日台つなぐ野球の歴史 日本統治時代、甲子園準Vの「嘉農」
台湾の日本統治時代に甲子園で準優勝した野球チームの映画「KANO」が台湾でヒットしている。日本人、漢民族(台湾人)、原住民の混成チームが、民族を超えて栄冠を目指すストーリーが感動を呼んだ。ゆかりの地である台湾南部の嘉義市や愛媛県松山市は「埋もれていた日台のきずなに光が当たった」として、観光客の誘致効果にも期待を寄せている。
KANOは嘉義農林学校の略称である「嘉農」のローマ字表記。1931年の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)で、初出場ながら準優勝を果たした実話に基づく熱血ドラマだ。
俳優の永瀬正敏さん演じる同校野球部の近藤兵太郎監督が主役。野球の名門校、松山商業学校(現・松山商業高校)の出身で、多様な民族で構成された無名の弱小チームをまとめ上げ、強豪校に変えた。
戦後、近藤監督が勤務した新田高校(松山市)の元野球部員、林司朗さん(81)は「炎天下でも水を飲ませてくれなかった」と厳しい指導を振り返る一方、「恥ずかしがり屋で冗談が苦手な人だった」と懐かしむ。
台湾で2月下旬に上映がスタート。南部の高雄市で開いた野外上映会では翌日未明の午前3時まで、出演者らのサインを求める観客が行列を作った。
上映開始3週間で、興行収入は2億台湾ドル(約6億7千万円)を突破。1億台湾ドルを稼げばヒットとされる現地の映画界では「今年最高の1本」との呼び声が高い。日本でも今後、公開予定だ。
映画では近藤監督と選手たちとの心のふれあいを描いたシーンも多い。映画を見た台北市在住の会社員、林軒名さん(24)は「台湾と日本との密接な関係を再認識した」と話す。
映画のヒットとともに、舞台や登場人物とゆかりのある場所も、にわかに脚光を浴びる。嘉義市では2月に市内の広場に立った往年のエース、呉明捷投手の銅像など、関連スポットを巡る観光バスが急増している。
一方、近藤監督の出身地の松山市も、松山空港と台北市内の松山(しょうざん)空港が昨年10月、「同じ名前の空港」として初のチャーター便を就航した。松山観光コンベンション協会は「KANOのヒットをきっかけに、台湾向けに道後温泉などのPRを強化したい」という。
ただ、日本統治下での日台の交流を描いたドラマだけに、台湾の全ての人が歓迎しているわけではない。現地では「日本統治時代を美しく描きすぎている」といった声も一部にある。
台湾の馬英九政権は2015年から、高校の教科書の表記について、日本統治時代を過度に美化しない方針を決めており、作品への批判はこうしたムードの中で生まれた面もある。
作品のプロデューサー、魏徳聖さん(44)は「台湾のアイデンティティーを考える際に日本との関係は避けて通れない」と強調。「寛大な心で歴史に向き合ってほしい」と理解を求めている。(台北=山下和成)