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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
世田谷区に応援の寄付を!!
「 感染抑制のために、ご注意願いま」まとめて振り返れば、国も都もこれだけを言っています。後は非常事態宣言の発令の時期を判断することが感染拡大防止策と決め込んでいるのです。ですから、感染拡大を防止し、同時に、経済を回すには検査をして感染者と非感染者を分けるしかないことは明らかなのですが「感染防止と経済を回すことを両立させるため最大限の努力をする」とのお題目だけを虚しくこの数か月間、発し続けるのです。
 しかし、感染拡大防止と経済を両立させる唯一の方法は検査をして、感染者と非感染者とを分けることだと国民誰もが理解しています。法改正を含め、様々な細かい目配りが必要なはずなのですが、安倍首相は国会を閉じてしまいました。保身のためには国民を犠牲にしても心が痛まないのです。国民は安倍政権を運命として受任しなければならないのでしょうか。そんな絶望感の中、希望に見える発言がありました。世田谷区長保坂展人さんです。治療に関わりなくも検査を受けられる体制を作るとの宣言です。しかも、「国がやらないから世田谷がやる」との言いようが国民をスカッとさせました。
 世田谷区を応援しません!!検査体制を整え運営するには結構な資金が必要でしょう。区民は勿論、全国の市民が応援し、成功させることで世田谷方式が全国に広まるでしょう。それが政権に大きな打撃となる筈です。そのためにも、行うに値する寄付となります。
怒り、呆れた後は?!
 改めて、8000万枚のアベノマスクを配るそうですね。さすがに、中止しようかとの検討が入るらしいですが、政権中枢部が如何に世情に疎いかが分かります。世情を知っていて配るのならこれは、もう、罪です。
 怒り続け、それでも変わらない安倍政権に、呆れだしてから、もう相当経ちます。呆れ疲れもすると、どうなるかと思っていましたが、結論が出ました・・・・・無関心になるんですね。もう、政権がらみの話は心動かなくなってきました。よく、怒られている内が華だと言われますね。叱る価値もないのです。

   責任を痛感またも空虚なり
          声上げ叱る画面の者に

 1か月ほど前の作です。この時すでに、叱る気も失っていたのです。大分前の気持ちを歌にしたんですね。たしかに、もう、テレビを観ても安倍首相に声を上げて叱りません。というか、画面に登場しないのです。会議に出て話している画像は時たま流れますが、国民に向けての説明も、考えも話すことが無くなっています。ですから、「声上げ画面の者をしかる」ことが物理的にもできない状況なんですね。
 もう、終わってしまっています。広島参議院選挙区の、というかあの河合夫婦と闘って落選させられた元議員の溝手さんが、総裁選前に、安倍さんを、「もう過去の人」と呼んだ、その時からすでに過去の人であったと思い知らされる国民です。コロナ対峙の仕方は、今までの政治姿勢と同じです。ですから、コロナ対峙の結果は、今までの政治結果と同等の質であると言えます。これからコロナが起こす悲惨さは、この7年間が悲惨であったとの気付に導きます。


   ウイルスの自由を守る策続く

   ウイルスがボウフラのごと群れを成し
             のっぺらぼうを向け忍び寄る
コロナ鬱調査
 今日の東京新聞社会面に、厚労省が来月コロナ鬱調査を一万人規模で行うとの報道がありました。米国で精神的苦痛を感じる人の割合が45%あったとのデーターもあるそうです。精神保健福祉センターへの相談には「不安で心がおかしくなりそう」「不安で眠れない」「うつ状態になりやる気が起きない」「飲酒量が増えた」「収入が減り生活が不安」などがあります。
 そういえば、私も「つまらない」と口に出すことが増えました。2月から外出は買い物、散髪屋、3月22日に教員時代の先輩に誘われて中学校の桜を観に行った、解除後近くのレストランに数回行っただけです。来客は拒みませんが、この5が月で10組ほどでしょうか。東京に出たのは1月5日、甥と銀座に行って以来ありません。というか、千葉にも成田にさえ行っていません。つまり、家にいる時間が圧倒的に多いと言うことです。
 自然と、テレビを観る時間が増えます。8時からは羽鳥慎一モーニングショー、続いて、大下容子ワイドスクランブルTBSのゴゴスマを見ることも。日曜8時からはTBSサンデーモーニングは必ず観ます。その結果言えることは、コロナ感染拡大防止対策は国民への協力呼びかけと、非常事態宣言の発令だけです。
 しかし、政府は二度目の非常事態宣言を出すことは考えていません。避けよう避けようとしています。ゆえに、拡大防止対策は国民への協力要請のみになります。これって、安倍政権得意の丸投げではないでしょうかね。ここに及んでも、国民の命に係わることにも丸投げできるんですね。ここで一首


