物語とゲーム そして次のゲームの物語
 そもそもゲームに物語はなかった。

 ゲームとはルールであった時代。それはスポーツであり採点であり勝ち負けだった。

 以後、ビデオゲームの話に絞る。

 大きな転機はアドベンチャーゲームである。
 行ってしまえばアドベンチャーゲームはパズルに物語を付与したものだ。
 あるアイテム、ある証言、ある行動、用意された正解を選ぶことで物語が進行する。

 次の転機はRPGだ。
 CRPGはアドベンチャーゲームに経験値による成長システムを組み込んだものとみることができる。
 用意された正解に幅ができた。パラメータによる自由度。

 ドラゴンクエストが、少年の成長物語を選び、少年ジャンプのような爆発的な成長を表現することで、RPGシステムとその物語は合致した。以後未だに日本でもっともプレイヤー人口が多いゲームジャンルとなっている。

 ゲームの褒章として、物語は強く機能した。

 今もっともプレイヤー人口の多いフォーマットは携帯ソシャゲである。
 携帯ソシャゲにもRPG的物語は流入した。

 しかし、ソシャゲと物語とは、徹頭徹尾相性が悪い。
 物語は没入を必要とする。ソシャゲは断片時間で没入せずに遊ぶものである。


 更なる物語の断片化が迫られる。

 この流れは別にゲームに限らない。
 長い物語は断片になり、短文テキストに姿を変えた。
 長い映像作品は断片になり、webの断片動画になった。
 映画を見るよりyoutubeやニコ動で低解像度の満足を得る時代になった。
 長時間拘束されて得る物語より、短時間でソコソコの断片が望まれる。

 そもそもゲームで物語を語るとは、いかに断片化するかだった。
 今始まったことではない。
 コマンド入力で物語が進むアドベンチャーゲームは、ページをめくるように、1つの行動が断片化されている。

 それがさらに今のゲームシーンでは先鋭化する。

 ドラクエにおける物語の語り口は町人のセリフであった。魔王のセリフであった。
 1つの物語を、数バイトのセリフに断片化し読む順にある程度の自由度を与え、プレイヤーが自らそれを摂取した。

 ゲーム自体の断片化にそって、物語はさらに断片化する。
 誰かに話しかけた瞬間、長大ムービーの大演説なんかは見たくないから、それは必然でもある。

 手軽に物語性を摂取できる仕組み。

 カードゲームのフレーバーテキスト。
 ユニットプロフィール。

 記号としてのユニットキャラクター。
 萌える、燃える、記号。セリフ。定番の断片。シチュエーション。

 版権もののバトルシーンのように拝借したセリフの羅列。
 無版権オリジナルですら、セリフの断片のみ。

 良し悪しでなく、そういう方向に流れている。

 この場合、物語とは何か。それは「キャラクター」に集約されていく。
 キャラクターは物語の構成要素だが、商品として消費されるのはキャラクターだ。

 かつて小池一夫は漫画はキャラクターであると言った。まったくその通りだと思う。
 商品としての物語とはキャラクターだ。

 物語の商業的な良し悪しは、それ自体よりもそれを背負うキャラクターによる事が多い。
 背負ってなくてもキャラクターが良ければ背負って見える。

 といったあたりまでが、現状認識としての最適解じゃないかしらん。

 この先の小技はもテキスト化したけど公開する価値がないし、まぁ個人的なネタ袋だ。



 以上。断言調で書いたが別に断言できる内容ではなく。
 世の中なんだって例外は存在するし、嗜好品であるゲームなどは例外こそが面白い場合も多い。
 言葉を丁寧に選んで書くこともできるのだろうが、そういった煮え切らない文章は書くのも見るのも詰まらないので時間の無駄を省いておく。
 理解する気のない人への説明は無駄だから自分メモとしてはこれでいい。
 むしろこの断片でわかる人相手には100を語る必要はなく1を語ればあとは通じるし。

 頭の中であれこれ考えるのでは出ない答えが文字列に起こしたら出るというのは結構あるもので。
 そこで答えが出なくても、何かの拍子で答えのきっかけになったりもする。
 時々、わーっと描きとめておく。

 似たようなことは数年前にも書いているが(娯楽の低解像度化と断片化)、ソシャゲのおかげでさらに進度を増した。
 この先どっちに転がるかは注目しておきたい。


2014/01/08(水) 06:27:52| 固定リンク|ゲーム| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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