同姓同名の不思議、ギネスに挑戦する田中さん
編集委員 小林明
同姓同名の仲間を探して交流しよう――。
こんな"運動"をライフワークとして地道に続けているサラリーマンがいる。その名は田中宏和さん(45)。同姓同名の「仲間の輪」を広げ続け、交流するための親睦組織「田中宏和の会」を運営している。現時点での会員は104人。今年2月には「田中宏和の会」を一般社団法人化し、「来年をメドに165人以上の田中宏和さんを一堂に集めて、ギネスの世界記録樹立を目指したい」と意気込んでいる。
生まれも育ちもそれぞれ異なるのに、同姓同名というだけで他人とは思えない連帯感を覚えてしまう不思議……。互いの絆を深めるために定期的に会合を開いたり、テーマソング(→動画参照)やロゴやTシャツを作ったり、ホームページを開設したり。同姓同名の仲間とそのプロセスをまじめに楽しみながら交流する「田中宏和運動」にコツコツと取り組んでいる。
「自分とは何者か? 名前の機能とは何か? それは哲学的な問いかけであり、前衛芸術活動でもある。海外でも同じような運動があるのでいつか国際交流もしてみたい」。こう夢を膨らませる。
今回は「同姓同名運動」を提唱する田中宏和さんの活動の足跡をたどるとともに、その魅力や効用、ウンチクなどについて探ってみよう。
ギネス再挑戦のために一般社団法人設立
今年2月4日。一般社団法人「田中宏和の会」が正式に発足した。代表理事は同会を主宰してきた「ほぼ幹事」の田中宏和さん。このほかに初期メンバーである「渋谷」の田中宏和さんやホームページの運営に尽力した「WEB」の田中宏和さんを加えた3人で登記手続きを済ませた。
「狙いは2011年にギネス世界記録樹立に失敗した雪辱を果たすこと。法人を立ち上げれば企業からの支援の受け皿になるし、遠方から駆けつける会員の交通費も援助できる。来年にもギネスに再挑戦するつもりです」。「ほぼ幹事」の田中宏和さんは言葉にこう力を込める。
マーサ・スチュワートに負けた苦い記憶
脳裏をよぎるのは3年前の苦い記憶だ。
2011年10月15日。田中宏和さんは67人の同姓同名の田中宏和さんを一同に集めてギネス世界記録(最大の同姓同名の集まり)を樹立する目標に挑戦していた。ロンドンのギネス本部からの事前情報では「50人以上集まれば記録として認定できるだろう」という見通しだった。
ところが、米国の女性実業家マーサ・スチュワートさんがテレビ番組の企画で164人のマーサ・スチュワートさんを過去に一堂に集めていたという事実が判明。ギネス本部はそちらをギネス記録に認定したため、田中宏和さんの挑戦はあえなく失敗に終わってしまったのだ。
「同姓同名運動はあくまでも趣味の一環。ビジネスにするつもりはないけど、大きな目標があった方が活動は盛り上がるでしょう。本気でギネス世界記録更新を狙いますよ」と熱っぽく語る。
カギとなるのは「西日本の田中宏和さん」
ギネス世界記録樹立に向けてカギとなるのは「西日本地域の開拓」だ。
2013年に実施した明治安田生命保険の調査によると、田中姓は日本国内では佐藤、鈴木、高橋に次いで4番目に多く、134万人いると推計されるが、この田中姓は西日本に多いことが知られている(→拙著・日経プレミアシリーズ「なぜ『田中さん』は西日本に多いのか」参照)。
だが現時点での「田中宏和の会」の会員の分布は首都圏が多く、西日本はまだまだ開拓の余地が大きい。2012年から田中宏和運動の関西地区大会、九州地区大会、中部地区大会を催すなど会員獲得に努めてきたが「今後はさらに取り組みを強化しないといけない」と気を引き締める。
全国の田中宏和さんは850人
ところで、全国に田中宏和さんは何人いるのだろうか?
「あくまでも推計ですが……」。田中宏和さんはこう前置きしたうえで「2002年時点のNTTの電話帳に田中宏和さんが195人掲載されていたから、世帯主の母数から逆算すると日本国内では850人ほどの田中宏和さんがいる計算になります。国民の14万人に1人、田中姓の1500人に1人が田中宏和さんという確率です」と予想する。
850人の同姓同名が同時に集まって交流するなんて、考えただけでもワクワクするではないか。
田中宏さん、田中宏一さん、田中浩和さん、田中弘和さん……。「こうした一字違いの『ニア田中宏和』さんとも親睦を深めたいと思っている。何かの縁ですからね」。
同姓同名の仲間は初対面なのになぜか初対面だという気がしない。「名前」という共通体験を生まれながらに分かち合っているためだろう。それが同姓同名運動の魅力でもあるのだ。
同姓同名の混乱を避ける秘策とは?
メンバーがすべて同姓同名だと、混乱しないのだろうか?
