薬害C型肝炎 失われた20年を検証
感染者への支援策は待ったなし
「厚生労働省は事実にふたをしたかったのではないか。不作為どころか悪意としか思えない」
(全国原告団代表の山口美智子さん)――。
薬害C型肝炎をめぐり、厚労省が感染者の本人特定可能な資料を製薬会社から受け取りながら放置していた問題が大きな波紋を広げ、国は否定的だった集団訴訟の和解協議に応じざるを得ない状況となった。
実は同省への最初の個人情報提出は、青森県で肝炎集団感染が発生した87年にまでさかのぼるとされる。感染者の生命や健康よりも国の体面を重んじ、問題先送りを重ねてきた「失われた20年」を検証する。
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その書類は、厚生労働省の地下倉庫に眠っていた。血液製剤「フィブリノゲン」を投与されC型肝炎に感染した418人分の匿名リスト(症例一覧表)のうち、実名やイニシャル、医療機関名などで本人確認できる可能性のある165人分の個別資料。これまで同省が「個人名を特定できる情報を持っていない」(資料発見前の10月16日、舛添要一厚労相の国会答弁)と、その存在を頑なに否定し続けてきたものだ。
┃訴訟拡大を避けるために資料放置か
製造元の三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字、現田辺三菱製薬)は、02年8月までにこれら資料を厚労省に提出したとされる。この時点で感染者を特定し告知できた可能性が高かったにもかかわらず、同省は5年余りも漫然と放置したばかりか、171人が国と争っている薬害C型肝炎集団訴訟では責任を否定し続けた。「418人リスト」のうち33人は訴訟原告の可能性があるとみられるが(12人は特定)、中でも2人について国がフィブリノゲン投与情報を自ら保持しながら「カルテが無く投与証明が不十分」と主張してきたのは、まさしく「悪意」と言うほかない(資料発見後、国は投与事実を是認)。
02年の個人情報提出後も厚労省の腰は重く、フィブリノゲンが納入された7000ヵ所近い医療機関名も「数が多すぎる」「病院側の利益を害する」などとして明らかにせず、公表は04年12月にまでずれ込んだ。02年夏は約20人の感染者が提訴を検討していた時期と重なり、資料放置は訴訟拡大を避ける意図的な隠ぺいではなかったかとの疑念もぬぐえない。C型肝炎は自覚症状のないまま20~30年後に肝硬変や肝がんに進行するおそれがあり、早期発見・治療が重要であることを考えれば、見て見ぬふりを続けた同省の怠慢は犯罪的ですらある。
一方、三菱ウェルファーマは02年時点で感染者197人の実名などを把握していたが、その情報を厚労省への報告文書に含めていない。理由は「(同省から)住所氏名を記載しろという命令はなかった」。監督官庁にも製薬会社にも、感染者の生命や健康を第一に考える思想がまるで欠落していた証左と言えるだろう。
┃危険性知りながら集団感染まで放置
フィブリノゲンは主に出産や手術時の止血剤として広く使用されてきたが、感染症リスクなどから77年に米国のFDA(連邦食品医薬品局)が承認を取り消した。しかし旧厚生省はこうした危険性を知りながら、87年に青森県で産婦8人の肝炎集団感染が表面化するまで何の規制措置も取らなかった。一連の集団訴訟のうち今年7月の名古屋地裁判決は、非加熱フィブリノゲン(フィブリノゲン―ミドリ)の製造承認時の76年4月までさかのぼって国を断罪、最初に製造承認した64年からの責任も事実上認めている。
また「418人リスト」のうち73人分は87~88年、旧ミドリ十字から個別の副作用報告書が旧厚生省に提出されていた。ここで同省が情報収集を進め本人告知に乗り出していれば、多くの救われた命や症状悪化を避けられた感染者がいたであろうことは想像に難くない。同リストは、直近の仙台地裁判決が「副作用情報提供について厚生省のミドリ十字への指導が不徹底」と認定(国の法的責任は認めず)した87年6月から88年2月までの9ヵ月間だけでも、90人以上が肝炎に感染した事実を物語る。しかし旧厚生省が肝炎対策有識者会議を設置したのは00年11月、検査態勢整備を中心とした「C型肝炎緊急総合対策」が始まるのは02年度からだ。20年を空費するに任せた同省の責任はあまりにも重い。
┃全容解明へ不作為による時間の壁も
薬害C型肝炎の感染者は約1万人、フィブリノゲン投与を受けたのは28万人に上ると推定されている。舛添厚労相は10月24日の国会答弁で投与者全員を追跡調査し、検査や治療を呼びかけると大見得を切ったが、ではどのように探し出すのか全く明らかではない。納入先リストが公表された04年末時点ですでに約1200ヵ所が廃院しているとされ、フィブリノゲンを誰に使用したかの解明が極めて困難であることに加え、現存する医療機関でもカルテ保存期間5年を過ぎ、ほとんど記録が残っていないおそれがある。ここでも厚労省の不作為により生じた時間の壁が、大きく立ちはだかる懸念が強い。
