の無い物言いは成立しないものであり、人においての物言いでないことになる

総体的に欠落した物の考え方しかできないと言う事であり、人間主体の考え方が存在していないと言う事になります。

つまり相手側に存在する謝りの構図を無視した付き合い方になり、効力概念を否定した仕草になる事です。人間の効力概念を否定した物言いになる事です。

我は人間の持ち合わせる効力概念を破棄しているのでありますから、そこんとこ間違えんようにお付き合いくださいませねえと言う事です。つまり相手側を動物感情になぞらえて見下げている事になります。

こんなんと付き合ってみても何ら得るところはないでしょう。あっちへ行ってくれとなるでしょう。まだ付き合ってもらえるから感謝しなければならないのですが、そこまで意識感覚があればの話ですが、、、。

資質観念像を自らこしらえねばなりません。あるいは国家ごとの、民族ごとの資質から執り行う事になります。従属物観念像を破棄してのものですから果たして成果があるのかどうかであります。

人においての観念像を仕上げる形になると思います。

相手側にも謝りの構図が存在しないものとして話をすれば別ですが、、、。
謝り構図は日本人であるのかないのか見分ける方法にもなりましょう。
反省謝罪は気質向上心の上に成り立つ概念であります。
  1. 2015/09/21(月) 12:46:26|
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