くすぶるプロレスラー、闘いの中で情熱取り戻す
第14回日経小説大賞に中上竜志氏「散り花」
第14回日経小説大賞(日本経済新聞社・日経BP共催)の最終選考会が行われ、中上竜志氏の「散り花」が受賞作に決まった。くすぶる中堅プロレスラーを主人公に、闘いの中でリングへの情熱を取り戻す姿を描く。体を張るレスラーの生きざまと格闘シーンの描写が印象的な意欲作だ。
長編が対象の第14回日経小説大賞には285編の応募があった。歴史・時代小説、経済小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたる。50~60代の応募が半分を占めた。
第1次選考通過の20編から最終候補となったのは5編。受賞作「散り花」のほか、松江を舞台に幕末から明治の荒波に若い男女が翻弄される天見早希氏「やまかげに飛ぶ番(つがい)の小鳥」、金融商品に絡んだ詐欺事件の真相を弁護士らが追う団堂広氏「シルバー・ライニング」、飛鳥時代を舞台に特異な才能を持った双子の人生が交錯する吉岡けい子氏「阿礼(あれ)と阿須(あず)」、難病の画家と女性花火師の恋愛を描いた青山トーゴ氏「雲海の朝(あした)」が挙がった。
最終選考は2日、東京都内で辻原登、髙樹のぶ子、角田光代の選考委員3氏が出席して行われた。3作品に絞られたうち「やまかげに飛ぶ番の小鳥」は「気持ちのいい読後感」、「シルバー・ライニング」は「ミニマムな仲間たちが世界的な犯罪に立ち向かう構図」などが評価された。「散り花」は「リング上の格闘を描写する言葉の力」や「小説を読む面白さが感じられた」点などが推され、最終的には全会一致で受賞作に決まった。
プロレス国内最大のメジャー団体に所属する立花は33歳。入門5年目で海外武者修行に抜擢(ばってき)されるなど将来を嘱望されていたが、今ではスター選手を引き立てる中堅のひとりに甘んじている。凱旋帰国直後の〝事故〟が立花から覇気を奪ってしまっていた。しかし「自分が持つものすべてをぶつける試合をしていない」という思いは熾火(おきび)のようにくすぶっていた。
スター候補の若手のタイトル挑戦権のかかった試合で、負けることを求められた立花は衝動に駆られ、押し殺していたものを解き放ってしまった。血が騒いでいた……。虚実入り交じるプロレス界の輝きが薄れつつある中でも、リング上で体を張って闘い続ける人たちの生きざまを、乾いた筆致で描き切った格闘技小説。
プロレスへのオマージュ――中上竜志氏
第14回日経小説大賞を受賞した。他賞を含めれば、2度目の最終候補になる。ようやくスタートラインに立てたというのが率直な感想である。若くはないため、これからどれだけの作品を残せるかで真価を問われると思っている。
作家を志したときから書きたい題材があり、そのひとつがプロレスだった。
10月1日、アントニオ猪木さんが死去された。難病に侵され、痩せ細った姿は衝撃的で、そのような姿を見たくないと思う反面、その生きざまに深い感銘を受けた。そして、多くの猪木ファンがそうだったと思うが、快復を信じていた。それはついにかなわなかったが、アントニオ猪木は最期まで闘う姿勢を見せてくれたように思う。
「散り花」は、プロレスを稼業にする男たちの生きざまを描いた。時代背景は総合格闘技のブームに圧(お)され、プロレス界が低迷した約20年前を想定している。その後、プロレスは息を吹き返したが、私が熱狂した頃のプロレスとは別のものととらえている。分裂と団体の乱立がプロレスの歴史だが、断絶しても時が来れば再び同じリングに集うのがプロレスの特異性であり魅力でもある。闘魂三銃士の集結が未来永劫(えいごう)に失われたとき、プロレスへの熱は徐々にさめていったが、プロレスに対する愛情は今も変わらずにある。この作品はプロレスへのオマージュでもある。
「散り花」は数年前に書いた作品だが、猪木さんの死去から間もないこの時期に賞をいただけたのもなにかしらの縁だと思っている。
〈選評〉
辻原登氏――傑出した冒険小説
「やまかげに飛ぶ番の小鳥」。官軍の鎮撫使(ちんぶし)が親藩の松江に乗り込んで来て狼藉(ろうぜき)を働くという設定が斬新。少年・少女の恋物語はもっと切なく描ききってほしかった。
「シルバー・ライニング」。金融・投資の世界を扱えばミステリーになる。謎の設定と謎解きが腕の見せどころだったが、恋を絡ませると弛緩(しかん)する。
「阿礼と阿須」。着眼点は素晴らしい。『古事記』が、漢語を習得した超知能集団によって綴(つづ)られ、編纂(へんさん)されたことの歴史的認識がやゝ浅いのが残念。果たして阿礼は文字が読めたのか?
