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次回アップ予定:Scene-471 新中川の纏め『新中川に架かる橋 28』(12/25 12:00)
[Vol-08] 今回は三和橋から継続遡上して、細田橋人道橋、細田橋、高砂諏訪橋人道橋、高砂諏訪橋までの紹介で、『ぶらっと遡上探索』新中川編の最終回です。では、三和橋東詰めから北200m程に在る、真言宗豊山派寺院の東覚寺から寄ります。願音房により開山、慶雄法印が開基となり、1617年(元和3)に創建したと伝えられています。札所の扁額には東学寺と記載されており、当初の寺号だと思われます。山号:日照山、院号:九品院、本尊:阿弥陀如来立像、所在:葛飾区細田3-5-10。南葛八十八ケ所霊場の2番札所、新四国四箇領八十八ケ所霊場の25番札所です。
JR新金貨物線の線路を挟んで東側に細田神社が見えますが、視界の範囲に踏切が見えませんね。地図で確認すると、北120m先の細田踏切で廻り込めます。
先程の東覚寺が別当で、曲金(まがりかね)と呼ばれる農村地域から分村して細田村が開村した1695年(元禄8)頃に、村の鎮守として稲荷社を勧請したのが始まりと云われています。祭神:宇賀御魂神、所在:葛飾区細田3-17-6。境内社:水神社、天満宮。鳥居は1990年(H2)、脇鳥居は1855年(安政2)の建立です。例大祭の準備中なので、絵づらが悪いですね。
細田神社脇鳥居から出て、先程の細田踏切へ戻り、西へ90m進むと細田橋人道橋と細田橋が並んでいます。新中川左岸の葛飾区細田3丁目と右岸の葛飾区細田2丁目・高砂1丁目とを結ぶ橋です。細田橋が架橋された後の19年後に下流側に『#25細田橋人道橋』が架けられ、車道から分離されています。新細田橋の架け替えが予定されており、仮人道橋が架橋された後、撤去される予定です。
名称:細田橋人道橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:7.3km
橋の長さ:120.3m
有効幅員:約2m
完成:1979年(S54)
細田橋人道橋の上流隣りに架かるのが『#26細田橋』で一般道が通ります。新中川掘削工事に伴う創架で老朽化が激しく、2024年(H36)に新細田橋の架け替えが予定されています。
名称:細田橋
構造種別:7径間PC桁
河口からの距離:7.3km
橋の長さ:119m
有効幅員:4.5m
完成:1960年(S35)
細田橋から320m上流に架かるのが『#27高砂諏訪橋人道橋』で、左岸の葛飾区高砂2丁目と右岸の葛飾区高砂1丁目とを結んでいます。高砂諏訪橋が架橋された後の17年後に下流側に此の人道橋が架けられ、車道から分離されています。此の橋も、新高砂諏訪橋の架橋に伴う撤去計画があります。
名称:高砂諏訪橋人道橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:7.6km
橋の長さ:137.6m
有効幅員:約2m
完成:1978年(S53)
高砂諏訪橋人道橋の上流隣りに架かるのが、今回終着地点の橋となる『#28高砂諏訪橋』で、此方は一般道が通ります。新中川掘削工事に伴う創架橋で老朽化が激しく、時期は未定ですが架け替え計画があります。
名称:高砂諏訪橋
構造種別:5径間PC桁
河口からの距離:7.6km
橋の長さ:135m
有効幅員:4.5m
完成:1961年(S36)
高砂諏訪橋から右岸側を200m進むと中川と合流点で行き止まり、中洲の端に新中川通水記念公園が在ります。公園と云っても、ベンチと中川放水路通水記念碑が在るだけですけど(笑)。所在:葛飾区高砂1-27-1。新中川の終端らしき標識は皆無ですね。
高砂諏訪橋まで戻り左岸側に移動します。220m程遡上すると中川と合流し、前方に中川に架かる高砂橋が見えます。左岸遊歩道の路面を金が落ちていないかチェックしながら進むと、標識発見。7.92km終点と刻まれており、此処で河口からの新中川遡上を完了とします。距離が短かったので拍手は1パチですね(笑)。
