『お地蔵さんと日本人』 清水邦彦
路傍やお寺など、あちらこちらに祀られているお地蔵さん。日本人にもっとも親しみやすい菩薩だが、なぜ、そこに安置されているのか?いったい何ものなのか?インドから日本、古代から現代までの歴史、文学、民俗などの豊かな事例からわかりやすく考察して、お地蔵さんの奥深い世界を紐解き、日本人の信仰を明らかにする。 |
私の生れた家の近くにある辻に、大きな岩に乗せられた子安地蔵が祀られていて、私の家が管理していました。祭の日にはお坊さんがお経を上げに来て、そのあとみんなで美味しいものを持ち寄って食べました。紙芝居のおじさんが商売をしたのも、このお地蔵さんの前でした。昭和40年代のことです。
このお地蔵さんは、大きな岩の上に安置されていたので、お顔は子どもの目線より、うんと上にありました。だから、お地蔵さまの前に立つと、慈悲深いお顔で見下ろされている感じです。心安らぐお地蔵さんです。
お地蔵さんは日本人にとってとても親しみ深い存在なのに、研究成果を踏まえた学術としての地蔵研究というものがあまり多くないんだそうです。書籍としては二つほどあるということですが、たしかに少ないですね。馴染みすぎて空気みたいになってしまったんでしょうか。
学術としてのお地蔵さまか。たしかに読んでみたら、時代ごとに地蔵がどのような存在であったか、様々な文献にあたっていらっしゃる。こりゃ、地蔵研究って、大変ですね。なにしろ参考文献の数がものすごい。
![]() | 『お地蔵さんと日本人』 清水邦彦 法蔵館 ¥ 1,980 日本ではお地蔵さまの立っていない道はごく稀である(ラフカディオ・ハーン) |
第一章 中国の地蔵信仰 第二章 日本への伝播と普及 第三章 中世の地蔵信仰―中世仏教との関連を中心に 第四章 江戸時代の地蔵信仰 第五章 明治時代から現代の地蔵信仰 |
以前読んだ『埼玉の川を歩く』という本に、お地蔵さんの話が出てきました。 関東平野から起ち上がる奥武蔵の山並みの中でも、一番東側に、南北につながる尾根筋があります。グリーンラインの山々です。グリーンラインのぶな峠あたりを源流にして西吾野駅近くで高麗川の合流する北川という川があります。 | ![]() |
お地蔵さん、自分の身を犠牲にして子どもを助けたんですね。昭和43年というと、私が8歳の頃の話です。
北川の少し南に、同じ尾根から流れ出している虎秀川という川があります。流域に点々と集落が続くんですが、その一つである間野という集落から山を越えて東側に下りると、獅子ヶ滝を経て阿諏訪、その先に毛呂山町が広がります。滝からあるいて最初の集落の背後に愛宕山と呼ばれる山があって、越生の貝立場につながります。 この愛宕山の巻き道に、苔地蔵と呼ばれる小さなお地蔵さんがひっそりと立っています。 | ![]() |
地蔵という名前はサンスクリット語のクシティ・ガルバの漢訳だそうです。クシティは大地、ガルバは子宮の意味。クシティ・ガルバで「大地のごとく包み込む者」という意味を“地蔵”という漢訳で表わしたんですね。地蔵はインドの地母神プリティヴィー(大地の生命力・生産力を神格化した女神)と習合した菩薩と考えられているそうです。
これを教えられて、お地蔵さまへの認識が少し深まりました。


