This best shot
次回アップ予定:Scene-480 中川『中川橋~常磐線中川橋梁』 (2019/02/06 12:00)
[Vol-08] 今回は高砂橋から遡上して、京成本線中川橋梁、中川大橋までの紹介です。中川橋梁の最寄り駅である京成高砂駅に、小田急電鉄・千代田線経由、町屋駅で京成本線に乗換えて80分で到着、出先が段々と遠くなって来ましたね。今朝は少し寒かったので、かき揚げ天丼セットにしましたが、チョット食べ過ぎです(笑)。
では、京成高砂駅から西に400m程移動して、『#19京成本線中川橋梁』からの紹介です。高砂橋の上流100mに架かり、左岸側の京成高砂駅と右岸側の青砥駅との略中間に位置しています。スカイライナーや乗り入れの北総鉄道管理のC-Flyer、都営地下鉄浅草線の5300形などが見られますよ。1985年(S60)に青砥駅~京成高砂駅間が複々線化されており、同時期に架けられたと推定します。
名称:京成本線中川橋梁
構造種別:4径間鈑桁
河口からの距離:12.4km
橋の長さ:約179m
軌道:複々線
竣工:1985年(S60)推定
京成本線中川橋梁の左岸側から北西200mに青龍神社が在ります。かつては青龍権現社と云い、真言宗宝蓮寺の境外社であったとされ、神仏分離令の際に青龍権現から天之水分神に祭神を変更しています。境内の横に青龍様の池と呼ばれる怪無池(けなしいけ)が在り、池の半分程は蓮沼と化しています。大昔に中川が決壊した時に出来た池だそうです。祭神:天之水分神、所在:葛飾区高砂6-1。二之鳥居は1921年(T10)、入口鳥居は1991年(H3)の建立です。
青龍神社から北東300m程に在る浄土宗寺院の大秀寺へ行きます。1628年(寛永5)に宝誉林残が本郷湯島に創建しましたが、明暦の大火後に浅草山谷へ移転したと云われ、関東大震災で罹災、1626年(T15)に現在地に移転しています。山号:弘誓山、院号:威徳院、本尊:阿弥陀如来像、所在:葛飾区高砂7-13-4。
大秀寺の右隣に曹洞宗寺院の崇福寺が在ります。入口の由来案内によると、1600年(慶長5)香山泰厳和尚が日本橋浜町に崇福庵を建立したのが始まりで、1613年(慶長18)に上野厩橋藩の酒井雅楽頭忠世の帰依により堂を建立し、国府台の総寧寺を本寺とし名称を崇福寺としています。関東大震災にて被災し、1928年(S3)に現在地に移転し1933年(S8)に年本堂・山門・鐘楼等を再建されています。山号:海島山、本尊:釈迦牟尼仏、文殊普賢両菩薩坐像、所在:葛飾区高砂7-13-1。
崇福寺から北東100m程に浄土宗寺院の源照寺が在ります。1626年(寛永3)照蓮社寂誉上人、薫香宗円和尚が浅草蔵前鳥越付近に創建されましたが、明暦の大火で類焼後、台東区山谷に移転したと云われています。其の後の関東大震災で焼失し、1928年(S)に現在地に移転しています。山号:円光山、院号:薫香院、本尊:阿弥陀如来坐像、所在:葛飾区高砂7-13-34。
源照寺から大秀寺に戻り、北西に240m進むとJR新金貨物線の高砂踏切で、1日数本しか通過しない開かず もとい閉まらずの踏切ですね。なんて事云って、油断していると降りて来ましたよ、カ~ンカ~ンカ~ンと遮断桿が、真っ赤なEF81型機関車(EF8195)が通過です。機関車だけの移動なので、出張応援ですね(笑)。1974年(S49)の製造で、貨車以外にも特急のカシオペア、北斗星なども牽引していました。
踏切を渡って西に240m、中川沿いに出ると水管橋が見えますね。但し、途中で分断されており撤去されるみたいです。河川工作物表示では、四つ木線中川水管橋とあり、右岸側に付いていた橋梁銘板では、竣工:1963年(S38)の中川新宿水道橋です。水管橋の脇に埋設物標記があり、AP-13.153mに配水本管シールドが埋まっているそうです。と云う事は、地中に水管を新設したので御払い箱になる奴ですね。
水管橋跡から280m遡上すると、左に新宿排水樋管、右手に新宿ポンプ所が在ります、形式:鋼製ローラーゲート、径間:3.2m、門扉高さ:3m、竣工:1981年(S56)。
更に320m進むと、今回終着地点の橋となる『#20中川大橋』です。左岸の葛飾区新宿1丁目・2丁目と右岸の葛飾区青戸7丁目・8丁目とを結び、国道6号線が通ります。創架は1935年(S10)竣工の鈑桁橋でした。
名称:中川大橋
構造種別:3径間箱桁
河口からの距離:13.5km
橋の長さ:134.4m
有効幅員:30.8m
完成:1989年(H1)
中川大橋の右岸下流方向に寺社などが在るので、其方を紹介してから終わりにします。先ずは、亀有ポンプ所と亀有排水樋管。形式:鋼製ローラーゲート、径間:2.4m×2連、門扉高さ:2.4m、竣工:1978年(S53)。
亀有ポンプ所から南100m程に真言宗豊山派寺院の観音寺が在ります。1578年(天正4)真盛法印による創建と云われています。山号:両鎮山、院号:慈眼院、本尊:十一面観世音菩薩坐像、所在:葛飾区青戸7-33-3。新四国四箇領八十八ケ所霊場の15番、荒綾八十八ケ所霊場の7番札所です。
観音寺の北隣に青砥神社が在ります。境内の造営記念碑によると、1576年(天正4)に白鬚、諏訪、稲荷の三社を三社明神として勧請したのが始まりで、青戸村の鎮守だったと云われています。1872年(M5)白髭神社と改称、1943年(S18)に白山神社を、1960年(S35)に高木、八幡、北野、葛葉稲荷、水神社の5社を合祀しています。先程の観音寺が別当でした。祭神:伊邪那岐命、猿田彦命、誉田別命、建御名方命、倉稲魂命、天満大神、高皇彦霊神、弥都波能売神、所在:葛飾区青戸7-34-30。鳥居は1994年(H6)の建立です。
>>>後書き<<<
次回は中川大橋から継続遡上して、中川橋、常磐線中川橋梁までの紹介です。
お気付きの点、照会などがありましたら下の[拍手]ボタンからコメントを送って下さい、非公開なので気軽にどうぞ。尚、問い合わせ等につきましては、返信用のメアドの書き込みも願います。
[拍手]ボタン
Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
紹介しています
.
. ご訪問ありがとうございます