   「 自己責任 」染めず来たが国を診て
                覚悟を決めた自守自活自助
最悪の事態予想される
 もうすでに、第二波の中にいます。東京の日の感染者数は一波のピークを越え、病院も保健所も疲弊しています。「医療が切迫していないから、まだ、ニ波ではない」と、いくら誤魔化しても、時間の問題です。二週間後に認めざるを得なくなるでしょう。その時に、付けが回ってきます、医療は崩壊し、死者が増えます、非常事態宣言発令で、また経済はストップします。
 感染拡大防止と経済を回すこと両方を一度に行う唯一の方法は検査をして感染者を見つけ、そのミ密接接触者を探し出し、隔離すること以外にありません。それは武漢やドイツバイエルン州、ニューヨークの感染収縮を観れば明らかです。というか、素人にも推測できます。この指摘はもう3月には言われ出していました。この四か月、これを実施してこなかった付けをこれから市民は受け取ります。やりきれない気分です。


   KORONA GOTO進め頑張れキャンペーン

コロナにかき消された感じですが、敵基地攻撃という先制攻撃を容認する動き

   「敵基地」をどう言い換える武器でない
                 防衛装備過去の傑作


   母の評 人に問われて答え無し
             人間でない母なるゆえに
コロナには見せ掛けや、誤魔化しが効かない
 コロナ危機により、日本の問題が浮き出たといわれます。その通りなのですが、安倍政権の見せ掛け誤魔化し政治の弊害が国民すべての身に及び、実感させられているということに、なぜ、メディアは触れないのでしょうか、不思議に思っています。
 口先だげ、誤魔化しに次ぐ誤魔化しが日本を後進国にまで貶めたことはだいぶ前から見えてました。それに触れることなく、コロナを迎えました。安倍政権に忖度も遠慮もしないコロナには、口先だの誤魔化しが通用しないのです。そのために、社会の混乱がはなはだしい。コロナは自然に属します。人間はごまかせても、自然は誤魔化せません。自然はその本性と法則を変えないのです。
 ゆえに、問題が誰の目にも明らかに顕在化しているのです。これに安倍流は対応できないわけです。もう安倍政権は終わっています。その政権に期待することの愚かさを思います。

    ウイルスが喜ぶ国の頓珍漢

    税金も民の努力も無駄遣い

    議会閉じ己が延命終始する

    混乱を国は拡げて塩を塗る

    看護師の文字に違わぬ「使命感」

    民正気国が狂気のコロナ策

    GOTOに頼らぬ旅が楽しかろ

    コロナでも貫徹される自己責任

    またポシャる独りよがりの安倍主導

    的外れ無能な国に心病む
グテレス国連総長五大国批判
 グテレス 国連事務総長が安保理の五大国による拒否権独占を批判しています。これ拒否権により、国連が機能不全に陥っているとの認識です。これは自著「語り継ぐ戦争と民主主義」の二部「憲法九条は理想か空想か」で述べたことと一緒です。引用します。
 「平和のために、名誉ある地位を占めたいという憲法前文に従うなら、国連の議決は一国一票制とし、多数決原則を採り、その決定に従い行動することを原則とするべきです。大国は拒否権に頼らずに、大国らしく諸国を説得する度量を持ってほしいものです。」全く同じことをグテレス総長も言っています。
 先日書きましたように、防衛のためには先制攻撃が必要だ、と言い出した自民党、それを否定しない安倍政権。これも、私予言していました。 
              「その内に言い出すだろう攻撃が最上級の防衛なると」

