超音速の翼再び 開発ブーム、近づく移動革命の足音
時は金なり(3)
英仏政府が共同開発した「コンコルド」の引退から15年あまり。音速を超す速さで飛ぶ旅客機の開発が再び熱を帯びてきた。日本航空が出資する米ブーム・テクノロジーはニューヨーク―ロンドン間を3時間15分で結ぶ新型ジェット機の試作機を2021年にも初飛行させる。米国では同様の計画を掲げるスタートアップが続々と立ち上がり、いまや各社が一番乗りを目指す「超音速大競争」の時代だ。歴史を遡れば、大型船や自動車などの発明にともなう移動スピードの向上は国際貿易を可能にし、レジャーの楽しみ方を広げるなど人々の生活を変えてきた。足元の技術革新で次世代の超音速サービスももはや夢物語ではない。未来を変える移動のディスラプション(創造的破壊)が再び始まっている。
コンコルドの後を継ぐ「最速」ジェット機
ニューヨーク市マンハッタン。ハドソン川沿いに浮かぶ桟橋につくられた航空博物館に、1980~90年代に名をはせた超音速旅客機(SST)「コンコルド」がひっそりと展示されている。騒音公害などもあり03年に退役。その後SSTは世界の空から姿を消した。いまや歴史になってしまったコンコルドだが、音速飛行の商用化に道を開いた功績は大きい。その意志は世界の航空エンジニアに引き継がれているからだ。
ロッキー山脈の麓に位置する米コロラド州デンバーにあるスタートアップのブーム。ある地方空港に隣接する同社の格納庫に足を踏み入れると、試作中の超音速ジェット機「XB-1」に使われる機体や翼の骨組みがあちこちで組み上げられていた。パーツの組み合わせには人の髪の毛の幅ほどのずれも許されないため、レーザー光線を使って精度を確認しているという。すでに専用のフライトシミュレーターを使った操縦士訓練も始まっており、21年の初飛行を目指している。
「すべてを1960年代の技術に頼っていたためだ」。ブームのブレーク・ショール最高経営責任者(CEO)はコンコルド失敗の理由をこう喝破する。過去半世紀の間、航空機の素材はアルミニウムからより軽い炭素繊維複合材に、空力特性を調べるための風洞実験はコンピューターシミュレーションに置き換わったが、コンコルドの改良に取り入れられることはなかった。ブームではこうした最先端技術を取り入れることで、SSTを現代の空に復活させる計画を進める。
「XB-1」を発展させた55人乗りのSST「オーバーチュア」についてはまだ構想段階ながら、すでに日本航空や英ヴァージン・グループから計30機の仮発注を受けた。最新のジェットエンジンと旅客輸送に適した機体デザインを組み合わせ、コンコルドでは2万ドル(約220万円)だったニューヨーク―ロンドン間の運賃を5000ドルに下げる目標を掲げる。
米アマゾン・ドット・コムでソフトウエア技術者として働いていたこともあるショール氏の転機は14年。自ら設立に携わったモバイル決済のスタートアップが買収され、同社の経営からも退くことになった時だ。「飛行機のスピードが速くなると世界はどう変わるのだろう」。かつて空港でガールフレンドを待っていた際に抱いた疑問を思い出し、航空工学の教科書を買い込んで超音速機の開発構想に取りかかった。ある大学教授に実現性を相談したところ「やる価値はある」と背中を押され、たったひとりでのブームの起業を決意する。
従来の約2倍の速さへ 起業相次ぐ
米国では航空会社向けの旅客機だけでなく、富裕層や企業向けの小型ビジネスジェット機の分野でも超音速機の計画が相次いでいる。ネバダ州リノに本社を置くアエリオンは19年2月、マッハ1.4(時速約1700キロメートル)で飛ぶ小型ビジネスジェット機「AS2」の商用化に向け、米ボーイングとの提携を決めた。18年にジョージア州アトランタで設立されたハーミアスは音速の5倍の速さで飛ぶチタン製ビジネスジェット機の開発構想を掲げ、米有力ベンチャーキャピタル(VC)、コースラ・ベンチャーズなどから資金を調達した。