「雲海の朝」。小説を作ろうとして、その小説に背かれている、という印象を受けた。何が足りないのか、それとも何かが過剰なのか……。
「散り花」。これは傑出した冒険小説。かつて五味康祐の『柳生武芸帳』や『スポーツマン一刀斎』に夢中になった頃の興奮が甦(よみがえ)った。少年時、熱狂したテレビのプロレス中継ではない。読むプロレスの面白さ。冒険の舞台は、筋書(ブック)あり、ブックなしが交錯する空想のリングだ。主人公立花が、トロントの深い山奥でレスラー修行する場面もいい。言葉のバトルと肉体のバトルの混然一体ぶりに酔った。
髙樹のぶ子氏――闇の中でしか生きられぬ男
「散り花」散り方にこそ男の美がある。盛りを過ぎたレスラーは満身創痍(そうい)の死闘の果て、敗れてリングから去る。プロレス興行という絶滅寸前の世界、その闇の中にしか生きられない男を大真面目に描いて、壮絶な哀(かな)しみを伝える。リング上の格闘描写は、プロレスを観(み)たことのない読者に理解できるだろうかと心配したが、それも良し、と納得して授賞に賛成した。何か大きなことをしでかしてくれる新人かも知れない。
「シルバー・ライニング」緻密で論理的な誘導に乗って面白く読んだ。ミニマムな個人が世界的な犯罪に挑戦する構図のダイナミズム。能力ある女性の生き辛(づら)さも伝わってきて、いかにも今どきのテーマだが、犯罪小説としては欠点もあったので推しきれなかった。
「雲海の朝」花火師の女と、光を浴びれば命を失う病の男との恋が、戦争の通奏低音の中に描かれる。同じ火薬でも、花火と弾丸の明暗を対照的に配して、素直な人間賛歌になっているが、その無難さが、逆にマイナスに働いた。
角田光代氏――試合場面の描写が抜群
慶応四年から明治へと時代が移り変わるなか、松江の家老の娘、奈津と薬屋の倅(せがれ)、宗之助の淡い恋と成長を描く『やまかげに飛ぶ番の小鳥』の読後感がたいへんさわやかで好ましく、私は高く評価したのだが、賛同を得られなかった。
『シルバー・ライニング』は登場人物たちが、いきいきと魅力的で読み応えがあったが、行天の死を巡るトリックに無理があるように感じた。でも個人的には悠香のこの先を応援したい。
プロレスの世界を内側から描く『散り花』は、プロレスを知らない読者でも引きこまれるのではないか。惰性でプロレスを続ける立花のキャラクターや彼の海外修行時代のエピソードは非常におもしろい。試合場面の描写がとんでもなくうまく、技の名を知らない私でも動きが目に見えるようだった。ただ登場人物とその内面描写が多すぎ、ラストの立花、森、三島の場面が生かし切れていないのと、二人登場する女性のどちらも、描きかたがステレオタイプすぎることが私には不満だった。ともあれこの作者に力があるのは歴然としている。おめでとうございます。
受賞者と選考委員によるトークイベント、2023年4月21日に
日経小説大賞と読者をむすぶThink!LIFEトークイベントを2023年4月21日、東京・大手町の日経本社ビル内スペースNIOで開催します。イベントの模様はNIKKEI LIVEで配信します。
選考委員で作家の辻原登、髙樹のぶ子、角田光代の3氏に、第14回受賞者の中上竜志氏が加わり、公募文学賞応募の心得、文学賞の選考とは、小説を書くということ、などについて存分に語りあっていただきます。会場参加者には質疑応答の時間を設けますので、23年2月刊行予定の受賞作を読んでご参加ください。
イベントの詳細と参加申し込み方法については23年2月に日本経済新聞および日経電子版で公表します。
日経小説大賞は日本経済新聞創刊130年を記念して2006年に創設されました。授賞式の様子や応募要項を掲載しています。