時間的に余裕があり、帰るのが勿体ない程の晴天だったので、中川に架かる3橋梁程を前撮りし、中川との合流点左岸側から北東400m程に在る京成高砂駅から帰宅します。途中に寺社が3箇所在ったので序に紹介しますね。先ずは、中川に架かる高砂橋東詰めから北80m程に在る単立寺院の大光明寺です。元は此の地に在った極楽寺で、廃寺になった後、2005年(H17)に本堂・庫裡・芸能塚等を其の侭引継いでの創建です。極楽寺は浄土宗、江戸下谷幡随院末、青涼山西法院と号し、本尊は三尊、南葛八十八ケ所霊場の8番札所でした。所在:葛飾区高砂2-11-4。山門は鐘楼門形式ですね、以前は梵鐘がぶら下がっていたそうです。
大光明寺から東120m程に高砂天祖神社が在ります。葛西御厨が在った建久年間(1190~1199年)に、伊勢皇大神宮を勧請した三社明神社(神明、香取、鹿島社)が祀られた、旧曲金村の鎮守と云われています。祭神:天照皇大神、武甕槌命、経津主命、所在:葛飾区高砂2-13-13。境内社:稲荷神社、山王社、熊野神社、厳島神社、八雲神社、水神社。鳥居と狛犬は1921年(T10)の建立です。
高砂天祖神社の脇鳥居から出て右折、京成線の高架を潜ると、右手に真言宗豊山派寺院である観蔵寺の入口が見えます。1469年(文明1)僧空性坊による創建で、1653年(承応2)に隆敬法印が中興開山したと伝えられています。先程の高砂天祖神社の別当でした。山号:金亀山、院号:神宮院、本尊:観世音菩薩像、所在:葛飾区高砂5-5-2。柴又七福神の寿老人、南葛八十八ケ所霊場の10番、新四国四箇領八十八ケ所霊場の26番札所です。以上で新中川遡上編を完了し、東200mに在る京成線高砂駅から帰宅します。
>>>後書き<<<
新中川沿いには古社、古刹が多く、其れなりに楽しめましたね。新中川は短い河川で準備体操です、次弾に遡上する中川が本家で、久々に長い距離(83.7km)の遡上になります。取り敢えず、次回は『ぶらっと遡上探索』新中川編の纏めを載せます。
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[Vol-07] 今回はJR新金貨物線中川放水路橋梁から遡上して、奥戸新橋、八剱橋仮人道橋、三和橋までの紹介です。南武線、中央本線、総武本線で奥戸新橋への最寄り駅であるJR小岩駅に到着、ホーム後方から中川橋梁が見えると思ったら、勾配があり撮れませんでした。望遠で撮ると線路グニョグニョですね。
前回バスで帰宅しましたが、スタートしたばかりなので『#22奥戸新橋』まで歩きます。JR新金貨物線中川放水路橋梁の250m上流に架かり、新中川左岸側の葛飾区奥戸9丁目と右岸の葛飾区奥戸6丁目・8丁目とを結び、都道60号線(奥戸街道)が通ります。新中川掘削工事に伴う創架です。
名称:奥戸新橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:6.3km
橋の長さ:144.6m
有効幅員:14m
完成:1961年(S36)
奥戸新橋を右岸側に渡り、西へ300m進むと右手に日蓮宗寺院の妙法寺が在ります。天正年間(1573~1591年)日安上人により創建されましたが、一時荒廃、1659年(万治2)に四世日恕大徳が再興し、開基したと伝えられています。山号:玄久山、院号:玄乗院、本尊:三宝祖師・四天王像、所在:葛飾区奥戸8-1-17。
妙法寺から北西200m程を戻ると、真言宗豊山派寺院の宝蔵院です。東新小岩の正福寺末で、1395年(応永2)の創建、1612年(慶長17)海運法印により中興開基されたと云われています。山号:青旧山、寺号:和光寺、本尊:阿弥陀如来立像、所在:葛飾区奥戸8-5-19。南葛八十八ケ所霊場の7番、新四国四箇領八十八ケ所霊場の24番札所です。
宝蔵院の北隣に八剱(やつるぎ)神社が在ります。旧奥戸新田の鎮守で、1536年(天文5)に三河国碧海郡西端村の郷士である、杉村小左衛門が当地を開拓する際に守護神として勧請したと云われています。
かつては矢剱神社と呼ばれていました。祭神:日本武尊、伊邪那岐命、伊邪那美命、所在:葛飾区奥戸8-6-22。西参道鳥居は1778年(安永7)、旧狛犬は1871年(M4)、社殿と狛犬は1972年(S47)の建立です。
