笑い飯・哲夫さん「芸人に農業、塾経営と6足のわらじ」
漫才師
――笑い飯は2人が交互にボケる「W(ダブル)ボケ」という独自のスタイルで知られています。こういう形にしたのはなぜですか。
もともと別の相方とそれぞれコンビを組んでいて、2人ともボケを担当していたんですね。ボケ同士がコンビを組んだんで、暗黙の了解で1回ずつ交代してボケるという形に自然となりました。
――そのスタイルに手応えを感じられたのはどのような瞬間だったのでしょう。
大阪の難波にあった「baseよしもと」という劇場のオーディションライブに合格できるようになった時ですね。見ている人に受け入れられているという感触がありました。
――高校は奈良県立奈良高校に通われて、その時に芸人を意識されたそうですね。
小学生の時にサッカーを始めて中学生の時に地方大会で奈良高校の試合を見たんですよ。サッカーのスタイルとユニホームがすごく格好よかったんです。中学校にはサッカー部がなくてサッカーをしていなかったので、奈良高校はかなり偏差値の高い学校なんですが、勉強してそこに行こうと。
入学してすぐにサッカー部に入りました。「勉強ができる子が集まる学校やから、サッカーは俺が一番うまいやろ」と思っていたんですが、チームメートはみんな勉強ができるだけじゃなくて、サッカーも上手なやつばっかりだったんです。僕は中学の3年間はサッカーをしていなかったのでブランクがあるし、レギュラーにはなれませんでした。このサッカー部は面白い子が多くて、部活が終わるとみんなで大喜利みたいなことをしながら帰ったんですけど、そこでは補欠ではなくレギュラー選手という感じでした。
自身で「俺っておもろいな。芸人を目指さなあかん」と気づく
――奈良高校から関西学院大学に進まれて、一時は教員を目指されていたそうですね。芸人になることはどう決断されたのですか。
人としゃべっている時に「あぁ、俺ってやばいくらいおもろいな。これはやっぱり芸人を目指さなあかんな」と思ったんです。それに尽きますね。
――漫才というジャンルを選ばれたのはなぜですか?
俺らがお笑いを始めた頃は若手はコントが多かったんですね。漫才はおじさんがするものという感じで。そうした中で漫才を選んだのは、漫才での笑かし方が一番おもろいし、スーツでの立ち姿も格好いいと感じていたからですね。
――東京大学と吉本興業との共同研究プロジェクト「笑う東大、学ぶ吉本」の成果の一つとして2023年7月に出版された『最強の漫才』という書籍の中で、笑いについての持論を披露されています。「階段を2歩下りる」という表現が印象に残りました。
最初の頃はとんがりすぎていたんですよね。だから受けへんかった。あるコンクールで落とされた時に審査員の先生に「なぜ落とされたんですか。めっちゃおもろいと思うんですけど」と聞いたんです。そしたら、「自分がおもろいと思うネタを作ってるやろ。一回、おもろないって思うネタを作ってみぃ」と言われたんです。
それでネタのレベルを落としてみた。階段を2歩下りて、「これはちょっとあかんな」と自分では思うネタを作っても、おもろないものにはならんやろ。そう考えてネタを作るようになったら、オーディションに受かるようになった。あの時の審査員の先生の言葉はほんまに深かったと思います。
――このインタビューに先立ってユーチューブで実際のネタの動画をいくつか拝見したんですが、声の調子や立ち姿が横山やすしさんに似ていると感じました。
自分では意識してへんかったんですけど、「似ている」と言ってくださる師匠さん方がいらっしゃって、「光栄なことやな」と思いました。ぜんじろうさんには「うちの師匠(上岡龍太郎さん)に似てる」と言われたこともあります。それもすごくうれしかったですね。
仕事は何がきっかけで増えるか分からない
――芸人の話からは離れるんですが、学習塾の経営者や仏教マニアなど別の顔をいくつも持たれていて、6足のわらじを履いていると言われていますね。
そんなことになるとは思っていませんでした。仏教のマニアであることはずっと隠していたんですよ。ある時に抜き打ちチェックみたいなものがあって、芸人の先輩が僕のカバンの中をあさったんです。般若心経を書写したものを入れていて、それが見つかってしまった。それから仏教マニアといじられるようになったんですが、吉本興業の出版を手掛ける部署から「般若心経の現代語訳をやりませんか」と声が掛かって本を出した。それをきっかけに仏教講座の仕事を頂いたり、お寺巡りの番組をやらせていただいたりして、仏教マニアが定着しました。
花火もマニアで、ある番組で花火に関する難問を全て正解して花火賢者になったんです。それで花火解説の番組にちょいちょい呼んでもらえるようになった。農業は実家が農家で、父親が年を取って「もうできない」と言うので、僕にお鉢が回ってきた形です。
