ゲームの企画者ってのは日本のゲームの現場での職域だが。(海外ではあんまりない)
最終的な立ち位置は、ゲームデザイナー兼、コディレクター兼、その他何でも屋、みたいな感じだろうか。
これの育成ってどうするんだよ。って与太話があり。思ったことを取り留めもなく書いておく。
酒が入っているのでひどくなる。あとで直すか消す。
最終的な立ち位置は、ゲームデザイナー兼、コディレクター兼、その他何でも屋、みたいな感じだろうか。
これの育成ってどうするんだよ。って与太話があり。思ったことを取り留めもなく書いておく。
酒が入っているのでひどくなる。あとで直すか消す。
■キャリアパスをどうするか
俺はゲームを作るにあたって色々な蓄積があり小技を持っているが。これをじゃあ誰かに全部教えるとして、誰かそれを聞きたい奴が居るか。話のタネとして聞く分にはいいとして自分の身に着ける気で聞く気があるか。あんまりトク無いんじゃないか。みたいな。
これは、わざと露悪的に書くが。
このゲームは僕が考えましたぁ。とドヤ顔してインタビューに答えるとかはしたいが、面倒なことはやりたくない。
このキャラがいい、この声優がいい、この音楽がいいといった雰囲気仕事はしたいが、面倒なことはやりたくない。
思いつきのアイデアを出してそれを作りたいが、調整やデバッグを丁寧にやるのは人にやらせたい。
そういう人は幾らでもいるが。
そこに一番簡単に近づくには現場スキルよりも政治力だ。
基本的にゲーム制作は雪かき仕事、面倒事のオンパレードだから、ほしいのは現場で役立つスキルだ。合致しない。
スクラムだアジャイルだと言っても最後はドブさらいなわけで。上手いドブのさらい方、ドブさらいがマシになるような仕事の進め方。そういうスキルが役に立つ。
しかし覚えるとそれをやるハメになる類の仕事。
これらを覚えてやれるようになったとして、キャリアパス的に本当に有利なのか。政治力高めたほうがトクじゃないのか。
昔はそんな打算なしで仕事してた人のほうが多かった気がするが。どうだろうね。
あと自分の世代と最近の若者との間に、ちょっと断絶的に層が薄いところがあるように感じる。
コンシュマ→携帯ソシャゲ→リッチ携帯ソシャゲ という時代の流れの中で。携帯ソシャゲ付近で一度人数が減ったからじゃないのかとか適当な推測ができるが。
その所為もあってキャリアパスが良く見えないらしい。
このあたり本当に日本の労働雇用形態の事情でしかないのだが。日本にいる限りは仕方ない。
人材流動性が無いからね。
■椅子の数の問題
ゲーム1本作るには何人必要か。コンシュマでは大きいと120人ぐらいの現場があった。携帯ソシャゲ(ブラウザ)では4人ぐらいで回すことが多かったようだ。携帯もスマホになってネイティブアプリではかつてのコンシュマのような規模がレアケースではなくなりつつある。
1プロジェクトに大人数が必要ということは、頂点付近の椅子の数が足りない。
その能力を磨いても、座れる椅子に限りがある。
もうちょっと椅子の多い場所を目指した方が得ではないか。利口ならそう考える。すると開発能力を高めるインセンティブがない。
これもまぁキャリアパスの問題ではあるが、ちょっと角度が違う。
■属人性の問題
ゲームデザイン能力というのは、大抵はロジックだが、やはり俗人性が高い部分もある。
現場を回す能力というのもこれ、俗人性の塊である。強烈な権限があればまたちょっと違うが。基本的には色々な人とうまくやり取りする必要がある。
仕様書の書き方だって、読む人に合わせるとか、書き方はぬるいが説明がうまくてフォローが細かいとか。これまた色々人それぞれの技がある。
人それぞれ過ぎて、教えてどうこうなるのかコレというお話。
こんなものは、ゲームの企画職に限らず、サラリーマンやってたらいくらでもある事なのだが。
