ラグビーと世の中つなぐ 日本代表・山中が奮闘
昨年のワールドカップ(W杯)日本大会で活躍したラグビー日本代表の山中亮平(神戸製鋼)が、自身の人気を生かした普及活動を始めた。新型コロナウイルスの感染拡大によりラグビーそれ自体はできないが、その活動は本人にとっても大きな意義を持ち始めている。
「最高視聴率男」――。昨年11月のW杯決勝の3日後。山中は英語でそう書かれたTシャツの画像をツイッターに投稿した。「ファンへの恩返しのためのプロジェクト」である「OFF THE FIELD」(オフ・ザ・フィールド)のお披露目だった。
W杯の1次リーグ、スコットランド戦。山中がボールを外に蹴り出し、日本の8強入りが決まった瞬間、テレビの視聴率は53.7パーセントに達した。今大会のみならず日本のラグビー史上でも最高とみられる視聴率にちなみ、最初の商品として53枚限定のTシャツを選んだ。
潜在需要などの"市場調査"を終え、2週間後に本格的な活動を始めた。特製のトレーナーが1枚売れるごとに、ラグビーボール1個を幼稚園、保育園などに贈る。予定の900枚以上が売れ、約150カ所にボール1000個を寄贈した。個人の活動としてはかなり大きな規模。「W杯でラグビーに興味を持った子供が増えたけど、ラグビーボールがなかなか(スポーツ用品店などに)なかった。ボールがどういうものなのか、子供たちにまず触れてほしかった」と山中は語る。
高校時代から大器として期待された山中だが、なかなか代表には定着できなかった。神戸製鋼への入社直後には育毛剤の成分がドーピング検査に引っかかり、2年間の選手資格停止処分を課された。苦しいことも多かった現役生活の中でファンに支えられてきたという思いが、プロジェクトの根底にある。
数年前から温めていた計画を二人三脚で動かしているのが、早大ラグビー部時代の同期、吉谷吾郎である。
「4年に一度じゃない。一生に一度だ」――。コピーライターの吉谷は、W杯の公式キャッチコピーも手掛けている。「高いチケットを買うのも『一生に一度』だから仕方がないと、家族や自分への言い訳にできた」と感謝するファンがいた。大会組織委員会の中には、コピーを大入りの観客の一因に挙げる声も多かった。
「一生に一度」の自国開催は、山中が31歳で初めてたどり着いたW杯にもなった。山中は全5試合に出場。思いきりのいいカウンターやロングキックなどを持ち味を十分に発揮し、初の8強入りに導いた。
「フィールド」の内外でW杯に貢献した2人によるプロジェクト。吉谷がグッズのデザインや製作、発送の手配を担当。山中は全体の企画に加え、コストや価格設定など金銭面を管理し、計画に現実性を持たせているという。最後方からフィールドを見渡すFBというポジションとも似た役柄。「ちゃんと(計画全体を)よく見てるんですよ」と山中は笑う。
この活動には、選手の活躍の場を広げたいという願いも込めている。「(引退後の)セカンドキャリアにもつながっていくんじゃないか」と山中。吉谷も声をそろえる。「他競技でもそうだが、プロのスポーツ選手は他の人より自由に使える時間が長い。社会とつながる活動を現役時代からしようよという啓発になれば、という思いもあった」
山中は「今後もラグビーと今の世の中がリンクしたプロジェクトをしたい」と意気込む。コロナの影響で経営に苦しむ神戸の飲食店をサポートできないか。母校・早大のラグビー部の力にもなりたい……。構想は膨らむ。
■競技外の活動が競技の励みに
山中自身もコロナの影響でラグビーをできない日々が続く。チームのクラブハウスも使えず、週に4~5度、自宅でトレーニングすることくらいしかできない。「息は上がるし、汗もかくけど限界はある」と悩ましさもある。
そんな中でオフ・ザ・フィールドの活動は励みになっている。「この活動をしていることで、選手としてもっと頑張らなきゃいけないという気持ちになる。トップの選手がやっている活動だからこそ影響力があり、応援してもらえる。日本代表でのプレーもまだ全然やる」
6、7月に予定されていた、イングランドなどとの代表戦も開催が難しくなってきている。「試合があるかないかは分からないし、選ばれるかも分からないけど、そこに向けて頑張っている。ラグビーが再開されたら、いいプレーをするだけ」。何のためにラグビーを続けるのかという思いは、コロナ禍の中でもぶれていない。=敬称略
(谷口誠)