ハフィントン氏 死を招く睡眠不足、世界最短は東京
アリアナ・ハフィントン流 最高の結果を残すための「睡眠革命」(1)
ある金融アナリストの過労死
サルブシュレシュス・グピタは、ゴールドマンサックスに入社して1年目の金融アナリストだった。2015年、サンフランシスコでのことだ。週100時間という激務に疲れた彼は3月に退職した。が、またすぐ復職した。それが社会的なプレッシャーのためだったのか、それとも自らかけたプレッシャーのためだったのか、わかっていない。復職1週間後、彼は午前2時40分に父親に電話した。そして、2日間眠っていないこと、プレゼンテーション資料と朝の会議の資料を仕上げなくてはならないこと、オフィスに一人きりでいることを話した。父親は帰宅するよう説得した。グピタはあと少しだけ残って仕事をすると答えた。数時間後、彼は自宅前の通りで遺体で発見された。住んでいた高層マンションから飛び降りたのだった。
日本語、中国語、韓国語には、「働きすぎによる死」を意味する「過労死」という言葉がある。英語にそのような単語はないが、犠牲者はたくさんいる。また、命を落とすまでには至らなくとも、睡眠不足という流行病にかかっている人は多い。
睡眠不足は産業化社会に取りついた亡霊だ。私たちはとにかく眠りが足りない。そしてこれは、多くの人が思っているよりずっと大きな問題だ。私たちの時間は、昼も夜も、かつてないほど脅かされている。やるべきことが増え続け、それに伴って、起きている時間の価値が跳ね上がった。ベンジャミン・フランクリンの言葉「時は金なり」が産業社会の合言葉となった。そこで削られたのが睡眠時間だ。産業革命の夜明け以来、私たちは睡眠を、気は進まないが義理でつきあう遠い親戚のように扱うようになり、訪問をなるべく短時間で済ませようとしている。
科学は、私たちの祖先が本能的に知っていたことを繰り返し裏付けている。睡眠は空白の時間などではない。非常に活発な神経活動が生じて、記憶の定着や、認知機能のメンテナンス、脳と神経系の掃除と回復が行われる、とても豊かな時間だ。正当に評価すると、睡眠時間は、起きている時間に劣らない価値がある。私たちは、充分な睡眠を取ることで、起きている時間の質をずっと高めることができる。
しかし現代社会の大部分は、いまだにあの集団妄想のもとで営まれている。睡眠は時間の無駄遣いにすぎない、増え続けるToDoリストをこなして楽しく暮らすにはひたすら睡眠を削ればいい、という妄想だ。
「『成功』は燃え尽きという代償を払って初めて手に入る」は見当違い
この妄想は、ボン・ジョヴィのヒット曲や、ロック歌手ウォーレン・ジボンのアルバム、クライブ・オーウェン主演の犯罪映画(邦題『ブラザー・ハート』)のタイトルなどに使われたフレーズ「I'll sleep when I'm dead.(眠るのは死んでから)」にも見て取ることができる。ほかにも「You snooze, you lose.(眠ったら負け)」など、睡眠不足をもてはやす言葉はあちこちにあふれている。
いびきの音が「zzz」とアルファベット最後の文字で表されるのも、私たちが眠りを軽んじていることの象徴かと思うほどだ。「『成功』は燃え尽きとストレスという代償を払って初めて手に入る」という深刻な見当違い、そして、ネット社会による昼夜ない誘惑と要求。この二つがあいまって、私たちの睡眠は史上かつてない危機に陥っている。
私は、過労で倒れた時に、睡眠を削ることの代償の大きさを身をもって知った。だから、親しい友人たちが(そして知らない人も)同じ苦しみを味わっているのを見ると、とても胸が痛む。私が理事として参加している「Bチーム」(利益だけを成功のものさしとしてきたビジネス界を変えるために、リチャード・ブランソンとヨヘン・ザイツが創設した非営利組織)のマネジング・ディレクター、ラジブ・ジョシもその一人だ。
2015年6月、31歳の彼は、イタリアのベッラージョで開かれたBチームの会議中に発作を起こして倒れた。過労と睡眠不足が原因だった。歩くこともできない状態で、当地の病院に8日間入院し、その後も数週間にわたる理学療法を受けた。病院スタッフと話す中で彼は、人には「発作リミット」があることを学んだ。休息時間をきちんと取らずにいると、だんだんそのリミットに近づいてゆく。ラジブはリミットを超えてしまい、崖から転落したのだった。
仕事に復帰したとき、彼は私に言った。「持続可能なよりよい世界を築くための戦いは、短距離走じゃなくマラソンだ。そしてそれは自分の足元、個人的な持続可能性から始まることを忘れちゃいけないね」
世界規模で広がる「睡眠不足」