なんというかゲームの現場では「基本的にこれだけはこなせなければならない」という部分が少ない気がする。
こなせない部分を人に頼るやり方がわりと成立するから。
ヘタすると、最初に露悪的に書いた、楽しい所しかしたくないような仕事の仕方が通ってしまう場合がある。
通るならそっちの方がラクだ。
スキル形成するメリットがない。
俺の昔話で恐縮だが「この仕事をやってくれ」「俺はそれ出来ないし、覚える気も無い」みたいな会話ね。
■難しい
酔っ払いの文章なので、実などは無いのだが。とりあえずまとめておく。
人材の流動性が高い場合、こういうスペックの人が欲しいと求人して得る事が出来る。
個人はそのスペックを磨き上げればいい。
シンプルだ。
まぁ歳食うと大変だし、市場が変わるとスキルがパアになったりする。
逆を言えば日本の仕事は、歳食ってもどうにかなるようにするために、仕事としてはイビツになる。仕事と人生が繋がってるから。
そのうえで、ちゃんと定年までは食るのが確定しているわけでは当然無いので、労働者にも雇用者にも結構キビシイなと思う。
あとねー。
俺が就活してた時代は、ゲーム業界を選ぶのはちょっと頭がおかしいというか、バカというか。まともな人生を諦めてるというか。べつにそういう奴ばかりではなかったのだろうが、俺の周りはそんなのばかりだった。
今は、何だかんだで、ゲームは食える、稼げる職種だから。(外からはそう見えるらしい)
いろいろ、ゲーム制作に対する思いも違うらしいね。
そりゃ企画職育てにくくもなるなーと思う。
ちなみに出来る奴は最初っから全部できる。育てる必要殆どなし。
もひとつ。
自分の考えをぶっちゃけると、ゲームの中身考える人と予算考える人は分けておいた方がいいと思っている。
日本では同じ人がやることが比較的多い。キャリアパス的にも一直線に並ぶ。
放火魔と消防員を同じ人にさせるようなものだから。上手くいけばいいが。上手くいかないとヤバい事になりやすいかと。
これも企画職になにをどう学ばせるかって所で話がややこしくなりやすい原因かもと思う。
酔っ払いの戯言なので、あとで直すか消すかもしれない。書いたこと忘れるかも。
俺はゲームを作るにあたって色々な蓄積があり小技を持っているが。これをじゃあ誰かに全部教えるとして、誰かそれを聞きたい奴が居るか。話のタネとして聞く分にはいいとして自分の身に着ける気で聞く気があるか。あんまりトク無いんじゃないか。みたいな。
これは、わざと露悪的に書くが。
このゲームは僕が考えましたぁ。とドヤ顔してインタビューに答えるとかはしたいが、面倒なことはやりたくない。
このキャラがいい、この声優がいい、この音楽がいいといった雰囲気仕事はしたいが、面倒なことはやりたくない。
思いつきのアイデアを出してそれを作りたいが、調整やデバッグを丁寧にやるのは人にやらせたい。
そういう人は幾らでもいるが。
そこに一番簡単に近づくには現場スキルよりも政治力だ。
基本的にゲーム制作は雪かき仕事、面倒事のオンパレードだから、ほしいのは現場で役立つスキルだ。合致しない。
スクラムだアジャイルだと言っても最後はドブさらいなわけで。上手いドブのさらい方、ドブさらいがマシになるような仕事の進め方。そういうスキルが役に立つ。
しかし覚えるとそれをやるハメになる類の仕事。
これらを覚えてやれるようになったとして、キャリアパス的に本当に有利なのか。政治力高めたほうがトクじゃないのか。
昔はそんな打算なしで仕事してた人のほうが多かった気がするが。どうだろうね。
あと自分の世代と最近の若者との間に、ちょっと断絶的に層が薄いところがあるように感じる。
コンシュマ→携帯ソシャゲ→リッチ携帯ソシャゲ という時代の流れの中で。携帯ソシャゲ付近で一度人数が減ったからじゃないのかとか適当な推測ができるが。
その所為もあってキャリアパスが良く見えないらしい。
このあたり本当に日本の労働雇用形態の事情でしかないのだが。日本にいる限りは仕方ない。
