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報告書が明かす危機と教訓 ラグビーW杯日本大会

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ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会の組織委員会が大会の運営を振り返る報告書をまとめた。無味乾燥になりがちなこの手の資料としては、異例の構成といえる。準備の過程で起きた問題や衝突、そこから学んだことを率直に記録しているからだ。成功の陰にあった知られざる危機や貴重な教訓を報告書から読み解く。

3月で解散した組織委は報告書を約1000部つくり、開催都市や都道府県のラグビー協会などの関係者に配った。日本経済新聞が入手した報告書は全266ページ。組織委の42の部局などがそれぞれ大会を振り返るとともに「大会準備・運営で得た気づき・学び」を詳細に書いている。

大会は大成功に終わったのに、課題の記述に重点を置いたのはなぜか。「手前味噌に良かったところだけを書いてもスポーツ界のためにならない。課題を明確に伝える方針で編集された」。組織委の関係者は明かす。

組織委は2012年の設立後、02年サッカーW杯日韓大会など過去のスポーツ大会の資料を調べた。しかし、表面的な内容も多く「詳細な分析はほとんど入手できなかった」と報告書は記す。後人に同じ苦労をさせたくないという思いが踏み込んだ記述につながったという。「本大会運営から得たノウハウの本質的な部分を抽象化し、それを蓄積して、今後の類似した大会に活(い)かしていく取り組みが必要と考える」

WRとの関係で悩んだ組織委

報告書からは、組織委が特に国際統括団体ワールドラグビー(WR)との関係で悩んだことが分かる。WRは子会社のラグビーW杯リミテッド(RWCL)に大会運営を委託している。WRの幹部が要職を務める同社と組織委の間では、時に激しい衝突も起きた。

開催2年前の17年には公認キャンプ地の選定が火種となった。RWCLは試合会場となる12都市のうち6都市について条件を満たすキャンプ地が周囲に足りないと主張。2都市を試合会場から外す可能性にまで言及した。

地元のファンを失望させるピンチ。組織委は当初の候補になかった施設をキャンプ地に追加したほか、宿泊施設の改修を行うなどの対応に奔走した結果、開催都市の削減という最悪の事態を免れることに成功した。

この問題は試合日程にも影響を及ぼした。組織委は「大会を全国で盛り上げる」(嶋津昭事務総長)ため、各都市で3試合以上を行い、1カードは強豪国の試合にする方針だった。しかし、RWCLの意向を受け、岩手県釜石市や熊本市など条件に合わない会場が発生した。

「外圧」を大きく受けた問題がもう一つある。メイン会場に予定していた新国立競技場が15年の建設計画見直しで使えなくなった。組織委はチケット収入の見込みを320億円から230億円に減らす。報告書には書かれていないが、減収を懸念したWR側が開催国変更の可能性を日本に伝える事態にまで発展した。組織委は政府への働きかけで追加の公的資金を得るなどして、日本開催を守った。

キャンプ地の問題を経て、RWCLは組織委の要職に人を送り込むようになった。外国人スタッフは両者の調整を円滑にする一方、副作用もあった。「彼らから持ち込まれた過去大会等からの知見は必ずしも日本の商習慣や大会運営にそのまま活用できるものでない場合が多かった。言語の壁もあり、組織内で意見の相違が発生するという新たな課題も発生した」

国際スポーツ団体との折衝は日本の長年の課題である。日本には大規模イベントのノウハウや国際交渉力を持つ人材が少ない。国際スポーツ団体が大会のブランド価値や収益などを守るために自分たちの流儀を押し通した結果、日本が無理な要求をのまされた例は過去にも多い。

報告書は対策をいくつか挙げている。その一つが相手の考えを尊重しながら解決策を検討する柔軟な姿勢と調整力。国際大会の運営経験と日本への理解を併せ持つ人材の活用や、ノウハウの継承も重要としている。

組織委の体制づくりにも苦労があった。過去のW杯を参考に各部署の人員配置や採用を進めたが、日本の商習慣などに合わせるため、何度も組織改編や役職の追加を迫られた。期間限定の組織のために人材集めが難しく、企業からの出向者を多く受け入れたことも大きな問題を生んだ。職員の出向元と、組織委の利益相反である。

「調達においては利害関係者が受発注を行うリスクも散見された」。出向者が自分の出身企業に発注するようなケースが出かねないため、組織委は規制を厳格にしたが抜け道を塞げず、「思ったような効果が上がらなかった」。出向者の問題は開催費の削減を難しくした。東京五輪の組織委や国内の競技団体の多くも実業団を持つ企業や広告代理店などからの出向者を抱える。同じ問題が起きかねないだけに構造を見直す必要がありそうだ。

膨張した「チームファースト」

「チームファースト」の「膨張」も足かせになった。キャンプ地の選定過程ではRWCLが当初なかった条件を追加した。「チームファーストの定義が漠然としており、あらかじめ提供するサービスや環境を設定しているにもかかわらず、それを上回る過剰要求があった。特に書類上読み取れない部分や異なる文化・商習慣による理解違いがあった場合に、ワールドラグビーやチームは常にチームファーストを拡大解釈して要求してくる」。報告書には率直な声が記されている。

五輪も大会の肥大化が指摘されているが、国際統括団体が「アスリートファースト」の名の下に開催国に重荷を背負わるのは、国際大会では恒例行事のようになっている。報告書は対策として、様々な条件を「可能な限り細部まで書面化しておく必要がある」と提案する。

準備の過程では様々な困難に見舞われたが、大会は組織委をはじめとした関係者の奮闘や日本代表の躍進で大成功に終わった。230億円に減る見通しだった入場料収入は販売戦略の奏功もあり、373億円まで増加。新国立の問題を吹き飛ばした。

報告書にはあまり表に出なかった努力も記録されている。好評だったSNS(交流サイト)は、大会盛り上げだけでなくリスク管理にも生かされた。事前に決めたキーワードに関する投稿を分析する「ソーシャルリスニング」に注力。食事の販売への不満が多いことを把握し、食べ物の持ち込みを急きょ許可するという迅速な対応を後押しした。

選手の安全のため、全会場に移動型のX線装置を設置したのも国内のスポーツ大会では恐らく初めてという。台風や地震などに備えて14種類の緊急時対応計画も策定。台風19号で3試合が中止になりながらも、日本の8強入りが懸かったスコットランド戦は開催にこぎつけた。

台風への対応ではRWCLとの調整も比較的スムーズだったという。「長い大会の準備期間における協議・調整を通じて培われた信頼関係が非常に役に立った」。数年にわたる衝突や悪戦苦闘の末、組織委は最終的に危機への対応力を高めていたことになる。

国際統括団体との関係性、「アスリートファースト」の拡大解釈、組織づくりの難しさ……。国内では17年ぶりの大規模イベントで起きた問題は、日本のスポーツ界が抱える課題でもあった。この教訓を基に少しでも改善に向かうなら、W杯の大きなレガシーになったといえる。

(谷口誠)

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