氷河と嵐の大地 世界で一番の「異世界」を堪能する
地球の最果て、パタゴニアで写真を撮る(上)
南米大陸の最南端、アルゼンチンとチリにまたがるパタゴニア地方。切り立った山々、青く澄んだ氷河と湖がおりなす絶景は、世界で一番の「非日常」かもしれない。この「異世界」をカメラに収めようと、アマチュア写真家たちが集まる写真プログラムがある。
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「地球の最果てにはこんな風景が広がっているのか……」。カメラを構えた一団は、みな言葉を失っていた。切り立つ岩山が幾重にも重なり、万年雪を抱いた山頂に一筋の光が差し込む。ここは南米大陸最南端のパタゴニア。絶景を写真に収めたいと世界中から集まった旅人は、ほとんどが50~60歳代だが、なかには70歳を超える者もいる。
「姿勢を低くして ! 地面にへばりつくようにしないとカメラと一緒に吹き飛ばされますよ !」
撮影の指導に当たる写真家から指示が飛ぶ。氷原を渡ってくる突風は時に風速20メートルに達する勢いだ。立っていることもままならず、凍(い)てつく風で指先の感覚も失われていく。
強風にあおられて目を開けているのもやっとだが、視線の先では山並みが刻々と色彩を変えていく。米国ジョージア州からやってきたマイク・プールさんがつぶやく。普段の仕事は小児科医だ。「家を出てからここまで2日以上かかったけど、この風景を見たらすべての苦労が吹き飛ぶよ」。無我夢中でシャッターを切り続けた。
パタゴニアは南北に連なるアンデス山脈を境に、チリとアルゼンチンの両国にまたがる地域だ。面積は日本の2倍。域内には50を超える氷河があり、なかでもチリ領内にあるトーレス・デル・パイネ国立公園は秘境として世界的に知られている。チリ側は年間を通して気温が低く風が強く、1950年代にこの地に足を踏み入れた英国の探検家、エリック・シプトンは「嵐の大地」と呼んだという。
プールさんは結婚10年目の記念に夫婦でやってきた。「撮影旅行にこだわったのは、特別な感動を手にできると思ったから。プールサイドのデッキチェアに座ってくつろぐといったタイプのラグジュアリーな旅は、あえて選びませんでした」と説明する。
妻のアニータさんは写真好きの夫が喜ぶならと旅に同意した。写真を撮るつもりはなかったが、指導する写真家に勧められてカメラを手にとり撮影をはじめると、その魅力に取りつかれていったという。
「写真を撮るという行為は、目の前の光景をいったん自分で咀嚼(そしゃく)することなのですね。すべての風景を能動的に捉えることで、周囲の色彩やカタチが特別な意味を持ちはじめました」。気が付けば夫以上の勢いでフィールドを飛び回っていた。「こんな旅を体験したのは初めてです」
デトロイトから訪れた弁護士のエリカ・ケラーさんはもともと写真が趣味だ。長年、『一生に一度しか行けない土地』での撮影に憧れていた。「パタゴニアの地を踏んで最初に感じたのは圧倒的な距離感です。自分はどこにも、誰ともつながっていないのでは……、一瞬そんな孤独感さえ抱きました」
圧倒的な自然を前に日常の雑事や心配事が吹き飛ぶという話は聞いたことがあったが、本当に体験したと話す。「氷河が大地に刻んだ生々しい傷痕や、巨大な氷が一瞬にして崩れていく瞬間など、ここでは地球の壮大な営みを毎日目にします。それを必死に撮影しているうちに、何が現実だか分からなくなってしまって……。きっとこうした特別な感覚を求めて、自分は遠くまでやってきたのですね」。そう言って再び前を見据えてカメラを構えた。
(写真・田中克佳、文・太田亜矢子)
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