八剱神社の脇鳥居から出て、北へ100m程進むと『八剱橋人道橋』です。左岸側の葛飾区奥戸9丁目と右岸の葛飾区奥戸8丁目とを結ぶ人道専用橋で現在、架け替え工事中により渡れません。と云うか、既に跡形も無く撤去されていました(笑)。構造種別:9径間鈑桁、;橋の長さ:120.3m、有効幅員:約1.5m、完成:1976年(S51)でした。八剱橋人道橋の上流隣りに架かっていたのが『八剱橋』で、橋名は先程の八剱神社が由来で、此の橋も老朽化による架け替え工事中で、橋脚と左岸側1径間のみが残っていました。構造種別:7径間鈑桁、橋の長さ:111.4m、有効幅員:4.5m、完成:1959年(S34)でした。道端に居た仮面ライダー、もといバッタはトノサマバッタ(殿様飛蝗)で、小さい方が♂です。前にしか跳ばないので、前方に廻り込んでから近づくと簡単に捕まえられますよ。
新八剱橋は2025年(H37)の完成予定で、其れまでの代替として、35m上流側に仮設の人道橋が架かっています。完成後に撤去される予定ですが、寿命が7年在るので『#23八剱橋仮人道橋』として括ります。
名称:八剱橋仮人道橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:6.6km
橋の長さ:約119m
有効幅員:約3m
完成:2017年(H29)
八剱橋仮人道橋から360m上流に架かるのが、今回終着地点の橋となる『#24三和橋』です。左岸側の葛飾区奥戸9丁目・細田3丁目と右岸の葛飾区奥戸8丁目・細田2丁目とを結び、都市計画道路補助264号線が通ります。此の橋も創架は1961年(S36)の新中川掘削工事に伴い架橋され、現在の橋は11年前に完成した2代目で、下流側歩道部が2012年(H10)に二期工事で追加されています。
名称:三和橋
構造種別:3径間連続PC桁
河口からの距離:7km
橋の長さ:119.4m
有効幅員:14.1m
完成:2007年(H19)
>>>後書き<<<
次回も懲りずに都内の紅葉シリーズの再開で、都内の紅葉ランキング1位の六義園からのお届けです。
次回アップ予定:Spot-63 文京区『六義園の紅葉』(12/11 12:00)
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次回アップ予定:Spot-61 青梅『御岳山の紅葉』(11/29 12:00)
[Vol-06] 今回は辰巳新橋から継続遡上して、JR総武本線中川放水路橋梁、上一色中橋、上一色橋、JR新金貨物線中川放水路橋梁までの紹介です。では、辰巳新橋を左岸側に渡り、北東400m程に在る真言宗豊山派寺院の圓蔵院へ行きます。東小岩の善養寺末で、覚因上人が開山となり天文年間(1532~1555年)の創建と云われています。山号:神明山、寺号:延命寺、本尊:木造地蔵菩薩立像、所在:江戸川区南小岩6-16-28。
圓蔵院の東隣に南小岩天祖神社が在ります。創建は不詳ながら、かつては神明社と呼ばれており、別当であった先程の圓蔵院の神明社が、明治維新の神仏分離令により分離したものと考えられています。旧住所が南葛飾郡小岩村下小岩字沖である事から、沖天祖神社とも呼ばれていました。祭神:天照大御神、所在:江戸川区南小岩6-16-27。境内社:火鎮神社、道祖神社。鳥居は1918年(T7)、狛犬は1930年(S5)の建立です。
天祖神社の裏手から出て、南西350m程を進むと『#18 JR総武本線中川放水路橋梁』です。左岸側の小岩駅と右岸側の新小岩駅との間に位置しており、下流側の橋梁が新中川掘削工事に伴う創架で、総武本線が通ります。上流側の橋梁は、通勤混和改善として複々線化されもので、総武快速線と偶にJR貨物線が通ります。
名称:JR総武本線中川放水路橋梁
構造種別:1径間ワーレントラス+両端2径間鈑桁
構造種別:3径間PC桁(上流側)
河口からの距離:5.6km
橋の長さ:117.2m
軌道:複線×2
竣工:1956年(S31)-下流側
竣工:1972年(S47)-上流側
JR中川放水路橋梁の上流90mに架かるのが『#19上一色中橋』で、左岸の江戸川区西小岩1丁目と右岸の江戸川区上一色3丁目とを結び、一般道が通ります。新中川掘削工事に伴い1956年(31)に創架、現在の橋が2代目です。
