1回目の司法書士試験の後は中国への旅に
平成8年7月7日に、1回目の司法書士試験が終わった後、7月12日から31日まで。19泊20日で、中国への旅行に出ています。
行きと帰りの飛行機のチケットと、20万円程度は持っていたという記憶があるものの、日本を出た時点で中国のホテルは取っていません。
北京で留学中の友達と合流。バックパックを背負って、成都、重慶、武漢と回っています。移動手段は、寝台列車、飛行機(中国の国内船)、山峡下りの船。宿泊先の確保は全部、フロントで「今日空いていますか?」でした。
今と違って、携帯電話を含む通信機器がありません。3段式の寝台列車では、こんなとこで寝れるわけがないと思いましたが、意外と快適。三峡下りの観光船も中国人と一緒で、最初に乗り込んだ安い船はあまりにひどい環境で、出発前に逃げ出しました。
今からすると、よく行ったものだと思いますが、恐さを知らないのは、若さの特権。冒険好き、拘束されたくない、というのは、今と同じです。
旅行の工程表を書いている手帳のページに、「受験番号最後の50人は3列。その他4列」とメモしていました。司法書士試験の会場、受験番号が若い教室は、何とも言えない重たい雰囲気。最後のほうは、受かるつもりで来ている人は少ない。
翌年の司法書士試験では、わざと願書の提出期限ぎりぎりに出すことを決め、平成9年。大阪の合格者の中では、一番最後の受験番号で合格しています。
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