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次回アップ予定:Scene-616 黒沢川『新岩蔵橋~新古武士橋』 (2020/12/10)
[Vol-02] 今回は、前回最後に寄った富岡愛宕神社から中央橋まで戻り、継続遡上で大所橋、湯場橋、岩蔵橋までの紹介です。では、中央橋から都道を260m南下して右折180mに在る、曹洞宗寺院の常福寺へ行きます。飯能市下直竹の長光寺末で、1527年(大永7)長光寺6世三翁守島により開創、其の後に荒廃しましたが、寛文年間(1661~1672年)12世大童良積が中興開山したと云われています。本尊:薬師如来坐像、所在:青梅市富岡3-1107。関東九十一薬師霊場の8番、奥多摩新四国霊場八十八ケ所の15番札所です。
常福寺から都道へ戻り、バイパスの日影林通りに入って220m先に架かるのが『#04大所(おおしょ)橋』です。中央橋から480m上流に架かり、左岸の青梅市富岡3丁目と右岸の同じく青梅市富岡3丁目とを結び、一般道(日影林通り)が通ります。下流と上流側に水管が併設されています。右岸上流から流入する河川は、小布市川(流路延長約2.6km)です。
名称:大所橋
構造種別:2径間PC桁
河口からの距離:1.1km
橋の長さ:約16m
有効幅員:約4m
完成:1963年(S38)
大所橋の上流方向に側道が無いので、左岸側都道方向へ戻り迂回します。岩蔵温泉バス停の先、右手に赤鳥居が見えます、富岡3丁目の稲荷神社です。創建は不詳、祭神:稲荷神、所在:青梅市富岡3-1037。境内社:笠森神社、栄沢弁財天、鳥居は1964年(S39)、狛狐は2002年(H14)の建立です。
黒沢川に戻ります。大所橋から110m上流に架かるのが『#05湯場橋』です。左岸の青梅市富岡3丁目と右岸の青梅市小曾木5丁目とを結び、都道44号瑞穂富岡線(岩蔵街道)が通ります。上流方向は両岸に民家が建込んでいて撮影ポジションが無いですね。下流側に魚道と落差工が在り、小布市川からの魚は遡上可能ですね。都の橋梁点検台帳によると1934年(S9)の完成で、岩蔵街道も翌年に岩蔵~箱根ケ崎間にバスが開通になっています。現在の橋が、当時の橋の儘かどうかは不明です。
名称:湯場橋
構造種別:1径間PCアーチ
河口からの距離:1.2km
橋の長さ:12.4m
有効幅員:5m
完成:不明
橋名の湯場、温泉に関係しており此処に温泉が在ります。日本武尊が東方征伐の際に入湯したとされ、其の時に安全を祈願して岩で出来た蔵に武具を収めた事から「岩蔵温泉」と呼ばれています。湯場橋の右岸側を40m進むと右手に温泉宿の儘多屋(ままだや)が在ります。日帰り入浴もあったのですが、コロナ禍の影響で中止されています。残念!
儘多屋の前に、史跡-岩蔵温泉と「湯乃権現」の額が下がった熊野神社が在ります。かつては熊野権現と称し、明治維新の際に熊野神社に改称しています。岩蔵温泉の守護社だそうです。祭神:伊弉那岐尊、事斛之男命、速玉之男命、所在:青梅市小曾木5-3142-1。鳥居は1987年(S62)の建立です。
儘多屋の前の道を100m程南下、右の小道に入って110m、T字路突き当りを右折して道成に100m程進むと右手に青梅市指定史跡の岩蔵住居跡の案内板が在り、岩蔵温泉郷の西側に聳える、舌状台地上に位置しています。斜面の道から入り、畑の脇道を直進します。
縄文時代中期(4000~5000年前)の集落跡で、1967年(S42)に発掘調査が行なわれ、3基の住居跡が確認されました。其々直径4m程の円形竪穴式住居でした。現在、見学出来るのは北西端に位置する第3号住居跡のみですが、窪みだけで住居の名残の欠片も無いですよ。所在:青梅市小曾木5-3184。
遺跡入口から西へ150m程進むと、湯場橋から410m上流に架かる『#06岩蔵橋』です。黒沢川左岸の青梅市小曾木5丁目と右岸の同じく青梅市小曾木5丁目とを結び、一般道が通ります。今回終着地点の橋になります。
名称:岩蔵橋
構造種別:1径間RC桁
河口からの距離:1.6km
橋の長さ:約8m
有効幅員:約3m
竣工:1962年(S37)
>>>後書き<<<
次回は岩蔵橋から継続遡上して、新岩蔵大橋、古武士橋、新古武士橋までの紹介になります。
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Author:mark60
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