学習塾の経営は、塾の講師をしていた大学時代の友人が職を失って相談してきたのがきっかけです。教師を目指したこともありますから、教育には人一倍関心がある。塾をつくれば友人も仕事を得られるということで始めました。
お笑い芸人、仏教と花火のマニア、農業、塾経営で5足のわらじ。偶数にしておきたいと思って、わらじならいっそのことそれを6足目にしようということでわらじ編みを始めたんです。それで吉本からわらじやしめ縄作りの講座の仕事を頂いた。
何がきっかけで仕事が増えるか分からんものです。しかも始めたものがつながる。仏教と教育がつながり、お笑いと農業がつながり、さらに農業と仏教がつながってという形で、全部つながりますね。
――6足のわらじを履いている中で、それぞれのバランスはどのように取っているのでしょう。
それは9割9分、芸人です。芸人はプロで、他はプロではないんでね。仏教のプロはお坊さんで、花火のプロは花火師さん。実家は農家ですが、もっと専門的にやっていないとプロとは言えへん。
――漫才をはじめ、人間には笑いを楽しむ場がいろいろとあります。なぜそうした場が必要なのかを考えたことはありますか。
そういうことは考えないですね。「人間が笑うのは当たり前のことやん」と思うぐらいで。「あ〜、なんかむしゃくしゃするなぁ。お笑いでも見ようかな」と思って見る人ってほんまにおるんかな。お笑いはただ見たいから見るものだろうと僕は思います。
笑いは嫌なことの真逆にはないとも思うんですよね。何か嫌なことがあっても、それは「諸行無常」の心で乗り越えていけるし、いつかは風化する。いつまでも嫌なこととして存在しない。そうしたこととは関係なく、笑いは身近にあるものだと考えています。
「投資はギャンブル」という感覚は僕にはない
――下積みの時代には生活費を稼ぐためにバイトをするとか、いろいろとお金の面で苦労されたことがあると思います。
バイトができた時っていうのは、芸人としての仕事がさほどない時で、高校や大学で同級生だった子は就職して給料をもらい始めてました。悔しいから同じくらいの収入を得られるだけのバイトはしてました。一番しんどかったのは、吉本からちょっと仕事を頂けるようになって、バイトをする時間が取れなかった時です。お金がないから、時間が空いた時には大阪の市立図書館に行ってました。無料でいろんなジャンルの本を読めますからね。それで得た知識は後で絶対に花開くやろって思って。これは結構お勧めですね。
――そういう時にお金について考える機会もあったと思います。今はどう考えていますか。
お金は貯まったらやっぱりすごくうれしいし、収入が増えて預金残高の桁が変わったのを見て、「ウォー」と衝撃を受けたのを覚えています。そやけどね、それはただ数字が並んでるだけなんですよ。
お金は何かというと、物々交換のためのツール。本来はモノとモノを直接交換したいけど、人によって価値観が違うとうまくいかへんからお金を介している。本当はね、「これ欲しいなら、あんたのそれ、ちょうだい」という方が分かりやすいし平和。お米屋さん、味噌屋さん、サバ屋さん、漬物屋さんがいて、それぞれ物々交換したら、サバの塩焼きを添えた味噌汁・漬物付きのええ感じの朝ご飯ができますやん。そうした物々交換をスムーズにする仲介役としてお金はある。そう思いますね。
――今は「貯蓄から投資へ」といわれて、預金の利息ではお金が増えないから投資でお金を増やすことが推奨されています。こうした風潮はどう見ていますか。
株式会社がたくさんあるのが資本主義で、先人たちはそれで日本を支えてくれはった。ですから、良い主義やと思います。「投資はギャンブル」みたいにいわれることもありますが、そんな感覚は僕にはなくて、自分でも必要なところに投資したいと考えています。
例えば今、地球がものすごく暑くなっちゃっている。地球温暖化を直す装置を作ってくれる会社があれば投資したいですし、そういう装置を生み出す可能性のある若い世代や子どもたちに投資したい。そして将来はクーラーが不要な世界を実現してほしいですね。
(撮影 / 福知彰子 取材・文 / 中野目純一)
[日経マネー2023年11月号の記事を再構成]
1974年奈良県生まれ。三輪山の参道のそうめん屋に生まれ、幼い頃から般若心経に興味を持つ。関西学院大学文学部哲学科卒業。2000年西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成。プロ・アマ不問の漫才日本一決定戦「M-1グランプリ」の決勝に02年から9年連続進出し、10年に優勝。相愛大学人文学部客員教授を務めるなど教育活動にも注力。著書に『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』(ワニブックス)など。
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