古賀信行 私の履歴書(29)2019年12月
野村ホールディングス名誉顧問
元号が平成から令和に変わった年、2019年の12月は私にとって悲しい月になってしまった。
26日に臼田浩義さんが亡くなった。私が野村証券の引受部時代の思い出をつづった回で紹介した、東京エレクトロンの臼田さんだ。1998年に日本ダービーを制した名馬スペシャルウィークの馬主でもある。
初対面では名刺を受け取ってもらえずおおいに戸惑ったが、異彩を放つ人柄に引かれ、仕事を離れてもお付きあいはずっと続いた...
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世界的にも有名な大手証券グループのトップを長年勤めた古賀信行さんは、激動の金融市場を乗り切ってきました。経団連など金融・証券業界にとどまらない財界活動で新型コロナ禍に苦しむ日本経済の再生にも取り組みました。炭鉱の街、福岡県大牟田市で生まれ育ち、幼少期に激しい労働争議や炭鉱爆発事故を目の当たりにします。鹿児島市のラ・サール高校から東大に入学。就職した野村証券では人事や経営企画といった黒子役のほか、株式や債券の引き受けを経験して社内外に人脈を築きます。バランス感覚と広い知見はバブル経済崩壊後に野村証券が市場での地位を固めるのに欠かせないものでした。