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次回アップ予定:Scene-924 千川上水『九頭龍橋跡~立野橋跡』 (2025/01/09)
[Vol-03] 今回は武蔵高等橋跡から継続遡上して、筋違橋跡、中村橋跡までの紹介です。では、都道439号線(千川通り)を北西方向に進みます。250m程進んだ左手に旭丘地域集会所が在り、(千)印の境界石が在ります。江古田二又交差点付近に在ったもので、暗渠化工事時に外され、此処に移設されたものです。
さらに千川通りを180m程進み右折、130m程先の西武池袋線東長崎8号踏切を渡ると、左手の西武池袋線江古田駅前に江古田浅間神社が在ります。創建は不詳ながら、江戸期には富士講の人々に崇敬され、江古田富士と呼ばれる、富士山から持ち帰った溶岩で造られた富士塚(高さ約8m、直径約30m)が在る古社です。富士塚には年3回の指定期間のみ登山出来、国重要有形民俗文化財に指定されています。祭神:木花佐久夜姫命、所在:練馬区小竹町1-59-2。鳥居は1916年(T5)の建立です。境内のケヤキは区内有数の大きさで、樹高27m、幹回り3.1mで「ネリマの名木」に指定されています。
江古田浅間神社から線路沿いに西へ進み、江古田1号踏切を渡ります。右手に鳥居が見えます、武蔵野稲荷神社の裏口で、千川通りの表参道から入ります。随身門には、干支の彫刻が彫られています。事前調査の時点で境内への入場は、規制があるらしく門外から1枚だけパチリで撤収。詳細はパスだ。祭神:宇迦之御魂神、所在:練馬区栄町10-1。
武蔵野稲荷神社から千川通りを300m程進み、都道318号桜台陸橋を潜って、練馬駅方向へ行きます。駅前交差点から南西60m程に、練馬大鳥神社が在ります。境内の由来案内によると、1645年(正保2)に三羽の鶴が当地に飛来し、瑞祥として保護しました。後に鶴の霊を祀り、和泉国一宮大鳥大社から分霊を勧請したのが由来と云われています。所在:練馬区豊玉北5-18-14。
練馬大鳥神社の南隣に東(とう)神社が在ります。散在する富士講を結集し1873年(M6)に設立した「富士一山講社」に起源を持つ、教派神道の一派扶桑教の神社です。社号:扶桑教東富士教会、祭神:天照大神、八大龍神、所在:練馬区豊玉北5-18-2。狛犬は1963年(S38)の建立です。
東神社から南西270m程に、チャリポート(練馬区役所東庁舎-#1)が在りますので、裏手に返却します。ガリシア大塚駅前からの利用時間4h41m、1800円でした。本庁前に回り込むと、玄関脇にオブジェ「平和記念像」、『和』作:不明、ロビーに『嫁ぐ日』作:古賀 晟、隣の西庁舎前に『ワイシャツの女』作:田中 昭が在ります。本庁舎の展望ロビーに練馬区キャラの「ねり丸」が居ますよ。
本日最後に、本庁舎20Fの展望ロビーへ行きます。地表の水蒸気量が多くて、此処から西12kmに在る田無タワーと、東約15kmに在る、TSTが霞んで見えます。富士山は南西90km先なので、全く雰囲気も見られませんね。前回、紹介した大谷口配水塔を探し、見っけ。右手に兄弟水道タンクの野方配水塔も見えますよ。
EVで2Fに降り、区役所と練馬駅方向とを繋ぐ歩道橋で千川通りを渡ります。西武池袋線練馬駅からJR新秋津経由で帰宅します。初回探索歩数、9750歩でした。
日が替わりまして、お彼岸の墓参りで菩提寺が在る巣鴨駅に行きます。帰りに巣鴨駅前に在る、千川上水空気弁・都北部公園と刻まれた角型マン蓋をパチリ、初回に紹介した、千川上水分配堰から六義園への送水ルート上に在る空気抜き弁です。都北部公園は、かつて六義園を管轄していた北部公園緑地事務所の事です。
お墓参りを終えてJR巣鴨駅に戻り、池袋駅で西武池袋線に乗り換えて練馬駅で下車、リスタートします。駅北口から北西160m程に在るチャリポート(練馬駅北)でシェアします。
