エディーが頼ったベンチャー ラグビー日本、躍進の裏側
ITが変える「スポーツの常識」(4)
ワールドカップ(W杯)イングランド大会で大活躍したラグビー日本代表チーム。エディー・ジョーンズ前ヘッドコーチ(HC)はフィジカルとメンタルの双方でかつて無いほど厳しいトレーニングを選手に課したことで知られる。それが南アフリカ戦での勝利という"番狂わせ劇"を演出するなど、強さの根源を生んだことは間違いない。
緻密なデータ管理
そんな"エディージャパン"の成長の一端を、あるITベンチャーが陰で支えていたことはあまり知られていない。それが2008年設立のユーフォリア(東京・千代田)。「多幸感」を意味するイタリア語を社名に掲げる、戦略コンサルティング系のITベンチャーだ。

ユーフォリアが手がけたのはラグビー専用のクラウドサービス。強化策の一環として、選手に関する緻密なデータ管理を採り入れようと考えたジョーンズ前HCらの要請を受けて開発したものだ。2013年初頭に強化合宿など現場に導入され、以来2年に渡ってコーチ、トレーナー、選手など全員がこのクラウドを使い続けた。チームの高い要求水準を満たすために数百回ものカスタマイズを施したことから分かるように、強化策の根幹を陰で支えたサービスだと言っていい。
ベンチプレスで持ち上げられる重量を、欧米トップ選手並みに近づけろ――。当時、ジョーンズ氏は相当高い目標を掲げ、来る日も来る日も選手たちはトレーニングに励んでいた。代表メンバーが持ち上げられる重量と目標には大きな隔たりがあり、達成するのは並大抵のトレーニングでは難しい。おまけにW杯までの日程も2年弱と限られている。
高すぎる目標に向かって着実に歩みを進めるには、選手やチーム全体の状況を正しく把握し、的確に軌道修正していかなければならない。それにはよりどころとなるデータが必要で、かつ効果的に管理・共有することが求められた。
前例がない"ジャパン・ウエイ"への挑戦