起業が相次ぐ背景について、米スタンフォード大学で航空機設計を専門とするイラン・クロー教授は「飛行時間が従来よりも節約できるなら、追加費用は十分見合うと考える多国籍企業が増えている」と話す。もしマッハ2を超えるジェット機が実現すれば、今のジェット機で11時間かかっているサンフランシスコ―東京間は5時間半で結ばれるようになる。国家首脳同士が頻繁に顔を合わせて会議を開けるようになるほか、移植用臓器は世界のより広い範囲に届けられるようになると見込まれている。
人類の歴史では、移動手段の進化が社会のあり方を大きく変えてきた。海運は大量の長距離物流を可能にし、15世紀に始まった大航海時代には都市国家の経済成長に拍車をかけた。19世紀に英国で鉄道が誕生すると、マンチェスターなどの工業都市に労働人口が集まり、首都ロンドンとを結ぶ物流ネットワークが確立した。20世紀に発明された航空機は、富裕層らに限られていた外国への観光旅行を大衆化した。
米ユタ州立大学のエリ・ドゥラード上席研究員は「超音速機がもたらす最大の効果は世界貿易にある」と指摘する。経済学では輸出国と輸入国の国内総生産(GDP)と、両国間の輸送にかかる時間と費用に基づいて、相互の貿易量を予測する「重力モデル」と呼ばれる理論がある。超音速機を前提にこのモデルをはじくと「世界で毎年数兆ドルの新たな貿易量とGDPが生成される」という。地理的な制約を超音速が突き破るならば、国が生み出す富の量も変わる。
最も恩恵を受けるのは、すでに忙しく「移動」をしている人たちかもしれない。米メディアによると、米テスラと宇宙開発ベンチャーの米スペースXを率いる起業家イーロン・マスク氏の18年の飛行移動距離は地球6周半に相当する25万キロメートル超に達した。自宅があるロサンゼルスとテスラ本社があるシリコンバレー地域との往復だけではない。フロリダ州や南米にも姿を見せ、投資家との面談では中東にも飛んだ。自らの生産性にもこだわる同氏が移動に伴う時間のロスから解放されれば、さらなる新ビジネスを生み出すかもしれない。
移動にかけるひとびとの夢は何もジェット機に限ったことではない。マスク氏のスペースXは火星移住用の大型ロケットを使い、宇宙空間に達する弾道飛行によってニューヨークと中国・上海を約40分で結ぶ移動サービスを構想している。アマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏や、ヴァージン・グループを率いるリチャード・ブランソン氏も宇宙空間に達する旅客輸送サービスの実現を目指している。
ブームのショールCEOは航空機分野について「これまで起業家に見過ごされてきた空白地帯だ」と話す。国家が主役の過去と違い、民間有志が集う今の大競争は苛烈ながらも歩みは速い。航空史と人類の発展史のページを、挑戦者たちの情熱が書き換えようとしている。
衝撃波問題が商用化の壁
SSTの商用飛行の再開にはいくつもの課題が横たわる。よく知られるのが、航空機が音速を超える速さで飛行する際に発生させる「ソニックブーム」と呼ばれる衝撃波の問題だ。衝撃波が地表まで届くことで建物の窓ガラスが割れたり、生活に支障を来すような騒音が生じたりする可能性があり、米国をはじめとする多くの国は陸上での民間航空機の超音速飛行を禁止している。現状ではSSTは海上しか飛ぶことができず、米東海岸と西海岸を結ぶ路線ではカナダやアラスカ州の北方の北極海を経由する必要がある。
ただ、航空機メーカーの間ではソニックブームを抑える技術の開発も進んでおり、米テキサスA&M大学航空宇宙工学科のダレン・ハートル助教授は「21世紀の米国の人々が許容する水準を慎重に評価する必要がある」と話す。次世代航空機産業の育成を見据え、米国では従来の規制を緩和する動きも出始めており、米連邦航空局(FAA)は19年に試験飛行に限って米国上空での超音速飛行を認める方針を示した。即座に民間航空機の超音速飛行を認めるものではないとしているが、航空機が発生させる騒音の基準を見直すなど、先端技術を考慮した規制に改める意向を示している。
文 シリコンバレー=白石武志、ロサンゼルス=早瀬ナオミ、中藤玲
先端技術から生まれた新サービスが既存の枠組みを壊すディスラプション(創造的破壊)。従来の延長線上ではなく、不連続な変化が起きつつある現場を取材し、経済や社会、暮らしに及ぼす影響を探ります。