チャリポートから北西300m程に在る、練馬白山神社へ行きます。創建は不詳ながら、1083年(永保3)源義家が後三年の役で奥州へ向かう際に、戦勝を祈願して欅の苗を奉納したと伝えられ、境内の狛犬が1818年(文政1)の建立なので古社ですね。祭神:伊邪那美命、所在:練馬区練馬4-1-2。狛犬は1818年(文政1)、社殿は2001年(H13)の建立です。
練馬駅の南側、千川通りに戻ります。所在:練馬区豊玉北5-19-12付近に、筋違(すじかい)橋跡の碑が在ります。武藏高等橋跡から2250m上流位置になります。碑背面の設置説明には「1955年(S30)まで此の地にあった筋違橋の親柱を復元したもので、1940年(S15)頃に暗渠化される前の写真です」とあります。
名称:筋違橋跡
構造種別:-
分水堰からの距離:8.5km
橋の長さ:-
有効幅員:-
完成:-
筋違橋跡碑から南西900m程に在る、真言宗豊山派寺院の南蔵院へ行きます。練馬区春日町の愛染院末で、創建は不詳ながら、良弁僧都が1357年(延文2)に中興したと云われている古刹です。南蔵院の鐘楼門は、江戸時代中期の建築と考えられる区内唯一の鐘楼門で、練馬区の有形指定文化財です。
南蔵院は、江戸期の1649年(慶安2)に薬師堂領として12石8斗の御朱印領を拝領しています。山号:瑠璃光山、寺号:医王寺、本尊:薬師如来像、所在:練馬区中村1-15-1。御府内八十八ヶ所霊場の15番、豊島八十八ヶ所霊場の15番札所です。薬師堂向拝飾りの龍、良い出来栄えですね。首継地蔵尊は、1932年(S7)頃、首が無い地蔵尊が中村の地に在り、或る処から首だけ保存されているとの話があり、合わせたらピタリと繋がった事からの命名だそうです。
南蔵院から西550m程に、中村の御嶽神社が在ります。創建は不詳ながら、神習教の普及に務めていた、谷原村の一山講社の門人である、増島大博により創建されたと云われており、明治初年以降の古文書や絵馬が多数保存されている事から、古社と推定されています。社号:神習教稲荷御嶽講社、祭神:天御中主神、高皇産神、神皇産神、国常立尊、大己貴命、少彦名命、所在:練馬区中村3-8。拝殿脇に鉄釜が在りました、無形民俗文化財に登録された探湯の儀という神事を行なう時に、此の鉄釜で湯を沸かし、修験者が火打ち石で清めた後、笹束を釜に入れて振り回し、熱湯を浴びるそうです。
中村御嶽神社から北東180m程に、雑草除けの遮光シートで覆われた角地が在ります。史跡案内によると、先程の南蔵院を中興した良辨僧都が1357年(延文2)に造立した塚で、良辨塚と呼ばれています。
近くに祀られていた庚申塔や道標などの石造物も此処に移され、其の中の「石幢七面六観音勢至道しるべ」は練馬区文化財に指定されています。正面に勢至菩薩が刻まれ、千手観音、聖観音、如意輪観音、准提観音、十一面観音、馬頭観音の7像が見られます。所在:練馬区中村3-11。
良辯塚から北西440m程の千川通りに戻ります。西武池袋線中村橋駅前の中村橋交差点が、『#03中村橋跡』で筋違橋跡から1410m上流の位置に架かっていました。今回終着地点の橋(跡)になります。
名称:中村橋跡
構造種別:-
分水堰からの距離:9.9km
橋の長さ:-
有効幅員:-
完成:-
中村橋駅前広場に、旧中村橋駅で使用していた井戸と、猫飛の恩返し像「にゃんぴ~」が置かれています。
>>>後書き<<<
次回は中村橋跡から継続遡上して、九頭龍橋跡、三兵橋跡、八成橋跡、千川上水橋梁、立野橋跡までの紹介になります。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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