10月31日、福田首相は薬害C型肝炎問題への国の責任を初めて口にした。その言葉に偽りがないのであれば、11月7日の大阪高裁の和解勧告を受け入れ法的責任を認め謝罪した上で、もう1つの感染源「クリスマシン」も含む全被害者の実態把握と全面救済に内閣の総力を挙げて取り組む必要がある。350万人とされるB型・C型肝炎感染者への支援策実施も急務だ。もはや一刻の猶予も許されない。
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薬害C型肝炎をめぐる主な経過
1964年6月
厚生省が日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)の血液製剤フィブリノゲンを製造承認
77年12月
米国FDA、フィブリノゲン製剤の承認取り消し
87年4月
青森県でフィブリノゲンによる肝炎集団感染発覚。ミドリ十字が自主回収。厚生省は加熱フィブリノゲンの製造を承認
翌88年にかけてミドリ十字が厚生省に73人分の症例資料提出
2000年11月
厚生省が肝炎対策有識者会議設置
02年3~7月
厚労省、三菱ウェルファーマにフィブリノゲン投与後の肝炎発症例を報告命令
02年8月
三菱ウェルファーマが418人分の症例一覧表を厚労省に提出
02年10月
東京・大阪で薬害C型肝炎訴訟提訴。以後、福岡・仙台・名古屋にも拡大
04年12月
厚労省が約7000のフィブリノゲン納入医療機関を公表
06年6月
大阪地裁で原告一部勝訴判決(国の法的責任認定期間87年4月~)。以後、福岡(同80年11月~)・東京(同87年4月~88年6月)・名古屋(同76年4月~)でも国と製薬会社の責任認定
07年9月
仙台地裁判決。国の法的責任は否定したが、87年6月~88年2月について「製薬会社への行政指導が不徹底」と指摘
07年10月
厚労省による本人特定可能な感染者資料の放置問題が発覚
07年11月
大阪高裁が和解勧告
(出所:社民党HP 社会新報2007.11.14号より )
感染者への支援策は待ったなし
「厚生労働省は事実にふたをしたかったのではないか。不作為どころか悪意としか思えない」
(全国原告団代表の山口美智子さん)――。
薬害C型肝炎をめぐり、厚労省が感染者の本人特定可能な資料を製薬会社から受け取りながら放置していた問題が大きな波紋を広げ、国は否定的だった集団訴訟の和解協議に応じざるを得ない状況となった。
実は同省への最初の個人情報提出は、青森県で肝炎集団感染が発生した87年にまでさかのぼるとされる。感染者の生命や健康よりも国の体面を重んじ、問題先送りを重ねてきた「失われた20年」を検証する。
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その書類は、厚生労働省の地下倉庫に眠っていた。血液製剤「フィブリノゲン」を投与されC型肝炎に感染した418人分の匿名リスト(症例一覧表)のうち、実名やイニシャル、医療機関名などで本人確認できる可能性のある165人分の個別資料。これまで同省が「個人名を特定できる情報を持っていない」(資料発見前の10月16日、舛添要一厚労相の国会答弁)と、その存在を頑なに否定し続けてきたものだ。
┃訴訟拡大を避けるために資料放置か
製造元の三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字、現田辺三菱製薬)は、02年8月までにこれら資料を厚労省に提出したとされる。この時点で感染者を特定し告知できた可能性が高かったにもかかわらず、同省は5年余りも漫然と放置したばかりか、171人が国と争っている薬害C型肝炎集団訴訟では責任を否定し続けた。「418人リスト」のうち33人は訴訟原告の可能性があるとみられるが(12人は特定)、中でも2人について国がフィブリノゲン投与情報を自ら保持しながら「カルテが無く投与証明が不十分」と主張してきたのは、まさしく「悪意」と言うほかない(資料発見後、国は投与事実を是認)。
02年の個人情報提出後も厚労省の腰は重く、フィブリノゲンが納入された7000ヵ所近い医療機関名も「数が多すぎる」「病院側の利益を害する」などとして明らかにせず、公表は04年12月にまでずれ込んだ。02年夏は約20人の感染者が提訴を検討していた時期と重なり、資料放置は訴訟拡大を避ける意図的な隠ぺいではなかったかとの疑念もぬぐえない。C型肝炎は自覚症状のないまま20~30年後に肝硬変や肝がんに進行するおそれがあり、早期発見・治療が重要であることを考えれば、見て見ぬふりを続けた同省の怠慢は犯罪的ですらある。