名称:上一色中橋
構造種別:3径間箱桁
河口からの距離:5.7km
橋の長さ:117m
有効幅員:15m
竣工:2014年(H26)
上一色中橋の西詰から西100m程に日蓮宗寺院の常福寺が在ります。元は市川市の法華経寺末で、覚樹院日了大徳により開山、日蓮聖人親筆の大黒天画像を奉じて1626年(寛永3)の創建と云われています。山号:大黒山、院号:覚祐院、本尊:大曼荼羅(一塔両尊四士)、祖師像、木像十一面観音坐像、十羅刹女像、三十番神像等、所在:江戸川区上一色3-21-12。
上一色中橋まで戻り、右岸沿いに180m遡上すると『#20上一色橋』です。左岸の江戸川区西小岩1丁目・2丁目と右岸の江戸川区上一色3丁目とを結び、都道315号線(蔵前橋通り)の築造工事に伴い架橋されています。橋名は右岸地区名からの命名ですね。
名称:上一色橋
構造種別:5径間連続鈑桁
河口からの距離:5.8km
橋の長さ:約120m
有効幅員:22m
完成:1967年(S42)
上一色橋西詰めから北西50m程に真言宗豊山派寺院の正蔵院が在ります。東新小岩の正福寺末で、永冝法印が開山となり1716年(享保1)の創建と云われています。新中川放水路の開削の為、1958年(S33)に現在地に移転しています。山号:智光山、寺号:得生寺、本尊:阿弥陀如来像、所在:江戸川区上一色3-30-17。南葛八十八ケ所霊場の11番、18番札所、新四国四箇領八十八ケ所霊場の23番札所です。
正蔵院から右岸沿いの遊歩道に戻り、120m遡上すると今回終着地点の橋となる『#21 JR新金貨物線中川放水路橋梁』です。JR常磐線の金町駅と総武本線の新小岩信号場駅とを縦に繋ぐ貨物専用線で、新中川掘削工事による創架です。都内の東西を結ぶ貨物線は武蔵野線と京葉線に流れ、此の新金貨物線を通る貨車は少なくなっています。全線に亘り単線ですが複線の用地と橋脚は上流側に当初から確保されており、旅客線への変更が計画されているそうです。
名称:JR貨物線中川放水路橋梁
構造種別:1径間ワーレントラス+両端2径間鈑桁
河口からの距離:6.1km
橋の長さ:約155m
軌道:単線
完成:1959年(S34)
本日の天気予報は曇りのち晴れでしたが、水平線に白い雲が掛かり、絵面が悪くなりました。ストック記事も溜っているので無理せずに、後1回の遡上残しで帰るかな。新金貨物線の放射14号架道橋を潜り北西400m程に在るバス停奥戸新橋から帰宅します。序に途中に在った真言宗豊山派の善紹寺を紹介して終わります。
農民の宇田川万太郎が庭木の手入れ中に眼を怪我しましたが、完治したのは弘法大師のお陰であるとして、1919年(T8)自宅に「いろは大師」の堂を建立したのが善紹寺の始まりと云われ、万太郎は後に出家して恵心和尚となり、新四国南葛八十八ケ所霊場の大心講元になっています。山号:大心山、本尊:弘法大師坐像、所在:葛飾区奥戸6-6-12。南葛八十八ケ所霊場の初番、22、39、48、64、68番札所です。
>>>後書き<<<
次回は、青梅御岳山の紅葉狩りと御嶽神社周辺をSpotで紹介します。
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次回アップ予定:Spot-59 横浜桜木町『汽車道と新港埠頭』(11/17 12:00)
[Vol-05] 今回は鹿骨新橋から遡上して、松本橋仮人道橋、小岩大橋、辰巳新橋までの紹介です。では、松本橋左岸近くにバス停(松本橋東詰)が在りますので、登戸駅、新宿駅経由でJR小岩駅に到着、駅南口から京成バスに乗ります。
松本橋東詰バス停に降りると、鹿本親水緑道(流路延長750m)の起点が在りました。かつて、此の辺りは花造りが盛んだった為、農業用水として江戸川や中川からの水路が整備されていましたが、役目を終えて暗渠化され、道路や散歩道に生まれ変わっています。現在の通水は井戸水です。
バス停から西に180m進むと、9径間鈑桁の松本橋が架かっている筈ですが、在りませんね。新中川掘削工事に伴い1956年(S31)に架橋されましたが老朽化により去年撤去され、新たに3径間鈑桁の新松本橋が2022年(H34)3月完成予定で架け替え工事に入っていました。今月から下部工の工事が始まります。
