「壁」破り、シリコンバレーで起業する日本女性たち
スタンフォード大学から車で5分。低層の建物が立ち並ぶパロアルト市内に、「ヨーキー」こと松岡陽子さん(43)が技術担当副社長を務めるネスト・ラボはある。ネストは住人の行動パターンを学習して自動的に室内を適温に保つサーモスタットなど、人工知能(AI)を駆使したハイテク住設機器を開発する。今年1月、インターネット検索最大手の米グーグルが32億ドルで買収し、注目を集めた。
ロボットと神経科学の専門家としてマサチューセッツ工科大学(MIT)やカーネギー・メロン大学などで研究を重ねた松岡さんがネストに加わったのは、同社が創業した2010年。カーネギー・メロン時代の教え子だった創業者に誘われたのがきっかけだった。
プロのテニス選手を目指して16歳で渡米。だが、けがが絶えず断念する。代わりに「世界一」を目指せるものを探していて、思いついたのが「自分と一緒にテニスをしてくれるロボットを作ること」だった。
小さい頃から数学が得意で物理学にも興味があった松岡さんは、カリフォルニア大学バークレー校からMITの大学院に進み、博士号を取得。07年には「天才賞」として知られる「マッカーサー・フェローシップ」を受賞する。グーグルにも一時在籍し、自動運転車の開発などで有名なグーグルの研究開発組織「グーグルX」の創設にかかわった。
小さい頃は「失敗が怖くて動けないタイプ」だったが、米国に来て「やりたいことがあれば、とにかくやってみる」ようになったという。「日本で生まれ育ったため、女性の自己主張が強いのはよくないという考え方がどこかにある。でも、ここでは一歩後ろに下がっていると負けてしまう」と松岡さん。「女性の声が届きにくいからこそ、声を上げる必要がある」と話す。
イノベーションで世界をリードするシリコンバレーは何事も先進的なイメージが強いが、女性の活躍は遅れている。フェイスブックのシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)や、ヤフーのマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)のようなサクセスストーリーは実は例外的だ。
IT(情報技術)大手の管理職に占める女性の比率はグーグルが21%、アップルが28%といずれも3割未満。社員に男性エンジニアが多く、一般的な米企業が4割台なのに比べ低い。一方で多くの起業家を受け入れ、育てる自由な風土もシリコンバレーの特徴。自らの強みを磨き、主張できれば、日本人女性にも成功のチャンスはある。
堀江愛利さん(42)はシリコンバレーでは珍しい女性起業家専門のアクセラレーター(短期養成所)「ウイメンズ・スタートアップ・ラボ(WSL)」を昨年設立した。18歳で渡米し、カリフォルニア州立大学を卒業後に米IBMに入社。その後、複数のスタートアップ(新興企業)を渡り歩き、自らも起業した経験から、女性起業家を支援する仕組みの必要性を痛感した。
養成期間は3カ月。一度に10人ほどのファウンダー(創業者)が毎週集まり、資金調達からリーダーシップまで必要なスキルを学び、悩みを分かち合う。男性に比べて、女性の起業家は出産や育児などに時間をとられる分、ネットワークが狭く、孤独になりがちだという。
最大のハードルは資金調達。ベンチャーキャピタル(VC)から投資を受けているスタートアップのうち、女性が創業した企業は1割にも満たない。「女性起業家の成功事例が少なく、判断材料が乏しいという理由だけで避けられるケースが多い」という。
「女性ファウンダーの悩みを本当に理解できるのは、投資家でも顧問でも夫でもなく、同じような挑戦をしている女性だけ。ここで築いた人と人との深いつながりは何よりの財産になる」と堀江さん。これまでに25人の女性起業家が巣立っていった。ジェンダーの壁を打ち破る働きが認められ、今年3月には米CNNの「女性のビジョナリー10人」に選ばれた。
中村恵さん(31)はシリコンバレーの有力アクセラレーター「Yコンビネーター」を卒業した数少ない日本人の一人。3月に2人の仲間と共同で創業した米シフト・ファイナンシャルでは、ビットコインのような仮想通貨や航空会社のマイレージのような各種ポイントを世界中のあらゆる店舗で使えるようにする次世代の決済サービスの開発を進めている。
シカゴ生まれだが、両親は日本人。プリンストン大学で経済学と東アジア研究を専攻。05年に卒業すると、経済学の教授だったブラインダー元米連邦準備理事会(FRB)副議長らが設立した金融コンサルティング会社に就職。東京オフィスで働きながら学んだ金融規制などに関する見識が、いま生きているという。
「ここはエネルギッシュで、テクノロジーによって多くのことがあっという間に変わっていく。私もリスクを積極的にとる人間ではなかったが、日本の若い人にはもっと外に出てもらいたい」と期待する。
(シリコンバレー=小川義也)
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