 これは「追従で国を損なう安保ン丹」に載せた短歌です。自著に書いたことが次々実現、というか現れ出るのではないかと心配しています。例えば、

    老人減コロナ無策が狙ってる

    マイナンバーぶら下げ歩く日も近し

    隠す手間省くぞ書かぬ会議録

    やばい国なぜか選ぶは滅ぶ道
           滅びの道をGO-TOGO-TO

    復興より復古が進む七年後

 などなどです。「語り継ぐ戦争と民主主義」には、これ以外にも、いくつもの心配を書いています。それらも、当たってしまうのではないかと恐れています。
絶望、滅びの後に希望
 私たちの国は人間に絶望するほどの経験をしました。先の戦争です。しかし、その絶望を生んだ戦争に負けることで、希望を得ました。同じことがこれから起きるのだとの確信が今、私にあります。
 コロナ感染が国民を殺し、経済は崩壊、財政破綻、それゆえのハイパーインフレも国民の命を奪うでしょう。死なないまでも、それ以上の、健康を害した人々が国の医療負担を増大させ、さらに、国民生産量を下げるでしょう。
 しかし、これが新自由主義=貧富の拡大放置への、強国の軍事重視主義=軍事力を背景にした国力強化=自国第一主義への懐疑を世界の人々に抱かさせる結果を生みます。ここに変革への希望が見えます。その際、、当然、今までを否定する思想、それに基づく政策を掲げる政治家を選ばねばいけません。つまり、安倍晋三を真っ向から否定する政党、政治家が政治を行うことにならねばなりません。この選択くができる希望が、ようやく生まれるのです。
 この選択ができるようになるために払う犠牲があまりにも大きいことが、現時点での絶望の中身です。この絶望を受け入れる覚悟を決めました。惨禍なしに変われない人類の限界、性。しかし、絶望から希望を見出してきたのも歴史です。新たな活路を見出せるかどうか、人類生き残りの最後のチャンスになるような気がします。


     危い国なぜか選ぶは滅ぶ道
     やば
              CO-TO GOーTOもう止まらない
もう、ニュースもワイドショーも観ない
 政府は2月から5月までの政策有効性を自己診断できずに、この6~7月に至っても、同じことを繰り返しています。緊急事態宣言をして自粛要請がもうできない以上、感染を抑え、同時に、経済も廻してゆく方法は、有効な検査をして、感染者を入院や施設に入所させて非感染者と接触させないことです。これにより市中の感染者数はゼロ近づき、安心して、生産消費活動ができるわけです。
 これしか方法はありません。にもかかわらず、未だに「熱がある人は言えに居てください」しか言わないのです。熱があったら、すぐに、検査でしょう。そうしないと、ご本人は重症化する可能性があるし、家族は感染の危険に晒されます。家を出てしまえば。、社会に感染を拡めます。
 ですから、検査体制の整備に、重症患者のベットと治療体制の整備に、軽症者用の隔離施設の準備に、コロナゆえの赤字経営の病院への経営支援に、医療器具用具の生産確保のために、予算を使うべきなのです。GO-TOキャンペーンに金を使う時期ではありません。
 というか、上の政策実行で、安心が生まれたならば、補助金なんぞなくとも、皆さん旅行に出ます。現に、私、1月5日に甥っ子と銀座であって以来、東京はおろか、千葉市にも出かけていません。市内と隣町旭市だけです。不安だからです。感染しても、すぐには検査をしてもらえない、重症化したら高齢者は致死率が高い、と言われたら、どこにも行けないでしょう。
 毎日期待して、ニュースやワイドショーを観てきましたが、もう変われない政府と見切りを付けました。期待がない番組を観てもしょうがありません。次回出版に向け、勉強しようと思います。そう決めました。


    対策は熱があるなら家に居ろ
             なれど旅立つGO-TOゆえに

    対策は市民任せのコロナ危機

    補助金にウイルス着けて旅に出す
先制を敵基地と読む法創り
 攻撃される前に敵基地を攻撃できるようにする法改定を自民党や政府が真剣に前揉めりです。自著「追従が国を損なう安保ン丹」で、
       その内に言い出すだろう攻撃が
                  最上級の防衛なると

という短歌を詠んでいました。こんなに早く「実現」するとは思いもしませんでした。そこでまた、一首

      先制を敵基地と読む法創り
             コロナを放り国家を守る

この手口、過去に何回も使われてきました。これだけ批判を浴びている安倍政権なのに、何の反省もないことが明らかになりました。大変な大器量です。ただし、悪人の大器量ですが。それでは、飽きずに、作る安倍批判川柳を!!


