見て来たので感想を。
以下ネタバレ。
■お話
日本が太平洋戦争に向かう中、『美しい飛行機』に情熱を注いだ設計者の10年余り。
以下ネタバレ。
■お話
日本が太平洋戦争に向かう中、『美しい飛行機』に情熱を注いだ設計者の10年余り。
■感想
非常に面白かった。
とても良い映画であり、とても酷い話であった。
この場合の酷いとは、作中で主人公に対して向けられる言葉『薄情』の酷いを指す。
薄情な男が自分の理想を追い求め、あらゆる他人の犠牲も悲劇も目に入れず(存在は知っているが興味を向けず)生きたお話として見た。
才能を持つものが、それを振るい、美しい空と飛行機と、その下で燃える街と焼け出される庶民とのコントラストとなり、それを映像で訴えかける作り。
主人公がエゴイストで薄情である事が再三表現される。
上流階級であり、それなりの所作を身につけ礼儀も正しいが、それは所作だけのもの。
、庶民に関心を払わない。払うにせよただのエゴイズムの発露。
人の話を聞かない。上司もクライアントである軍人の話も聞いていない。不美人として表現される妹の話も当然聞いていない。
多くの市井の人々が主人公の周りに居るが一向にに興味を示さない。
だが視界に奇麗な女性が入るとかならず目線をやる。
現実の酷さを忘れ、美しい飛行機をつくる事が夢で良いと主人公を駆り立て免罪を与える著名設計者カプローニは主人公の脳内だけのものだ。
そして、最後に許しを与える妻も、現実のものではない。共に主人公が言って欲しい台詞を言っているだけ。
徹頭徹尾自分勝手に美しいものに惹かれて、それ以外の犠牲に注意を払わない。
そういう男の目を通して描かれた世界。
だがしかし、飛行機は美しいし、空を飛ぶと言う事は、とても美しい。事の是非は置く。
思わせぶりに発生する各種の事件も事象も人物も「色々あったが美しいものが好き」の「色々」でしか無い。
みたいな感じ。
戦争で庶民が焼け出されようが、ヨメの死期が迫ろうが、奇麗な飛行機つくりたい。ピラミッドのある世界とかなんとか、自分の夢想の中でその状況を有耶無耶にごまかしながら生きている男の「薄情さ」を描き、しかしその男が飛ばす飛行機も空も奇麗だなと。観ている観客も共犯関係に置いてしまう。観客は焼け出される庶民の立場なのに。
お話の構造と映画の構造が入れ子になっている。
あんまりこういう見方はしたくないが、宮崎駿のアニメーションと仕事に対するスタンスみたいなものも入れ子になっている。
戦争キライと言いながら兵器が好き、自然回帰を歌いながら電気使ってアニメを撮影する。そういう関係。
そうやって色々な言い訳を自分に適用し、美しい飛行機という夢を優先してきた主人公は、しかしながら最後に飛行試験の結果よりも妻の気配を優先する。
いい話だ。
しかしその後に、脳内の妻に「生きて」とまで言わせてしまう。
酷い話この上無い。すげぇ。
そういうの含めて、映画だなぁという作り。
個人的にはとてもいい映画だと感じた。
■違和感
映画への違和感では無い。
主にネットで見かけた文章への違和感だ。
『この映画は解り難い』『なぜなら迂遠な表現をしているからだ』『カプローニは全て二郎の心の中の出来事なんですよ』『最後の菜穂子も心の中』『最後の飛行成功は菜穂子の生死と引き換えですよ』みたいなことを、「難しい表現の映画から汲み取って解説する」的な文章が有ったのだけど。
これ、そんな解り難い映画か?ベタで解りやすいし、普通に映画館に来るような客なら、当たり前に理解しているだろう。
正直、ベタ過ぎるのではないかと思わせる演出も多い。
それに対して上記の言説は観客を馬鹿にしているように感じた。
もしくは「いやいや俺は解ったよ」という優越感をくすぐるやり方。どっちにしろ馬鹿にしてる。