一方、三菱ウェルファーマは02年時点で感染者197人の実名などを把握していたが、その情報を厚労省への報告文書に含めていない。理由は「(同省から)住所氏名を記載しろという命令はなかった」。監督官庁にも製薬会社にも、感染者の生命や健康を第一に考える思想がまるで欠落していた証左と言えるだろう。
┃危険性知りながら集団感染まで放置
フィブリノゲンは主に出産や手術時の止血剤として広く使用されてきたが、感染症リスクなどから77年に米国のFDA(連邦食品医薬品局)が承認を取り消した。しかし旧厚生省はこうした危険性を知りながら、87年に青森県で産婦8人の肝炎集団感染が表面化するまで何の規制措置も取らなかった。一連の集団訴訟のうち今年7月の名古屋地裁判決は、非加熱フィブリノゲン(フィブリノゲン―ミドリ)の製造承認時の76年4月までさかのぼって国を断罪、最初に製造承認した64年からの責任も事実上認めている。
また「418人リスト」のうち73人分は87~88年、旧ミドリ十字から個別の副作用報告書が旧厚生省に提出されていた。ここで同省が情報収集を進め本人告知に乗り出していれば、多くの救われた命や症状悪化を避けられた感染者がいたであろうことは想像に難くない。同リストは、直近の仙台地裁判決が「副作用情報提供について厚生省のミドリ十字への指導が不徹底」と認定(国の法的責任は認めず)した87年6月から88年2月までの9ヵ月間だけでも、90人以上が肝炎に感染した事実を物語る。しかし旧厚生省が肝炎対策有識者会議を設置したのは00年11月、検査態勢整備を中心とした「C型肝炎緊急総合対策」が始まるのは02年度からだ。20年を空費するに任せた同省の責任はあまりにも重い。
┃全容解明へ不作為による時間の壁も
薬害C型肝炎の感染者は約1万人、フィブリノゲン投与を受けたのは28万人に上ると推定されている。舛添厚労相は10月24日の国会答弁で投与者全員を追跡調査し、検査や治療を呼びかけると大見得を切ったが、ではどのように探し出すのか全く明らかではない。納入先リストが公表された04年末時点ですでに約1200ヵ所が廃院しているとされ、フィブリノゲンを誰に使用したかの解明が極めて困難であることに加え、現存する医療機関でもカルテ保存期間5年を過ぎ、ほとんど記録が残っていないおそれがある。ここでも厚労省の不作為により生じた時間の壁が、大きく立ちはだかる懸念が強い。
10月31日、福田首相は薬害C型肝炎問題への国の責任を初めて口にした。その言葉に偽りがないのであれば、11月7日の大阪高裁の和解勧告を受け入れ法的責任を認め謝罪した上で、もう1つの感染源「クリスマシン」も含む全被害者の実態把握と全面救済に内閣の総力を挙げて取り組む必要がある。350万人とされるB型・C型肝炎感染者への支援策実施も急務だ。もはや一刻の猶予も許されない。
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薬害C型肝炎をめぐる主な経過
1964年6月
厚生省が日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)の血液製剤フィブリノゲンを製造承認
77年12月
米国FDA、フィブリノゲン製剤の承認取り消し
87年4月
青森県でフィブリノゲンによる肝炎集団感染発覚。ミドリ十字が自主回収。厚生省は加熱フィブリノゲンの製造を承認
翌88年にかけてミドリ十字が厚生省に73人分の症例資料提出
2000年11月
厚生省が肝炎対策有識者会議設置
02年3~7月
厚労省、三菱ウェルファーマにフィブリノゲン投与後の肝炎発症例を報告命令
02年8月
三菱ウェルファーマが418人分の症例一覧表を厚労省に提出
02年10月
東京・大阪で薬害C型肝炎訴訟提訴。以後、福岡・仙台・名古屋にも拡大
04年12月
厚労省が約7000のフィブリノゲン納入医療機関を公表
06年6月
大阪地裁で原告一部勝訴判決(国の法的責任認定期間87年4月~)。以後、福岡(同80年11月~)・東京(同87年4月~88年6月)・名古屋(同76年4月~)でも国と製薬会社の責任認定
07年9月
仙台地裁判決。国の法的責任は否定したが、87年6月~88年2月について「製薬会社への行政指導が不徹底」と指摘
07年10月
厚労省による本人特定可能な感染者資料の放置問題が発覚
07年11月
大阪高裁が和解勧告
(出所:社民党HP 社会新報2007.11.14号より )