     民コロナ首相は保身ゆえ籠る

     人流れ民凍り付く温暖化

     「注視する」腕拱くとは言えず
             こまね

     愚かなり大統領ズ世を乱す

     悪びれもせず人を消費する半夏雨

     感染数右往左往の近視眼

     「注視する」?国の本気を注視する

     天変地異太古食われた人類想う
                     ひと

     支援金どこに送るか迷うほど

     天壊れ地定まらぬコロナ危機

    
今年も水害!?
 朝、テレビをつけtら、どこの局も熊本球磨川流域の水害を報じていました。死者も出ている様子です。重たい気持ちにさせられました。これでもか、これでもかと、災害が続きます。政府はまたも、型通りに、命を守る行動をとってくださいと、心が伴わない、家電製品のような声で、儀礼的挨拶を述べるだけです。「国民の財産と命を守る」が口癖の、国民を大切にしない政府です。


     人間を悪びれもせず消費する
               命差し出す嵐のたびに

      「注視する」腕を拱くとは言えず

      責任を痛感またも空虚なり
                声上げ叱る画面の者に

      不実ゆえ腐る言葉が山となり
                悪臭放つ「美しい国」

      高徳の生き方できぬ我が身には
                 刻む鼓動が南無阿弥陀仏
           

肝冷やす
 昨日は地域の鎮守、水神社の茅の輪繰りの神事があり、その後「なおらい(直会)」がありました。嫌な予感が当たり、コロナ対策がない宴会場に案内されました。私を含め3人の新総代がいましたので、自己紹介と相成りました。それが終わり、乾杯となって、今までと変わらない宴会が始まってしまいました。
 蜜を避けましょうと口では言っていますが、大きな声で話し笑い、酒を酌み交わすに及んで、これはいたたまれないと、トイレに行くふりをして、帰途に付きました。挨拶して帰るべきところですが、コロナが怖いから先に帰ると言えば場がしらけます。嘘の理由を言っても、疑われます。ならばと、黙って抜け出したのです。
 最初、手の消毒はしました。が、席は密接、料理は無防備に人様のしぶきを浴びる状態、とても料理と会話を楽しむことが出来ません。皆さんも気になっていたに相違ないのですが、酒が入り、その警戒心は消えたようです。久しぶりに、不愉快な思いをしました。


   先制攻撃チギル平和の断末魔

   病得て消費する叔母豊かなり

   中国は自由を幸に含めない

   幸不幸どちらを観ても涙なり

   雷鳴や千切れる闇の断末魔
月見草光なくとも灯り居る
 我が家の庭は雑草野草がこれでもかというほどに繁っております。その中に、月見草が何か所か群生しています。夕方になると、蝋を帯びたような薄黄色の花が開くんです。それは美しいです。そこで、上の句が出来ました。
 今日は川柳も俳句も短歌も行きます。

   コロナ危機民秀官愚際立ちぬ

   静寂や生き方を問う蟻の道

   官僚はコロナをねたに予算取

   愛犬へモーツワルトの眠り風

   黒人を首吊り今は首絞める

   黒人の死も命さえも悲しみ

   意図もない笑顔と共に振る尻尾

   苦を生きた笑う遺影のありがたさ

   喧嘩する習トランプは双生児
         デモは敵よと軍銃向ける
   
コロナよりアベノウイルス驚異なり
 安倍政権にイライラさせられ続けているのは、私だけでしょうか?アベノマスクに代表される頓珍漢な政策にイライラが募ります。PCR検査体制の充実を自ら言いながら、未だに、二次三次流行に備えているとは思われません。というか、どういう姿勢で臨み、同準備しているかを公表しないのです。インフルエンザとの同時流行に備え、発熱外来の必要性が叫ばれる中、これへの対応もはっきりしません。病院医師たちの自発的対応では限界があります。国が音頭を取って進めるしかないのですが。
 その他、もろもろは言うまでもありません。そこで、575!!