人材流動性が無いからね。
■椅子の数の問題
ゲーム1本作るには何人必要か。コンシュマでは大きいと120人ぐらいの現場があった。携帯ソシャゲ(ブラウザ)では4人ぐらいで回すことが多かったようだ。携帯もスマホになってネイティブアプリではかつてのコンシュマのような規模がレアケースではなくなりつつある。
1プロジェクトに大人数が必要ということは、頂点付近の椅子の数が足りない。
その能力を磨いても、座れる椅子に限りがある。
もうちょっと椅子の多い場所を目指した方が得ではないか。利口ならそう考える。すると開発能力を高めるインセンティブがない。
これもまぁキャリアパスの問題ではあるが、ちょっと角度が違う。
■属人性の問題
ゲームデザイン能力というのは、大抵はロジックだが、やはり俗人性が高い部分もある。
現場を回す能力というのもこれ、俗人性の塊である。強烈な権限があればまたちょっと違うが。基本的には色々な人とうまくやり取りする必要がある。
仕様書の書き方だって、読む人に合わせるとか、書き方はぬるいが説明がうまくてフォローが細かいとか。これまた色々人それぞれの技がある。
人それぞれ過ぎて、教えてどうこうなるのかコレというお話。
こんなものは、ゲームの企画職に限らず、サラリーマンやってたらいくらでもある事なのだが。
なんというかゲームの現場では「基本的にこれだけはこなせなければならない」という部分が少ない気がする。
こなせない部分を人に頼るやり方がわりと成立するから。
ヘタすると、最初に露悪的に書いた、楽しい所しかしたくないような仕事の仕方が通ってしまう場合がある。
通るならそっちの方がラクだ。
スキル形成するメリットがない。
俺の昔話で恐縮だが「この仕事をやってくれ」「俺はそれ出来ないし、覚える気も無い」みたいな会話ね。
■難しい
酔っ払いの文章なので、実などは無いのだが。とりあえずまとめておく。
人材の流動性が高い場合、こういうスペックの人が欲しいと求人して得る事が出来る。
個人はそのスペックを磨き上げればいい。
シンプルだ。
まぁ歳食うと大変だし、市場が変わるとスキルがパアになったりする。
逆を言えば日本の仕事は、歳食ってもどうにかなるようにするために、仕事としてはイビツになる。仕事と人生が繋がってるから。
そのうえで、ちゃんと定年までは食るのが確定しているわけでは当然無いので、労働者にも雇用者にも結構キビシイなと思う。
あとねー。
俺が就活してた時代は、ゲーム業界を選ぶのはちょっと頭がおかしいというか、バカというか。まともな人生を諦めてるというか。べつにそういう奴ばかりではなかったのだろうが、俺の周りはそんなのばかりだった。
今は、何だかんだで、ゲームは食える、稼げる職種だから。(外からはそう見えるらしい)
いろいろ、ゲーム制作に対する思いも違うらしいね。
そりゃ企画職育てにくくもなるなーと思う。
ちなみに出来る奴は最初っから全部できる。育てる必要殆どなし。
もひとつ。
自分の考えをぶっちゃけると、ゲームの中身考える人と予算考える人は分けておいた方がいいと思っている。
日本では同じ人がやることが比較的多い。キャリアパス的にも一直線に並ぶ。
放火魔と消防員を同じ人にさせるようなものだから。上手くいけばいいが。上手くいかないとヤバい事になりやすいかと。
これも企画職になにをどう学ばせるかって所で話がややこしくなりやすい原因かもと思う。
酔っ払いの戯言なので、あとで直すか消すかもしれない。書いたこと忘れるかも。
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2015/07/03(金) 12:06:43 | IT社員の公私混同
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