2014.01.10 (金)
それぞれのお正月
年末の記事にいただいたコメントにお返事しないままです。
ごめんなさい



追記: この記事のお返事書きました~ (1/15)
あいかわらずの私ですが、
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
みんなにとっての、いつものお正月って、どんなお正月ですか?
また、お返事は無しってことにさせてもらうかもしれませんが
もしかよければ、みんなにとっての新年の迎え方を
コメントで教えて下さったら嬉しいなあと思います。
わたしは今、大分県佐伯市に暮らしているのだけど、
こちらは、31日の夕食のときに、おせちを食べるの。
なんと、大晦日がメインなの!!!
27年前、結婚して初めてのお正月のとき、とても戸惑いました。
義母を手伝って、一緒に用意したおせち料理。
てっきり、お重に詰めて、暖かくない部屋に置いておいて、
元旦の朝に食べるものだと思っていたら、
出来あがったものから大皿に盛って、そのままテーブルセッティング。
31日のまだ明るい早めの夕方、4時とか5時には、親族一同がすっかり集まり、
お酒も刺身盛りも寿司も用意して
「さあ、食べましょう♪」と
驚いたのは、わたしだけ。
Lily 「今夜、こんな大ごちそうを食べたら、メインの元旦には何を食べるん?」
Lily以外の全員 「はあ? 今夜の残りやんか。」
Lily 「えええーーーっ!? 一番大事な元旦に残りものなん?」
Lily以外の全員 「はあ? 一番大事は、大晦日やん」
Lily 「ええええーーーーーーーっ!?」
いちいち驚くわたしに、みんなはキョトン顔なのでした。
明るいうちから始まった大宴会は、長時間続きます。
飲んだり食べたりしながらで、紅白歌合戦はやってるけど、ろくに見ていません。
胃に年越しそばが入る隙間はありませんから、当然なしです。
もちろん、佐伯市でも、食べる家庭もありますが、
そばの売り上げは極端に少ないと聞きました。
わたしの実家はというと
大晦日の夜に食べるのは、重箱に入りきらなかった残り物とか
伊達巻や昆布巻の端っことか、
煮くずれたお煮しめとか。
ガサガサと大急ぎで食べて、大急ぎで順番にお風呂に入って、
元旦を迎えるきれいな体になってから、紅白歌合戦を見る。
子どもの頃は、紅白を見ながら、こたつで眠ってしまってったっけな。
でも、紅白の終わりの「蛍の光」のところで、無理矢理起こされるのだった。
ゆく年くる年を見ながら、お腹にもたれない量の年越しそばを無理矢理食べる。
プ、プ、プ、プーーーーーン の時報と共に、全員が正座。
大真面目な顔で、まず父が
「新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」と言う。
父のあとに、母と兄と私が、声をそろえて、同じ挨拶を言う。
声を合わせるために、顔を見合わせて、タイミングを合わせながら言うの。
さぐりさぐりの感じが、とても可笑しくて、ニヤニヤしてしまうのだー。
元旦の朝は、ゆっくり寝て、ゆっくり起きる。
まだ起きちゃいけないのかなあ?って、布団の中で様子を伺うくらい(笑)
全員で神棚に挨拶をする。
お神酒を飲む。
お神酒は年下からってことで、一番年下のわたしが、一番先に飲むのだ。
それも、一番偉い父のお酌で♪
ふふふん♪
なんでも一番最後のわたしが、元旦のお神酒だけは、一番最初なのよん。
お神酒で乾杯が終わり、父からお年玉をもらってお礼を言って、
それから、やっと、
お雑煮とともに、お重に詰めたおせちに箸がつけられるのだった。
そんなふうに、大切なのは、ピカピカの元旦で
大晦日は、新年を迎えるためにバタバタするだけ ってのを、二十数年くりかえしてたから、
大晦日重視の嫁ぎ先には、すごく戸惑った。
あとね、実家は黒豆だったけど、嫁ぎ先は、うずら豆を煮ます。
実家は、おすましの雑煮だけど、嫁ぎ先は味噌仕立ての雑煮です。
佐伯の人と結婚して今年で27年。
連れ合いの実家では、味噌仕立ての雑煮を食べます。
自宅に戻ると、おすましの雑煮にします。
いつのまにか、年越しそばは、食べないのが当たり前になりました。
おせちといえば、うずら豆になりました。
時報とともにやる新年の挨拶は、
わたしが希望して連れ合いにやってもらってます。
おしりがもぞもぞして 落ち着かないんだもん(笑)
連れ合いにとっても、もうやるのが当たり前になったみたいで、
目で合図したり、つついたりしなくても
プ、プ、プ、プーーーーーーン のあと、号令がかかるようになりました。
正座して、大真面目な顔で、やってますよ。
「新年、明けましておめでとうございます」
「本年もよろしくお願いいたします」
息子たちは、中学生とか高校生のころは、
一応、つきあってやるんだけども、挨拶が終わったあと、
「バカじゃね?」
「こんなことするん、うちだけじゃね?」
「意味なくね?」
とか言って笑ってましたけどね。
たぶん、二十年後も三十年後もやってるんじゃないかと思います。
自分の子ども達に号令かけて。
長男のお嫁ちゃんの育った家庭も、煮豆はうずら豆だったんだそうです。
ここは同じねー
あ、でもね、
たとえお腹いっぱいでも、ほんの一口しか食べられなくても、
年越しそばは、食べていたんだそうです。
そっかあ。
そしたら、来年からは、年越しそばも用意することにしよう。
うっかり忘れないようにしなくちゃ。
と思ったLilyでした。
この記事の写真も、ずっと前に載せたことある写真です。
今と同じくらいの季節の ふるさとの写真です。




あ、そうそう、
実家のわたしの部屋の ちょうど裏にあった蝋梅の木、
大晦日の日に、まだつぼみだらけの蝋梅の枝を いくつか切ってきて
松や千両などと一緒に、正月用の花を活けるのは、父の役目でした。
ほんの一枝、二枝なのに、
開いてる花はわずかなのに、
家中が、蝋梅の花の香りになったっけな。