   アラートは政権に向け鳴っている

   政治家がらしさ失い民は病む

   国民が託した力無駄遣
           不信を与え希望を奪う

   悪政がコロナを超える驚異なり
              イライラ募り心蝕む  

   政治家がらしさ失い信立たず
             精なき言葉病葉のごと

   アラートは政権に向け鳴っている
              真っ赤な嘘が官邸染める


ついでに、安倍首相の親友トランプ大統領批判

     「デモはテロ」過去にも聞いたことがある
                   日本レベルに落ちた米国
次郎さん、太る?!
 次郎さんが少し太ってしまったと感じています。とにかく、大きくなりました。ゴールデンレッドリバーの血を引くと聞いていましたから、大きくはなると思っていましたが、予想を超えています。
 そこで、ぼーとは違うとばかりに、求めるままに食事を出してしまったのがいけなかったのでしょう。と同時に「太っているわけではないのかなぁ」とも思わされるのです。このまま、見慣れてしまい、肥満と感じなくなってしまわないようにとは思っています。かといって控え目に食事を出して、健康を害してもいけません。
 と思いつつ「ぼーは必要以上に食べなかった」と記憶するのです。多く出しても腹いっぱい以上は食べなかったです。次郎もそうではないのか。というか、動物たちは腹を壊すほど大食いはしないとも経験上感じます。自分がそうだから、暴飲暴食すると心配しているだけなのかもしれません。動物は「足るを知る」で生きているのかもしれません。人間よりも完成された生き物なのでしょうか。そんな気にさせられる人類の愚行が繰り返されています。

   責がある認めて済ます無責任

   隠す手間省くぞ書かぬ会議録

   警官にデモへ同情させる人

   光州の地獄呼び込むワシントン

   嘘つきはまず己から騙すもの
黒川氏処分誰が動いたか、小さなことではない
 黒川氏の処分は誰の意志で決定されたのか、またもや、真相が明らかになりません。法務大臣の、官邸が主導したとの、最初の発言が信ぴょう性があります。が当の安倍首相が検事総長が決めたのを了承したと言い出しました。このような事例が過去に何度もあったように記憶します。
 仮に、安倍首相が言う通りとしましょう。しかし、了承したのですから、同意したことになります。異論があれば、覆す権限を首相は持っていますからね。行政処分は刑事起訴とは違います。公務員として相応しいかどうかで判断することになっていますから、世間一般の常識から逸脱しているのなら重い処分がをする必要があります。懲戒既定の中にもそう書いてあるそうです。その中には重い職にあるものは重い処罰にする必要が書いてあるそうです。自衛隊んが掛け麻雀で停職になっている事例からすると、東京高検長ならばこれ以上になるのではないでしょうか。
 安倍首相が、またも、自分の発言に従うように法相に答弁し直しさせたとの疑惑を放置することになれば、もう、国民は彼を信用も信頼もしないでしょう。首相を信じられないことほど危うい政治はありません。市民社会にとって、不幸なことです。


