南京事件70年
歴史の真実は消せない
日本軍による虐殺・略奪・強姦…国際法違反は明白
学問的、外交的にも決着
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一九三七年の盧溝橋事件を機に、日本は中国大陸への全面的侵略に突き進みました。五カ月後の十二月十三日、日本軍は当時の中国の首都・南京に攻め入り、約四カ月にわたって、中国兵だけでなく、捕虜や一般住民を含めて大量虐殺をほしいままにしました。この南京事件から七十年、いまこの事件をどうとらえればいいのか、加害の実相をいっそう深くつかみ、そこから何を教訓とすればいいのかを考えます。
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南京事件が日本の侵略戦争の象徴とされるのは、兵士だけでなく多くの人々を大量虐殺したことにあります。
捕虜、投降兵、敗残兵の虐殺は、日本も加盟していた戦時国際法に明確に違反したものでした。ハーグ陸戦条約(一八九九年採択、一九〇七年改正)は、降伏の意思を示した兵士は捕虜にして収容しなければならないと取り決めています。
しかし日本軍による中国敗残兵狩りでは、数多くの一般難民や市民が巻き添えになりました。また強姦(ごうかん)された婦女は二万人近くに及ぶとされます(南京安全区国際委員会記録)。
南京事件の実態は、国際的にも日本政府も含め多くの当事者が認めており、歴史的にも学問的にもすでに決着がついた問題です。
戦後の東京裁判は一九四八年、南京事件について「日本側が市を占領した二、三日の間に、少なくとも一二〇〇〇人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した」「最初の六週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万人以上であったことが示されている」と認定。南京事件の責任を問われて広田弘毅(事件当時の外相)、松井石根(当時の支那方面軍司令官)が死刑になっています。
四六年から始まった中国での国防部戦犯裁判軍事法廷(南京軍事法廷)は、事件の直接当事者として谷寿夫元中将ら四人を死刑に処しました。
一九五一年に日本が調印したサンフランシスコ講和条約は、「日本国は、極東軍事裁判所ならびに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」と明記しています。
今日、日本の外務省はホームページで「日本政府としては、日本軍の南京入城(一九三七年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できないと考えています」と明確に認めています。
日本政府や企業を相手に中国人が起こした一連の戦争被害賠償裁判は、「中国人の請求権は放棄されている」などの不当な理由で上級審で敗訴になっていますが、裁判の事実認定では日本軍の非人道的行為を認めています。
九九年の東京地裁判決は、原告の被害を認めた上で、日本軍について「中国国民に弁解の余地がない帝国主義的、植民地主義的な侵略行為」だと断じています。
先月二日の東京地裁判決も記憶に新しいところです。南京事件の「ニセ被害者」呼ばわりされた夏淑琴(かしゅくきん)さんが名誉を傷つけられたと本の著者と出版社を訴えた裁判で、原告勝利の判決がありました。判決は「原告は南京事件の生存被害者として広く知られた人物である」と明確に認定。“ニセ被害者”宣伝がいかに歴史的事実にそむくものかを示しました。
「虚構」とゆがめる「靖国」派
これだけの具体的事例がある南京事件を、「まぼろし」「虚構」などとして否定する動きがあります。あの戦争は正しかったとする自民、民主の一部議員や研究者を名乗る論者ら、いわゆる「靖国」派勢力です。
「靖国」派の“期待の星”だった安倍首相が退陣した今でも、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長=中山成彬元文科相)には「南京事件小委員会」があり、今年六月には「南京攻略戦争は通常の戦場」であり、大虐殺があったというのは「過去の日本人の名誉を貶(おとし)める」ものだとする報告を出しています。
安倍「靖国」派政権が崩壊したように、侵略戦争を賛美し、歴史をゆがめる潮流は国際的にも国内的にも孤立を深めています。南京事件を否定しようとする勢力をいっそう孤立させ、歴史の真実をさらに広く明らかにしていくことがいま求められています。
南京事件の真実を明らかにしようという国際的連帯も広がっています。先月下旬の南京に続いて、南京事件の国際シンポジウムが今月十五、十六の両日、東京で開かれます。
南京事件と向き合うことは、日本人が日本軍の残虐行為を直視し、二度とくりかえさない決意を世界に発信することです。日本政府はいまこそ真の反省に立って謝罪や補償に乗り出すときです。南京事件七十年は、そのことを訴えかけています。(小寺松雄)
(出所:日本共産党HP 2007年12月12日(水)「しんぶん赤旗」)