「その心配には及びません。田中宏和の会ではそれぞれを特定するために呼び名を付けています」。なるほど、それなら区別できる。
ただ理美容業界で3人の田中宏和さんが出てきたときには呼び名を付けるのに困ったそうだ。思案した結果、「美容師」の田中宏和さん、「美容室」の田中宏和さん、「床屋」の田中宏和さんと呼び分けることにしたという。
米国では「ジム・スミス」「デイブ・スミス」が同姓同名運動
同姓同名運動は海外にもある。
米国には「ジム・スミス協会(Jim Smith Society)」という団体が存在する。入会資格はジム・スミスという姓名であること。1969年にペンシルベニア州のジム・スミスさんが設立し、定期的に集まって交流しているそうだ。会員は約2000人で女性メンバーもいる。最もありふれた名前だからこそ逆に連帯感が強まり、交流組織が誕生したというわけ。会員にはそれぞれに呼び名が付けられているらしい。混乱を避けるためだろう。
このほか、米国のデイブ・スミス(Dave Smith)さんが同姓同名の人を捜し求めて全米中を旅しているという話もある。
同姓同名運動はすでに世界的な広がりを見せているのだ。
きっかけは94年秋のドラフト会議
田中宏和さんが同姓同名運動にのめり込むきっかけになったのは何だろうか?
「あれはプロ野球のドラフト会議でした」と田中宏和さんは振り返る。94年秋。野球好きの田中宏和さんが25歳のとき、毎年恒例のドラフト会議で衝撃的な出来事が起きたのだ。
「近鉄 田中宏和 投手 桜井商業」――。
ドラフト会議の司会者の張り詰めた声がテレビから響いた。「思わずギクッとしました。同姓同名の高校生が1位指名されたのですが、あれは野球好きの僕には夢のようなゾクゾクする体験でしたね」
偶然の連鎖で「友人の輪」が広がる
それがすべての始まりだった。
翌年の元旦に送った年賀状にその出来事について書いたところ、なぜか同姓同名の田中宏和さんに遭遇する偶然が次々と重なるようになる。「それなら、田中宏和をネタに年賀状をシリーズ化して書き続けてみたら面白いのではないか?」。こうひらめいたという。
2002年にはコピーライターの糸井重里さんが運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」でこれまで書きためていた田中宏和ネタの年賀状を紹介する機会に恵まれた。すると多数のメールが全国から続々と届き、会員予備軍が爆発的に伸びる「田中宏和運動ビッグバン」が起きる。
03年にはメールを送ってくれた田中宏和さんのなかで近くて会いやすそうな「渋谷」の田中宏和さんとの面会を果たした。同姓同名の田中宏和さんと直接会ったのはこれが第1号だ。こうして会員数を少しずつ増やしていった。
楽曲・ホームページ・信州旅行などで交流
「渋谷」の田中宏和さん、「作曲」の田中宏和さん、「WEB」の田中宏和さん、「レコード」の田中宏和さん……。それぞれのメンバーが得意分野や特殊技能をもっているので、大勢集まれば色々なことが実現できる。田中宏和運動を盛り上げるため、田中宏和の会の楽曲やホームページ、書籍も作ってみた。いずれもプロが手掛けたので本格的な出来栄えだ。
09年秋に制作した楽曲「田中宏和のうた」の作詞は「ほぼ幹事」の田中宏和さん、作曲・編曲は「作曲」の田中宏和さんが担当した。お金を出し合ってスタジオを借り上げ、11人の田中宏和さんが曲の収録にのぞんだ。歌詞は3番まで。英語バージョンや中国語バージョンもあるそうだ。
同年末には北信濃・須坂の豪商である田中本家12代目当主、田中宏和さんに会いに行くためのバスツアーも企画した。「田中宏和同士だと、不思議に会話が途絶えるということがない。同姓同名という共通の話題があるからでしょう。冗談を交えながら話が面白いように弾んだ」という。
同姓同名で「パラレルワールド」を疑似体験
2011年3月11日。東日本大震災の発生時にはこんなエピソードがあった。
田中宏和さんは仙台に住む田中宏和さんの安否が気になっていた。まだ会ったことはないが、「田中宏和の会」にメールをもらっていたのだ。職業は消防士。「果たして無事だ
ろうか?」。被災地の最前線で奮闘しているはずだと信じて3月16日夜、こんな安否確認メールを送ってみた。
「今日までご連絡するのをガマンしてきました。お元気ですか? 返信だけでもいただけるとうれしいです……」
すると翌朝、こんな元気いっぱいの返信が届いたのだ。「大丈夫です 災害対応中です がんばります負けません」。安心した。うれしかった。
「連絡をありがとうございました。いつか、そのうち笑って会いましょう。応援しています。いつでも連絡ください」。「ほぼ幹事」の田中宏和さんはこう書いてメールを返信した。
震災後、「消防」の田中宏和さんと「ほぼ幹事」の田中宏
和さんが仙台で初めて顔を合わせたのは7月2日のこと。これが縁で、やがて田中宏和運動のテーマ曲第2弾で東日本大震災のチャリティー曲でもある「名前さえあればいい2011」を一緒に制作することになったという。
田中宏和さんは最後にこう言って、取材を締めくくった。
「名前って何だろうとつくづく思います。その人を特定しているようで、呼称としては機能していないこともある。でも、名前を通じて仲間が知り合い、友人になっているのは確かなんです。名前のおかげで、別の田中宏和だったら、ありえたかもしれない異なった人生を疑似体験できる。パラレルワールド(並行世界)を感じるような感覚なんです……」
ちょっと哲学めいているが、不思議で楽しくてとても奥が深い。同姓同名運動にはそんな魅力に満ちた世界が広がっている。
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