 汗滲む役務寡黙な給付金

 岸三世「美しい国」に一人住む

 「日本モデル」民の犠牲を誇る怪

 功は引き責は投げるの癖が付き
習近平主席と安倍晋三首相
 習主席の言動から、安倍首相を連想させられることに気付きます。そういうことありませんか。
 習主席に、コロナ発生を昨年から知っていたが隠していたとの疑いがあります。武漢で採取したサンプルを破棄、WHOの緊急事態宣言にも圧力を掛けた疑いも言われています。そして、中国発のコロナを認めずに、WHO 総会で謝罪もしませんでした。
 また、武漢ウイルス研究所の石正麗氏が身の危険を感じて亡命した事件や娘をコロナで失った母親の抗議を弾圧するなど、政権に都合悪いことをなかったことにしようともしています。
 そして思い当たります。これらは、この数年、日本国民が見せつけられてきた数々の安倍首相の不実と類似していることに!森加計事件、南スーダン自衛隊日誌隠蔽、厚労省資料の改ざん、「桜を見る会」検察庁法改定案。そして、「国民を守る」首相が追い込んだ赤木俊夫さんの死、昨年の参議院選挙応援演説への野次を排除したことに無頓着な民主主義者安倍首相というチグハグ・・・・。
 しかし、このチグハグを習近平主席には感じません。なぜなら、中国は共産党独裁政権だからです。このチグハグが私たちの危うい民主主義の今を突き付けています。


まだ来ない
民守るアベノまことも届かない

アベマスク今じゃ要らぬがまだ来ない

民主主義コロナに続き危機に入る

まだ来ないイヤイヤ決めた給付金

何してる何もしないが生きている

半夏生風流れても時止まる
検察幹部OB声上げる
森加計を耐えたOB声上げる

コロナ後手法改悪のストレス禍

戦後レジームからの脱却実施中

黒川に墨を流して真っ黒け

「説明をする」以外説明していない

私は三権の長
 「私は立法府の長」に続き「私は司法の長」発言もするだろうと思っていたところ、その通りになりました。今回の検察庁法改定は、政権が検事総長の人事に口を出すのですから。
 武田行革担当相が、検察官も国家公務員なのだから、他の職員と同じように処遇するのが合理的だといった答弁をしました。しかし、これは歴史的経緯を無視した発言です。国家公務員法に加え、あえて、検察庁法を制定したのは、司法が行政府の支配に組み入れられないための智慧です。これは、戦前、行政府が立法・司法権をも、実質、握ってしまったことへの反省が生み出した、同じ過ちを繰り返さないための装置なのです。
 その装置を、安倍首相は強引に外そうと主導しています。しかし、驚くことはありません。なぜなら、首相は「戦後レジュームからの脱却」をスローガンに掲げているからです。つまり、戦前を過ちと思っていなければ、反省の必要もないと信じているのです。この信念が村山・河野談話の見直しを主張させ、憲法に緊急事態条項を盛り込もうとする意欲となって表れているのです。
 そして、戦前への最大の反省から生まれた憲法九条の改定です。最大の反省から生まれたゆえに、九条が最大の敵に見えるのです。しかし、これが彼の最終的な目標ではないことが分かってきました。彼が目指す到着点は「私は三権の長」だったのです。ですから、論理が破綻しているにもかかわらず、検察庁法改定に突っ走るのです。
 安倍首相が政権を投げだすのではとの憶測が飛んでいます。投げ出しても結構なのですが、その理由を健康問題と言わせてはいけません。「私は三権の長」の信念を国民に拒否されたからだと言わせねばなりません。
検察庁法改定、もちろん反対
 「私は立法府の長」が安倍首相の持論ですから「私は司法の長」発言もそのうちにするだろうと思っていましたが、その通りになりました。今回の検察庁法改定は「私は司法の長」と言っているのに等しいからです。
 首相は国家公務員法に加えて、検察庁法を敢て設けた理由を理解していません。というか、知っているのでしょうが知らんぷりしているのでしょう。これは戦前、三権を独占した独裁政治への反省であったわけです。司法の行政=政権からの独立を担保する必要があるからこその特別法としての検察庁法制定であったわけです。 このせっかくの智慧を台無しにしてしまう愚行が今回の改定です。
 しかも、露骨にも、黒川検事長を検事総長にするための退職延長閣議決定を1月にしています。さらに、初期の法務省原案には国家公務員の退職延長だけで、検事長や早朝の延期案はなかったのです。今回の改定の目的は国家公務員の退職延長が目的ではなく、検事長・早朝の延期が目的なのです。 これは間違いなく安倍首相の保身が目的の法改定です。
 安倍首相が、また、政権を投げ出すとの憶測が飛んでいます。投げ出してもいいのですがその際の理由を健康問題と言わせてはいけません。「国民の信頼を失ったから、もう続けられない」」と言わせなければいけません。