「シュレーディンガーの鳥」は実在? 生命の中の量子世界を探せ
日経サイエンス
「シュレーディンガーの猫」という言葉をご存じだろうか?
量子力学によると、電子や光子などのミクロな物質は、1個が複数の場所に存在したり、右と左に同時に進んだりといった、常識を超えた多重状態になっている。物理学者のシュレーディンガーは1935年、こうしたミクロな多重状態を、われわれが住むマクロな世界の生物(猫)に結びつける思考実験を考え、猫が「生きている」と同時に「死んでいる」という多重状態になり得ることを理論的に示した。もっとも、そんなことは現実には起こり得ないと、物理学者たちも思っていた。
ところが近年、実際に生物の中で、そんな多重状態が本当に実現している可能性が浮上してきた。英と米の研究チームがそれぞれ行った研究によれば、ヨーロッパコマドリという渡り鳥の目の中では2個の電子が多重状態になっており、渡りに必要な磁気の方向検知に関係している可能性がある。まるで「シュレーディンガーの鳥」のような状態だ。
また、米カリフォルニア大学バークレー校は、ある種の細菌は、光合成を担う複数の色素が異なるエネルギー状態を同時に実現していることを実験で示した。この多重状態が、光エネルギーの効率的な利用に一役買っているとみられる。
生物の中にある電子や色素は、常に周囲の組織やたんぱく質など、マクロな物質に囲まれている。電子などのミクロな物質は、たとえいったん多重状態になっても、マクロな世界と少しでも接触すれば、その状態を維持できなくなるというのが、これまで物理学の「常識」だった。だが実際は、大きな分子や結晶などのマクロな物質でも、量子的な多重状態は実現できる。そうした実験報告は、徐々に増えている。
量子力学はミクロな世界について語る理論で、生物などのマクロな世界はニュートンが提唱した古典力学に従うというのは、「単に便宜上のことだ」と英オックスフォード大学のV.ヴェドラル教授は指摘する。「世界はあらゆるスケールにおいて量子力学の法則に従い、古典力学はその便利な近似にすぎない。ある大きさよりも大きくなったら古典世界がカムバックすると思っている物理学者は、今やほとんどいない」。
われわれは、実は量子世界に住んでいるのかもしれない。
(詳細は日経サイエンス10月号に掲載)