早起きは本当に徳か 15日間4時起床でわかったこと
日照時間を十分に活用できるよう、太陽が昇る少し前に目覚め、仕事の能率や私生活の変化を調べる。実験を始めた5月中旬は、東京の平均日の出時刻が4時35分のため、毎朝4時に起きることにした。早起き心身医学研究所の税所弘所長に相談すると「早起き習慣が定着するには最低10日は必要」とのこと。少し多めの15日間挑戦してみる。
1日目。普段は朝7時起床のため、4時にベッドからはい出た時は目が重い。前夜は早く眠れず、睡眠時間は3時間半。ウトウトしながら朝食を食べ、シャワーを浴びて駅へ向かった。
外に出ると、日が昇ったばかりで朝日が体に染みた。早朝の道は人が少なく静かで、草花の香りを楽しむ余裕がある。自然から元気をもらい眠気は覚めた。
昼食後に睡魔 試練の飲み会
始発電車に乗ると、人がまばらで席に座れるためうれしい。ただ早朝は電車の本数が少ないため、乗り換えで電車を待つのに15分かかってしまった。地下道を歩くと、始業前の施設がシャッターを閉めていて、通れない道が多かった。
5時半に誰もいないオフィスに到着。朝は涼しくて冷房なしでも快適、これぞ早起きの醍醐味と上機嫌に。自分1人のためにオフィスの照明をつけるのはもったいないため、卓上ライトにだけ明かりをともす。
エレベーターやコピー機を1人で独占するのも電力効率が悪い。サマータイムは多くの人が同時に早起きするから効果的なのだと実感した。
午後は終始ウトウト、仕事の効率は悪かった。「まあ、これからだな」とつぶやき家に帰り床に入った。
土日を挟んだ次の週が試練の時だった。前の晩に早く眠れず、睡眠不足での出勤が続く。
午前中は集中力が続くがお昼を食べた少し後に必ず睡魔が襲う。魔の午後2時だ。「スペインでは昼寝は当たり前だから」と言い訳をしながら、机やソファで15~30分ほど居眠りした。
終業のタイミングが分からず、夜にズルズルと仕事を続けた点も良くなかった。早く出勤した分、早く帰らないと意味がない。
朝時間の有効活用を提唱する池田千恵さんに相談すると「事前に『△時には退社しますので、□時までなら対応できます』と明確な時間の期限を示すと、相手の理解を得られ、早く帰りやすいでしょう」との説明。勤務時間のズレは、コミュニケーションで埋める必要があるようだ。
この時期、一番の難関は連日の飲み会だった。開始は午後7時や8時。普段なら何ともない時間だが、早起き生活だとこの段階で既に眠い。
「明日は早いから……」と2次会を断るつもりだったが、意志が弱く結局3次会にもつれ込む日も。帰宅は連日の深夜。翌朝の起床も7時すぎになってしまった。
寝坊して目覚めた後、正座して反省していると「飲み会が悪いわけではない。悪いのは自分だ」と気付いた。早起きするための就寝時間を逆算して、それに合わせた帰宅時間や酒量にしなければならかった。自分を律することが早起きの基本。心を入れ替えた。
10日で生活リズム、自炊で料理上手に
その日から数日、夕食後のテレビやインターネットは控え、入浴後にストレッチして血行を良くするなど、眠りに入りやすい状況を作ることを意識した。
すると挑戦10日目ごろには、夜10時を過ぎると自然とまぶたが重くなり、翌朝や昼食後の眠気が少なくなった。体が早起きのリズムに慣れだした証拠だ。
次第に早起きのメリットを実感するようになる。午前の早い時間帯は集中力が高く、仕事の手際が良くなる。昼過ぎには普段に比べ一仕事終えている実感があり、心の余裕が生まれた。
退社時間を午後4時に早め、帰宅ラッシュを避けて帰るようにしてみた。すると、生活の選択肢が大きく増えることに驚く。
市役所の窓口はまだ開いているし、スーパーにある生鮮品の品ぞろえは夜に行く時に比べて豊富。夕暮れ時の街をジョギングすることや、プロ野球を一回表から観戦することもできた。
一番うれしかったのは、自宅で夕食を楽しむ時間が増えた点。凝った手料理に取り組めたため、少し腕が上がった気がする。妻にもほめられた。外食の回数が減り、財布に優しく、食事のバランスもいい。
15日間の挑戦が終了。振り返ると、早起きに慣れた後は仕事、余暇ともに普段より充実できた。ただ1人だけでの早起きには少しさみしさが残る。早朝の有意義な時間帯や、早めに仕事を切り上げた後の明るい時間帯。サマータイムが広く導入され、多くの人がそういう時間を共有できたら、生活がさらに楽しくなるかもしれないと思った。
始発電車に乗って、乗客を眺めていると面白い。会社に向かう人、釣りに行く格好のおじいさん、飲み会で終電を逃したであろう若い男性。老若男女、1日の始まりと終わりが混在している。
その中で目を引かれたのが朝練習に向かう野球部の中学生。乗客の大半が寝ている車内で、ニコニコ笑い話をしている。彼らは1日中元気なのだろうか。それとも、昼過ぎの苦手な授業ではこっそり居眠りしているのだろうか。少し気になる。
(武田健太郎)
[日経プラスワン2013年6月1日付]