あと、別に映画なんて解らなくてもいいんじゃないのか。
人それぞれの楽しみ方、解釈が有っていいと思うし、解釈の余地を大きくとる作り方をしているし。
解釈に踏み込むのもそれを述べるのもそれぞれの勝手だが、踏み込まないのもまた勝手だと思う。
この映画、主人公とヒロインでどっちが主導権を握っているのか分からない書き方をしている。見方によってずいぶん違う。どう重ね合わせるかは見る人次第だと思う。
ヒロインは結核持ちで、結核は人に移る病だが主人公と関わる。
2人は緩やかに破滅していくわけで、それは国の有り様とも重なる。
そもそも上司の奥さんは、一歩引いた日本女性的だが、完全に旦那をコントロールしている。ヒロインも状況をコントロールしている。
主人公の妹は、一般的な視点で主人公を薄情だと非難する。事実薄情である。
だが、主人公とヒロインの間ではそれは最初から同意された行動であるし、ヒロインもたいがいなもんだ。
映画に対する回答が複数用意されているのは、最近の宮崎映画のパターンだがそれはやはり、どう捉えてもよいのだと思う。
■どうでもいいこと
主人公の声を庵野がやっていたが。
いわゆる技術者のしゃべりや、声、ってああいう感じだ。よくもまぁつれてきたと感じた。
結果的に成功だったように聞こえた。(俺には)
あと「物を作る人」は、この映画の、なんとなくソワソワした感じ、主人公の上の空の心ここにない感じ、戦争が始まるのはナニだがそれはさて置き飛行機作ろう、的な、それで居てフツフツと来る感じ。あれが自分の体験と重なって見えるのではないか。
重なるよあれ。どんな時でも妄想が止め処無く流れるあの感じ。
逆ガルウィングの九試単座戦闘機という、やたらめったら美しい飛行機が、この話のスジをピシっと通していて、あれは惹かれる。
ゼロ戦は、ほんとに最後にちょっと出るだけなのだけだが、それはもう美意識の問題なのだろう。
自分にはとても面白かった。
風立ちぬ(堀辰雄)(タダ!)
非常に面白かった。
とても良い映画であり、とても酷い話であった。
この場合の酷いとは、作中で主人公に対して向けられる言葉『薄情』の酷いを指す。
薄情な男が自分の理想を追い求め、あらゆる他人の犠牲も悲劇も目に入れず(存在は知っているが興味を向けず)生きたお話として見た。
才能を持つものが、それを振るい、美しい空と飛行機と、その下で燃える街と焼け出される庶民とのコントラストとなり、それを映像で訴えかける作り。
主人公がエゴイストで薄情である事が再三表現される。
上流階級であり、それなりの所作を身につけ礼儀も正しいが、それは所作だけのもの。
、庶民に関心を払わない。払うにせよただのエゴイズムの発露。
人の話を聞かない。上司もクライアントである軍人の話も聞いていない。不美人として表現される妹の話も当然聞いていない。
多くの市井の人々が主人公の周りに居るが一向にに興味を示さない。
だが視界に奇麗な女性が入るとかならず目線をやる。
現実の酷さを忘れ、美しい飛行機をつくる事が夢で良いと主人公を駆り立て免罪を与える著名設計者カプローニは主人公の脳内だけのものだ。
そして、最後に許しを与える妻も、現実のものではない。共に主人公が言って欲しい台詞を言っているだけ。
徹頭徹尾自分勝手に美しいものに惹かれて、それ以外の犠牲に注意を払わない。
そういう男の目を通して描かれた世界。
だがしかし、飛行機は美しいし、空を飛ぶと言う事は、とても美しい。事の是非は置く。
思わせぶりに発生する各種の事件も事象も人物も「色々あったが美しいものが好き」の「色々」でしか無い。
みたいな感じ。