睡眠は一晩に少なくとも7時間取るべきだとされるが、ギャロップ社が行った最近の世論調査によれば、米国成人の4割はこれを大きく下回る。ボストン小児病院の小児睡眠障害センター長ジュディス・オーウェンスは、充分な睡眠を取ることは「栄養と運動、そしてシートベルトを締めることと同じくらい重要」だと話す。しかしほとんどの人は、睡眠の必要性をあまりにも過小評価している。そのため睡眠は「我々が最も軽んじる健康習慣になってしまっている」と、クリーブランド・クリニックの健康推進責任者マイケル・ロイゼンは言う。全米睡眠財団の報告もこれを裏付けており、3人に1人は平日に充分な睡眠が取れていないという。
この危機は世界規模だ。2011年の英国の調査では、回答者の32%が、直近6カ月間の一晩の平均睡眠時間は7時間未満だと答えていた。それが2014年には60%にも達した。2013年の調査では、ドイツで3人に1人、日本で3人に2人が平日に充分眠れていないと回答している。その日本には、疲労から会議の最中に眠ってしまうことを表す単語があるほどだ。「居眠り」、字義通りに言えば「居ながらにして眠っている。居眠りは勤勉の証しとみなされてきたが、これも、私たちが直面している睡眠危機の症状の一つにほかならない。
リストバンド型の活動量計を製造しているジョウボーンは、同社の製品「UP」シリーズを装着している何千もの人々から睡眠データを収集している。その結果、睡眠が少ない都市のランキングがわかるようになった。一晩あたりの睡眠が最も短いのは東京で、レッドゾーンの5時間45分。ソウルは6時間3分、ドバイは6時間13分、シンガポール6時間27分、香港6時間29分、ラスベガス6時間32分。ラスベガスより短いのなら、あなたの睡眠は問題ありだ。
仕事最優先の考え方と、テクノロジーの進歩が犯人?
こんなことになっている理由の大部分はもちろん仕事にある。もっと広く言えば、私たちが仕事をどう定義するかにある。そしてそれは、私たちが成功をどう定義し、何を人生で重要と考えるかによって彩られている。仕事が常に最優先だという盲信は、高い代償のもとに成り立ってきた。しかもテクノロジーの進歩がそれを悪化させている。今や、電話をポケットやかばんに入れるだけで、誰でもどこへでも仕事を持ち運べてしまう。自宅にも、寝室にも、ベッドの中にさえも、つきまとってくる電子音と振動と光る画面。
それは際限ない接続だ。友人との、他人との、世界中との、あらゆるテレビ番組との、すべての映画との。ただボタンを押せばよい。そう、依存的に。社会的動物である私たち人間は、人とつながるようにつくられている。デジタル環境に接続していないときでも他者とのつながりを期待している。そして、常にこの状態にあると、就寝時刻を迎えても心が休まってくれない。私たちは、自分の休息をおざなりにしか考えないくせに、電子機器がたっぷり休んで充電できる神殿を家中のそこかしこに用意してやっている。
今やネットへの常時接続は、成功に不可欠な条件だとされるようになった。ペンシルベニア大学の労働学教授アラン・デリクソンも著書『危険な眠気』で次のように指摘している。
「世界的競争の世の中で、睡眠不足は生き残りに不可欠な習慣の一つになってしまった。トーマス・エジソン(注*睡眠が短かったことで知られる)くらいでは済まない。24時間365日動き続ける現代社会で成功するには、必要な休息を自分にも部下にも認めないことが必要とされている。米国には、ありとあらゆる休眠に疑惑の目を向けるというイデオロギーがかつてない強さで浸透している」
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ハフィントン氏が紹介しているアラン・デリクソン氏の指摘は、米国だけでなく今の日本にもそっくりそのまま当てはまりそうだ。ではこの危機から脱するにはどうすればいいのか。それを考えるには、まず、睡眠不足がどれほど健康に悪影響を与えるのかを知る必要がある。次回はそのテーマを取り上げる。
「ハフィントンポスト」創設者、スライブ・グローバル社の創設者・CEO。2005年5月にスタートした『ハフィントンポスト』はたちまち評判になり、多数の読者を獲得。2012年にはピューリッツァー賞(国内報道部門)を受賞した。2016年8月に設立した新会社スライブ・グローバルは、人々の健康と生産性向上のため、最新の科学的知見にもとづくトレーニング、セミナー、eラーニング講座、コーチング、継続的サポートなどを世界各地の企業および個人に提供すると発表している。近著に『Thrive』(邦題『サード・メトリック しなやかにつかみとる持続可能な成功』CCCメディアハウス)。最新刊『The Sleep Revolution』(邦題『スリープ・レボリューション』日経BP社)は米国で15万部のヒットに。
(訳 本間徳子)
[書籍『スリープ・レボリューション 最高の結果を残すための「睡眠革命」』を再構成]
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