歴史の真実は消せない
日本軍による虐殺・略奪・強姦…国際法違反は明白
学問的、外交的にも決着
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一九三七年の盧溝橋事件を機に、日本は中国大陸への全面的侵略に突き進みました。五カ月後の十二月十三日、日本軍は当時の中国の首都・南京に攻め入り、約四カ月にわたって、中国兵だけでなく、捕虜や一般住民を含めて大量虐殺をほしいままにしました。この南京事件から七十年、いまこの事件をどうとらえればいいのか、加害の実相をいっそう深くつかみ、そこから何を教訓とすればいいのかを考えます。
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南京事件が日本の侵略戦争の象徴とされるのは、兵士だけでなく多くの人々を大量虐殺したことにあります。
捕虜、投降兵、敗残兵の虐殺は、日本も加盟していた戦時国際法に明確に違反したものでした。ハーグ陸戦条約(一八九九年採択、一九〇七年改正)は、降伏の意思を示した兵士は捕虜にして収容しなければならないと取り決めています。
しかし日本軍による中国敗残兵狩りでは、数多くの一般難民や市民が巻き添えになりました。また強姦(ごうかん)された婦女は二万人近くに及ぶとされます(南京安全区国際委員会記録)。
南京事件の実態は、国際的にも日本政府も含め多くの当事者が認めており、歴史的にも学問的にもすでに決着がついた問題です。
戦後の東京裁判は一九四八年、南京事件について「日本側が市を占領した二、三日の間に、少なくとも一二〇〇〇人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した」「最初の六週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万人以上であったことが示されている」と認定。南京事件の責任を問われて広田弘毅(事件当時の外相)、松井石根(当時の支那方面軍司令官)が死刑になっています。
四六年から始まった中国での国防部戦犯裁判軍事法廷(南京軍事法廷)は、事件の直接当事者として谷寿夫元中将ら四人を死刑に処しました。
一九五一年に日本が調印したサンフランシスコ講和条約は、「日本国は、極東軍事裁判所ならびに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」と明記しています。
今日、日本の外務省はホームページで「日本政府としては、日本軍の南京入城(一九三七年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できないと考えています」と明確に認めています。
日本政府や企業を相手に中国人が起こした一連の戦争被害賠償裁判は、「中国人の請求権は放棄されている」などの不当な理由で上級審で敗訴になっていますが、裁判の事実認定では日本軍の非人道的行為を認めています。
九九年の東京地裁判決は、原告の被害を認めた上で、日本軍について「中国国民に弁解の余地がない帝国主義的、植民地主義的な侵略行為」だと断じています。
先月二日の東京地裁判決も記憶に新しいところです。南京事件の「ニセ被害者」呼ばわりされた夏淑琴(かしゅくきん)さんが名誉を傷つけられたと本の著者と出版社を訴えた裁判で、原告勝利の判決がありました。判決は「原告は南京事件の生存被害者として広く知られた人物である」と明確に認定。“ニセ被害者”宣伝がいかに歴史的事実にそむくものかを示しました。
「虚構」とゆがめる「靖国」派
これだけの具体的事例がある南京事件を、「まぼろし」「虚構」などとして否定する動きがあります。あの戦争は正しかったとする自民、民主の一部議員や研究者を名乗る論者ら、いわゆる「靖国」派勢力です。
「靖国」派の“期待の星”だった安倍首相が退陣した今でも、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長=中山成彬元文科相)には「南京事件小委員会」があり、今年六月には「南京攻略戦争は通常の戦場」であり、大虐殺があったというのは「過去の日本人の名誉を貶(おとし)める」ものだとする報告を出しています。
安倍「靖国」派政権が崩壊したように、侵略戦争を賛美し、歴史をゆがめる潮流は国際的にも国内的にも孤立を深めています。南京事件を否定しようとする勢力をいっそう孤立させ、歴史の真実をさらに広く明らかにしていくことがいま求められています。
南京事件の真実を明らかにしようという国際的連帯も広がっています。先月下旬の南京に続いて、南京事件の国際シンポジウムが今月十五、十六の両日、東京で開かれます。
南京事件と向き合うことは、日本人が日本軍の残虐行為を直視し、二度とくりかえさない決意を世界に発信することです。日本政府はいまこそ真の反省に立って謝罪や補償に乗り出すときです。南京事件七十年は、そのことを訴えかけています。(小寺松雄)
(出所:日本共産党HP 2007年12月12日(水)「しんぶん赤旗」)