戦争で庶民が焼け出されようが、ヨメの死期が迫ろうが、奇麗な飛行機つくりたい。ピラミッドのある世界とかなんとか、自分の夢想の中でその状況を有耶無耶にごまかしながら生きている男の「薄情さ」を描き、しかしその男が飛ばす飛行機も空も奇麗だなと。観ている観客も共犯関係に置いてしまう。観客は焼け出される庶民の立場なのに。
お話の構造と映画の構造が入れ子になっている。
あんまりこういう見方はしたくないが、宮崎駿のアニメーションと仕事に対するスタンスみたいなものも入れ子になっている。
戦争キライと言いながら兵器が好き、自然回帰を歌いながら電気使ってアニメを撮影する。そういう関係。
そうやって色々な言い訳を自分に適用し、美しい飛行機という夢を優先してきた主人公は、しかしながら最後に飛行試験の結果よりも妻の気配を優先する。
いい話だ。
しかしその後に、脳内の妻に「生きて」とまで言わせてしまう。
酷い話この上無い。すげぇ。
そういうの含めて、映画だなぁという作り。
個人的にはとてもいい映画だと感じた。
■違和感
映画への違和感では無い。
主にネットで見かけた文章への違和感だ。
『この映画は解り難い』『なぜなら迂遠な表現をしているからだ』『カプローニは全て二郎の心の中の出来事なんですよ』『最後の菜穂子も心の中』『最後の飛行成功は菜穂子の生死と引き換えですよ』みたいなことを、「難しい表現の映画から汲み取って解説する」的な文章が有ったのだけど。
これ、そんな解り難い映画か?ベタで解りやすいし、普通に映画館に来るような客なら、当たり前に理解しているだろう。
正直、ベタ過ぎるのではないかと思わせる演出も多い。
それに対して上記の言説は観客を馬鹿にしているように感じた。
もしくは「いやいや俺は解ったよ」という優越感をくすぐるやり方。どっちにしろ馬鹿にしてる。
あと、別に映画なんて解らなくてもいいんじゃないのか。
人それぞれの楽しみ方、解釈が有っていいと思うし、解釈の余地を大きくとる作り方をしているし。
解釈に踏み込むのもそれを述べるのもそれぞれの勝手だが、踏み込まないのもまた勝手だと思う。
この映画、主人公とヒロインでどっちが主導権を握っているのか分からない書き方をしている。見方によってずいぶん違う。どう重ね合わせるかは見る人次第だと思う。
ヒロインは結核持ちで、結核は人に移る病だが主人公と関わる。
2人は緩やかに破滅していくわけで、それは国の有り様とも重なる。
そもそも上司の奥さんは、一歩引いた日本女性的だが、完全に旦那をコントロールしている。ヒロインも状況をコントロールしている。
主人公の妹は、一般的な視点で主人公を薄情だと非難する。事実薄情である。
だが、主人公とヒロインの間ではそれは最初から同意された行動であるし、ヒロインもたいがいなもんだ。
映画に対する回答が複数用意されているのは、最近の宮崎映画のパターンだがそれはやはり、どう捉えてもよいのだと思う。
■どうでもいいこと
主人公の声を庵野がやっていたが。
いわゆる技術者のしゃべりや、声、ってああいう感じだ。よくもまぁつれてきたと感じた。
結果的に成功だったように聞こえた。(俺には)
あと「物を作る人」は、この映画の、なんとなくソワソワした感じ、主人公の上の空の心ここにない感じ、戦争が始まるのはナニだがそれはさて置き飛行機作ろう、的な、それで居てフツフツと来る感じ。あれが自分の体験と重なって見えるのではないか。
重なるよあれ。どんな時でも妄想が止め処無く流れるあの感じ。
逆ガルウィングの九試単座戦闘機という、やたらめったら美しい飛行機が、この話のスジをピシっと通していて、あれは惹かれる。
ゼロ戦は、ほんとに最後にちょっと出るだけなのだけだが、それはもう美意識の問題なのだろう。
自分にはとても面白かった。
風立ちぬ(堀辰雄)(タダ!)
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