松本橋跡から上流65mに代替の仮人道橋が架かっており、『#15松本橋仮人道橋』としておきます。左岸の江戸川区東松本2丁目と右岸の江戸川区松本2丁目とを結んでいます。
名称:松本橋人道橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:4.3km
橋の長さ:約122m
有効幅員:約2m
竣工:2016年(H28)
松本橋仮人道橋を右岸側に渡り、南西100m程に在る真言宗豊山派寺院の光蔵寺に行きます。新小岩の正福寺末で、創建は不詳ながら寛永年間(1624~1645年)に松本町内から移転、重諭上人による中興と云われています。山号:松亀山、院号:香取院、本尊:木造阿弥陀如来立像、所在:江戸川区松本2-31-11。
光蔵寺の北側裏手に松本の諏訪神社が在ります。創建は不詳、此の後に寄る、松本天祖神社の境外末社です。祭神:建御名方命、所在:江戸川区松本2-35。
松本諏訪神社から北へ100m程進み左折、右手に松本天祖神社の参道入口が見えます。天祖神社は伊勢神宮の天照大神を祀る神社で、江戸時代までは一般的に神明社と呼ばれており、此処も、かつては三社明神社と呼ばれ、1623年(元和9)の創建と云われています。旧松本村の鎮守で先程の光蔵寺が別当でした。旧松本村に在った天神社と弁天社、そして先程の境外末社として紹介した松本諏訪神社の三社が遷座したものと推定されています。祭神:天照大神、所在:江戸川区松本2-37-23。境内社:天満宮、水神宮。鳥居は1882年(M15)、狛犬は1927年(S2)の建立です。
松本天祖神社から右岸遊歩道に戻り、230m遡上すると『#16小岩大橋』です。松本橋人道橋から370m上流に架かり、左岸の江戸川区東松本2丁目・南小岩5丁目と右岸の江戸川区松本2丁目とを結び、国道14号線(千葉街道)が通ります。
名称:小岩大橋
構造種別:5径間鈑桁
河口からの距離:4.7km
橋の長さ:133m
有効幅員:11m
竣工:1955年(S30)
小岩大橋から右岸側遊歩道を480m遡上して市道へ左折、西150m程に興之宮(おきのみや)神社が在ります。かつて此の辺りは海に面しており、沖の宮と呼ばれた事があるそうです。創建は不詳ながら、1630年(寛永7)に本殿が改築されたと伝えられる興之宮村の鎮守で、此処も光蔵寺が別当でした。当社を東の宮、此処から南西約1km先に在る、本一色天祖神社を西の宮と呼んでいます。祭神:天照皇大神、所在:江戸川区興宮町18-26。境内社:稲荷神社、日枝神社。鳥居は1922年(T11)、狛犬は1933年(S8)建立の江戸流れです。
興之宮神社から北西200m程に水神宮と稲荷神社が在ります。創建は不詳、かつて此の辺りは「塚の越」と呼ばれた船着き場で、水路により生活物資、建築資材などが陸揚げされており、水神信仰が根付いていました。隣に東観稲荷神社(祭神:豊受姫命)と共に祀られています。祭神:水波女之命、所在:江戸川区上一色2-5。
水神宮から西300m、新中川へ戻ると、今回終着地点の橋となる『#17辰巳新橋』です。小岩大橋の650m上流に架かり、左岸の江戸川区南小岩5丁目・6丁目と右岸の江戸川区上一色2丁目とを結び、一般道が通ります。創架は新中川開削工事に伴う1956年(S31)で、現在の橋が2代目です。
名称:辰巳新橋
構造種別:1径間ニールセンローゼ
河口からの距離:5.3km
橋の長さ:120.3m
有効幅員:15m
竣工:1993年(H5)
>>>後書き<<<
次回はSpotで、横浜桜木町の汽車道周辺と新港埠頭、ハゼ釣り関連の紹介です。
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次回アップ予定:Scene-467 新中川『松本橋仮人道橋~辰巳新橋』(11/13 12:00)
[Vol-04] 今回は大杉橋から継続遡上して、鹿本橋、鹿本橋側道橋、鹿骨新橋までの紹介です。では、大杉橋を左岸側に渡り、北東350m程に在る真言宗豊山派寺院の圓勝院から寄ります。元は葛飾区上小松村の正福寺末で、創建は不詳ながら円海律師が1530年(享禄3)に中興、其の後に焼失し旧地鹿島神社東南の地から現在地へと移転、八代将軍徳川吉宗の鷹狩りの小休処でもあったと伝えられています。山号:金霊山、寺号:神明寺、本尊:阿弥陀如来蔵、所在:江戸川区鹿骨1-25-23。
