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次回アップ予定:Scene-922 千川上水『流路跡~武蔵高等橋跡』 (2025/01/01)
[Vol-01] 『ぶらっと遡上探索』の第67弾は、1696年(元禄9)に玉川上水から分水された千川上水で、土木家河村瑞軒の手により、豊嶋郡巣鴨村の堀溜まで徳兵衛、太兵衛の協力により掘削された総延長約22kmの上水路です。工事は幕府の見積費用では足りず、両人が私財を投じて完成させた功により名字帯刀を許され、千川の姓を賜り千川上水路取締役を仰せられました。
江戸六上水(神田・玉川・本所・青山・三田・千川)の一つで、玉川上水の分水口から武蔵野市、西東京市、練馬区、豊島区を北東方向に流れ、板橋区から南東方向の中山道沿いに流れを変え、かつての旧千川上水浄水場跡である千川上水公園までが終点になります。
初回は、旧千川上水浄水場跡から流路を辿り、近在の寺社に寄りながら都営地下鉄の板橋区役所前駅付近までの紹介です。では、JR南武線、小田急線新宿駅経由で、最寄り駅となるJR山手線の大塚駅で下車、北口に在る、サイクルポート(ガリシア大塚駅前)でシェアします。
JR沿いから都道305号線に入り、約1.6km先に在る旧千川上水浄水場跡の千川上水公園に到着です。公園の中程にフェンスで囲まれた場所が在ります。此の地下に千川上水の沈殿池が在り、浄水が導水門から小石川御殿、湯島聖堂、寛永寺、浅草寺、六義園などに給水されていたそうです。1968年(S43)に都営地下鉄工事により、送水系統が遮断されて給水を停止、1971年(S46)には其の他への給水先も利用を停止し千川上水利用の歴史は幕を閉じました。
千川上水公園前の都道を渡り、反対側へ移動すると千川上水分配堰碑と説明板が在ります。此の堰で、先程の六義園方向、王子方面へ分水されていました。碑は1882年(M15)に水利権を明確にする為に設置されたものです。傍に千川上水紋章入りのマンホール蓋が在りますよ。所在:北区滝野川6-9-1。
流路跡を600m程北西に進むと、馬頭観音の鞘堂が在ります。扉が開きませんので、造立年は不明。所在:北区滝野川6-62。
馬頭観音鞘堂から西100m程に北区指定文化財の新選組隊士供養塔、新選組永倉新八の墓などが並んでいます。1868年(慶応4)新選組局長の近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で斬首処刑され、首級は京都に、胴体は刑場より少し離れた此の場所に埋葬されました。新選組隊士供養塔は没後の1876年(M9)に隊士の一人である永倉新八が発起人となり造立され、高さは3.6mあります。所在:北区滝野川7-8-10寿徳寺境外墓地。
境外墓地から北85m程に、千川上水紋章入りの角型マンホール蓋が2種類並んでいます。此処から谷端川放水路に合流して石神井川に放水されている模様です。
北40m程、中山道に戻りJR埼京線の仲仙道踏切を渡ります(仲仙道は中山道の旧称)。北西180m程に在る板橋駅前公園の南端に神社が在ります。鳥居後ろの提灯には板橋豊明講とあります。創建は不詳、稲荷神社系ですかね、祭神:豊川吒枳尼真天、所在:板橋区板橋1-23-5。
板橋豊明講から350m程南下して東武東上線の東第6号踏切を渡り、西480m程に在る池袋氷川神社へ行きます。徒歩だと距離が有るのでパスですが、本日はチャリ利用なので楽々OK牧場ですね(笑)。
創建は不詳ながら、大宮の武蔵国一之宮氷川神社から分かれたとも云われ、池袋と云う地名が1559年(永禄2)の小田原衆所領役帳に「武州豊島郡池袋村」記載されている事から、此の頃には池袋村の鎮守として創建されていたと推定される古社です。祭神:建速須佐之男命、所在:豊島区池袋本町3-14-1。鳥居は1929年(S4)、狛犬は1965年(S40)の建立です。
池袋富士塚は、1912年(M45)池袋月三十七夜元講により築造され、1998年(H10)に豊島区の指定史跡として文化財登録されています。7月1日の富士塚浅間神社例祭日と7月の第1日曜日には「お山開き」が行なわれます。
池袋氷川神社から北へ460m程、再び東武線の東第9号踏切を渡り、北100m程に在る子易神社へ行きます。創建は不詳、富士浅間神社の分霊を勧請したと云われています。子安宮、又は子安明神と称され、旧金井久保村の鎮守でした。祭神:木花開耶姫命、所在:板橋区板橋2-19-20。東鳥居は1893年(M26)の建立です。
子易神社から北東100m程に、日蓮本宗寺院の宗仙寺が在ります。1677年(延宝5)に大阪天満蓮興寺5世日順上人が河内国若江村に創建しましたが、明治の仏教排斥運動により衰退し、1888年(M21)日成上人が現在地へ移したと云われています。山号:本光山、本尊:三宝祖師、所在:板橋区板橋2-22-14。
宗仙寺から首都高速中央環状線を潜り、北東360m程に在る真言宗豊山派寺院の観明寺へ行きます。1338年(暦応1)の創建と伝わり、慶浄が中興開山したと云われています。山号:如意山、本尊:正観世音菩薩像、所在:板橋区板橋3-25-1。豊島八十八ヶ所霊場の88番、北豊島三十三ヶ所霊場の26番札所、板橋七福神の恵比寿神です。
観明寺前の旧中山道を280m程、北西方向へ進むと王子新道との交差点に、板橋区のデザインマンホール蓋が設置されています。板橋区の観光キャラ「りんりんちゃん」と板橋区ゆかりの人物、新万札「渋沢栄一翁」のデザインです。
>>>後書き<<<
2024年も残り数日になりましたね、今年もマイナーなブログネタにお付き合い頂き、ありがとうございました。来年は巳年の年男です、色々なネタに絡みついてやろうと思います。では、良いお年をお迎え下さい。
次回は板橋区役所前駅付近から継続遡上して、武蔵高等橋跡までの紹介になります。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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