ユーフォリアと代表チームの出会いは、偶然に近い。「システム会社を探していた代表チームの首脳陣の一人が、ユーフォリアのナンバー2の共通の知人に相談したことが縁だった」(橋口寛代表パートナー)。運命の糸に両者がたぐり寄せられたのは2012年夏のことだった。
アクセンチュアなどでコンサルティング畑を歩んできた橋口氏と、ブリヂストンなどでマーケティング畑を歩んできたもう一人の代表パートナー・宮田誠氏が、互いのノウハウを持ち寄って生まれたのがユーフォリアだ。企業が抱える様々な経営課題を解決し、道具としてITも積極活用することを得意とする。
「ラグビー強化のための専用システムは、世界を見回しても見当たらなかった。お手本がないなかで、白紙の状態から"ジャパン・ウエイ"(日本ラグビーならではの流儀)を作る課題に関われるのは滅多にないチャンス」(宮田パートナー)。そう考え、請け負うことを決めたという。宮田氏が長野県白馬村出身で、親戚に4人も冬季五輪に出場した選手がいるなど、スポーツへの関心が人一倍高かったことも背中を押した。
何度もコーチングスタッフとの意見交換を繰り返しながら開発を進め、基本的なコンセプトを固めていった。具体的には、まず選手の体の状態(コンディション)を、主観と客観の双方の視点に立って多種多様なデータを蓄積する。
その上で、筋機能の能力(ストレングス)を高める各種トレーニングメニューの内容や進捗状況もデータとして細かく記録。コンディションを踏まえてストレングスを見直し、変化したコンディションに応じてまたストレングスを見直す――。両輪を回していくことで、確実に設定したゴールへと近づけていく。ラグビー強豪国では必須のトレーニング理論として知られる「ストレングス&コンディショニング」の発想に基づくものだ。
こうして完成したシステムを、ユーフォリアは「ONE TAP RUGBY」と名付けた。ONE TAP(1回のタップ)とうたうように、スマートフォン(スマホ)で数回タップする程度の簡便な使い勝手にもこだわった。
コンディションを主観データとして入力
システム稼働後、代表チームは選手に対して朝起きた後など1日1回程度、コンディションに関して主観データを自分のスマホやタブレット端末に入力することを義務づけた。「疲労度」「睡眠の質」「ストレスレベル」「筋肉痛」など、選手個人がその瞬間自分の状態をどう感じているか、各項目について数段階で直感的に答えてもらう。時間に追われる強化の現場を考慮し、スライド式のバーを動かすだけの簡単なユーザーインターフェースを採用。「1回30秒程度で終わる」(橋口パートナー)。
コンディションに関する客観データも、測定すれば適宜入力していくことができる。「体重」「体温」「脈拍」「血液中の酸素飽和度」など、いわゆるバイタル(生命)データだ。こうして選手のコンディションに関する膨大なデータがクラウド上に蓄えられていく。
コーチやトレーナーは従来、刻々と変わる選手の状態を経験や勘などを頼りにチェックしてきたが、ONE TAP RUGBY導入後はタブレット端末が相棒に。クラウド上のデータを分析したさまざまなレポートが閲覧でき、選手個人やチーム全体のコンディションの傾向や変遷を見える形で確かめられるようになった。
ONE TAP RUGBYにおける"ジャパン・ウエイ"は主観データに重きを置いた点だろう。昨今、米国IT企業を中心に歩数などを計測・記録する個人向けのネットサービスが相次ぐが、いずれもセンサーがはき出す客観データを分析して健康に役立てようと考えている点で共通している。
ただ、「ぎりぎりの戦いを求められるプロスポーツの世界では客観データよりも、メンタルにも通じる主観データの質を高めることが強化時や試合中に大切になる」と宮田パートナーは明かす。
分かりやすいところでは筋肉痛がある。選手たちはきついトレーニングの後、何かしらの痛みを抱えている。それが限界を超えた痛みかどうかを適切に判断しなければ、強化中にケガを誘発してしまいかねない。もしかしたら自覚症状はないが、無理をしているかもしれない。気づかずに試合に出場させたら、期待した以上のパフォーマンスが出せず、勝てる試合をふいにしてしまう可能性だってある。客観データからは見えてこない情報だ。
選手の変調をメールで警告、ケガも未然に防ぐ
ONE TAP RUGBYでは「腰部」「臀部」「肩」「頸部」など筋肉痛の症状を記録でき、設定したしきい値を超えると警告メールをコーチに送る機能を用意した。おかげで朝起きたデータから異常が見つかった選手とすぐさま面談し、トレーニングを休ませたり試合のスターティングメンバーを変更したり手を打てるようになった。他にも疲労度や体重変動などでも警告でき、選手の変調を見逃さない工夫がある。
もちろん主観的な数字なので、筋肉痛なら痛みを感じやすい選手とそうでない選手もいる。試合直前などに自分を鼓舞しようと、ストレスレベルをあえて低く答えるケースも考えられる。主観データならではの"振れ幅"が生じるのは避けられないが、記録し続けることで個人やチーム特有の傾向が見えてきて、振れ幅を差し引いた適切なアドバイスが可能になるのだという。
「ゴールを決めて、そこへの着実なステップを設定し、ITなどの適切な道具を調達して挑み続ける。エディージャパンのやり方は、企業経営に通じるものがあった」。橋口パートナーは、チームが成長し続けていく様子を見てこう感じたという。
実際、緻密なデータ管理は目に見える形で成果を生み、W杯前に今回の代表チームは「結構いいところまでいく」と内心感じたとも明かす。例えばベンチプレスの重量は目標には届かなかったものの、世界のトップレベルにあと一歩のところまで鍛え上げた。否が応でも期待が高まったのもうなづける。
ラグビーのためだけを考えて開発した新システムだが、代表チームの活躍は他のスポーツ競技の関係者にもデータを軸にする「ストレングス&コンディショニング」の高い効果を知らしめることになった。野球やサッカー、アイスホッケーなどのチーム・団体からの問い合わせが増えているといい、今後要望に応じて各競技の事情に合わせた改良版を順次開発していく計画だという。

「目玉のコンディション管理だけでも採用したい」「警告メールなどケガ予防のみ提供してくれないか」――。そんなリクエストに応えようと、コンディション機能に限定した「ONE TAP CONDITIONING」やケガの管理に特化した「ONE TAP INJURY」など姉妹サービスも拡充しつつある。すでに陸上部を抱える企業やサッカーチームやテニス競技団体、選手育成に悩む大学・高校などで採用が進みつつある。
ジョーンズ前HCは残念ながら退任し、先日日本を去った。彼は離日する際、羽田空港で「新たな歴史をつくり、ミッションは完了した」と語ったそうだ。ミッションから生まれ、置き土産なったONE TAP RUGBYは、ラグビー界のみならず日本のスポーツ界全体にITという"武器"の効果的な使い方を教えてくれたのは間違いない。
(日経コンピュータ 高田学也)
[ITpro 2015年11月25日付の記事を再構成]
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