圓勝院から北東250m程に真言宗豊山派寺院の密蔵院が在ります。創建は不詳ながら江戸時代中期と云われています。元は独立寺院でしたが、明治期に小岩善養寺の境外仏堂となり、1990年(H2)に宗教法人になっています。通称「もっとい不動」と呼ばれ、不動明王の右手に掛かっている元結を一本戴いて、痛い所に巻くと治るそうです。元結は日本髪を結う時に髪の根元を束ねる紐で、此の元結が変化して「もっとい」と呼ばれています。山号:本命山、寺号:明光寺、本尊:不動明王像、所在:江戸川区鹿骨4-2-3。境内で赤いブラシノキ、久々に見ました。緑色の実はカリン(花梨)ですね。
蜜蔵院の東隣に日蓮宗寺院の本城寺が在ります。1555年(弘治1)に松戸市平賀の本土寺12世日暁上人が鹿骨の地に隠棲して草庵を結んだのが始まりと云われています。山号:妙高山、本尊:三寶祖師、所在:江戸川区鹿骨4-20-1。
本城寺から西300m程に西中稲荷神社が在ります。創建は不詳、祭神:倉稲魂命、所在:江戸川区鹿骨5-11-3。鳥居は2011年(H23)の建立です。拝殿は覆い屋の中で見えませんね。
西中稲荷神社から西260mの新中川左岸に出ると、上流方向に『#12鹿本橋』が見えます。大杉橋の上流550mに架かり、左岸の江戸川区鹿骨6丁目と右岸の江戸川区松本2丁目とを結び、一般道が通ります。新中川放水路の掘削工事に伴う創架で未だ現役ですが、そろそろ限界ですね。橋名は両岸地区名から一文字ずつ冠にした命名ですが、鹿骨(ししほね)と松本なので、「ししもと橋」だと思うけど橋名は「しかもと橋」でした。
名称:鹿本橋
構造種別:5径間桁橋
河口からの距離:3.7km
橋の長さ:118.4m
有効幅員:8.5m
完成:1954年(S29)
鹿本橋の上流隣りに架かるのが『#13鹿本橋側道橋』です、鹿本橋から歩道部を分離する形で15年後に上流側に設置されました。
名称:鹿本橋側道橋
構造種別:5径間桁橋
河口からの距離:3.7km
橋の長さ:約118m
有効幅員:約2m
完成:1969年(S44)
鹿本橋側道橋の90m上流に架かるのが『#14鹿骨新橋』です。此の橋も左岸の江戸川区鹿骨6丁目と右岸の江戸川区松本2丁目とを結び、一般道が通ります。橋名は区民からの公募によるものです。前回、一之江駅からのスタートが11時過ぎで、現在14:30。陽が下がり、逆光がきつくなりましたので、此処を今回終着地点の橋とします。
名称:鹿骨新橋
構造種別:3径間箱桁
河口からの距離:3.8km
橋の長さ:119.3m
有効幅員:18m
竣工:1995年(H7)
鹿骨新橋のバルコニー4ケ所には、将来を担う、愛・平和・未来・勇気を表した子供像が設置されています。鹿骨の地名は、かつて常陸の鹿島神宮が奈良の春日大社へ分霊される際に、多くの神鹿を引き連れて奈良まで行ったと云われており、其の途中で死んだ神鹿を此の地に葬った事が「鹿骨」の地名由来とされています。
鹿骨新橋の西詰めから西350m程に在る松本弁天バス停から帰る事にします。バス停傍に黄檗宗寺院の寿昌院が在るので、序に此方を紹介してから終わります。寿昌院桂月元皎禅尼が開基となり、寛文年間(1661~1673年)に草庵を結び、病気全快を祈願して弁財天を祀ったのが始まりで、其の後 天海道竜和尚が開山となり、江島山寿昌院を創建したと云われています。1906年(M39)に本所小梅町の梅林庵を合併しています。臥龍の松は区登録天然記念物で、樹齢:推定500年、高さ5m、東西16.5m、南北18.4mです。山号:江島山、本尊:千手観音像、所在:江戸川区松本1-9-14。
>>>後書き<<<
一之江駅からの遡上歩数16800歩、此の位だと翌日に影響も無くて、快調でした。次回は鹿骨新橋から遡上して、松本橋仮人道橋、小岩大橋、辰巳新橋までの紹介です。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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