はてなキーワード: スールー海とは
貿易関係の増田が現状をまとめてくれてたので(anond:20260313174445)、自分はもう少し踏み込んで「今後50%くらいの確率で起こりうる最悪の展開」について書いてみる。電力・ガス関係の仕事をしている立場から。
先に言っておくと、これは「確実に起こる」話ではない。ただし「起こってもおかしくない」話だ。
■前提の整理
まず数字の確認から。日本の電源構成のうちLNG火力は約3割。日本のLNG輸入における中東依存度(カタール+UAE+オマーン)は約11%。「なんだ、たった11%か」と思った人は少し待ってほしい。
問題は3つある。
1つ目。カタールは世界のLNG輸出の約20%を占めるメガサプライヤーだということ。カタールが止まると「日本のカタール依存5%」の問題ではなく、世界のLNGスポット市場全体が干上がる。3月2日にJKM(日韓向けLNG指標価格)が一時40%近く跳ねたのはそのため。カタールのラアス・ラファーンもメサイードも攻撃を受けて生産停止中で、仮にホルムズ海峡が明日開いても施設が直るまでLNGは出てこない。
2つ目。LNGは石油と違って「備蓄」がほぼ効かないこと。石油は254日分の国家備蓄がある。一方LNGは事業者在庫で約3週間分しかない。なぜかというとLNGは-162℃で保存しなければならず、放っておくと気化する。大量に長期間貯めておくことが物理的に難しい。石油備蓄を放出しても、LNG火力発電所には石油を入れられない。燃やす燃料が違うので、発電設備の代替が利かない。
3つ目。これが一番深刻なんだが、LNGの調達は長期契約がベースになっていて、スポット市場で急に大量に買うことが構造的に難しい。オーストラリアやマレーシアからの長期契約分は今のところ動いているが、カタールが抜けた穴を全世界が同時にスポットで埋めようとするので、価格は青天井になる。欧州もカタールとの長期契約を増やしていた最中だったので、欧州勢との争奪戦になる。
ホルムズ海峡が1ヶ月以上封鎖された場合、まず起こるのはLNGスポット価格の異常な高騰。2022年のウクライナ危機の時にJKMは一時70ドル/MMBtuまで行ったが、今回はカタールの生産設備自体が物理的にダメージを受けている分、もっとタチが悪い。100ドル超えもあり得る。
この価格がどういう意味かというと、電力会社の燃料調達コストが数倍になる。燃料費調整制度があるので、これは数ヶ月遅れで電気料金に反映される。単純計算で家庭の電気代は今の1.5倍〜2倍。産業用はもっと厳しい。
ここまでは「高くなるけどモノはある」フェーズ。
問題は4月以降だ。3週間分のLNG在庫を食い潰しながらスポット調達で凌ぐ状態が続くと、電力会社のLNG調達が物理的に追いつかなくなるポイントが来る。
貿易関係の増田が書いてた「船の燃料(重油)自体が不足する」問題がここで効いてくる。LNGを運ぶ船の燃料は重油で、その重油は中東原油から精製する。つまり原油が入ってこないとLNGを運ぶ船が動けなくなるという、エネルギーのデッドロックが発生する可能性がある。石油備蓄を船舶燃料に回すかどうか、という判断を政府は迫られる。
夏場は冷房需要でピーク電力が跳ね上がる。2024年度の電源構成でLNG火力は約29%を占めていて、しかもLNG火力は需要の変動に対応する「調整電源」として使われている。つまりピーク時にLNGが足りないということは、ベースロード(石炭、原子力)では賄えない部分が丸ごと消えるということ。
現実的に起こりうるのは、まず企業向けの大口電力の使用制限から始まって、段階的に節電要請が強化され、最終的に計画停電に至るパターン。東日本大震災後の2011年夏に経験した「計画停電一歩手前の綱渡り」が、今度は全国規模で起こりうる。
ただし2011年と決定的に違うのは、今回は原発を「再稼働させたくてもそう簡単にはできない」ということ。現在稼働中の原発は限られており、追加再稼働には審査と地元同意が必要で、この危機に間に合う時間軸ではない。
コロナ禍との本質的な違いは、コロナは「人の移動が止まった」危機だったが、今回は「モノの根幹であるエネルギーが止まる」危機だということ。
コロナでは巣ごもりしていれば命は守れた。電気もガスもネットもあった。今回、仮に計画停電が実施されたとして、それはリモートワークも、データセンターも、冷蔵・冷凍のサプライチェーンも、病院のバックアップも全部影響を受けるということ。
都市ガスも連動する。東京ガスや大阪ガスの原料はLNGそのもの。ガスが止まると都市部の給湯・調理だけでなく、ガスコージェネレーションで自家発電している大型商業施設やデータセンターも影響を受ける。
さらに言えば、石油化学のナフサが入ってこなくなることで「プラスチック」が消える。ナフサの在庫は20日分程度しかない。医療用の使い捨て器具、食品包装、自動車部品、電子機器の筐体。プラスチックが作れないということは、ほぼすべての製造業が止まるということ。
コロナ禍では飲食や観光が壊滅的な打撃を受けたが、製造業はなんとか回っていた。今回は製造業の根幹が止まりかねない。GDPへの影響はコロナ以上になる可能性がある。
エネルギー輸入コストが激増すると貿易赤字が一気に膨らむ。エネルギー価格高騰→貿易赤字拡大→円安→輸入コスト増→さらなる貿易赤字、という負のスパイラルに入る。最悪シナリオとして1ドル200円という予測まで出ている。
日銀はインフレ対応で利上げしたいが、利上げすると中小企業が死ぬ。利上げしないと円安が止まらない。財政出動したいが、円安で国債が売られると長期金利が上がる。完全な政策のトリレンマに陥る。
地銀の話をすると、JGB(日本国債)のポートフォリオを大量に抱えている地方銀行は、金利上昇で含み損が一気に拡大する。ここにエネルギーコスト増で疲弊した中小企業の与信悪化が重なると、地銀の財務が急激に悪化する可能性がある。
■希望的な要素
一応、最悪を免れるシナリオも書いておく。
まず中国の仲介。中国もホルムズ海峡封鎖で相当困っているので、イランとの外交ルートで停戦を仲介する強いインセンティブがある。中国は既に独自の協議を始めており、これが機能すれば事態の長期化は避けられるかもしれない。
次に、米国のLNG増産。トランプ政権は化石燃料推進を掲げているので、米国産LNGの緊急増産と日本への優先供給は政治的にもあり得る。ただし米国の液化設備にも処理能力の上限があるので、すぐにカタールの穴を埋められるわけではない。
オーストラリアからの追加供給も期待できる。日本のLNG輸入の約4割はオーストラリアで、こちらはホルムズと無関係。ただしオーストラリアも長期契約ベースで動いているので、契約外の追加分をどれだけ出せるかは未知数。
あとは原発の緊急再稼働。政治的ハードルは極めて高いが、計画停電が現実になれば世論が変わる可能性はある。
■まとめ
今の状況を第一次石油危機と比較する人がいるが、あの時は「石油が高くなった」話だった。今回は「石油もLNGも物理的に入ってこない」状態が起こりつつある。しかもLNGには石油のような大規模備蓄がない。
政府の「直ちに影響はない」は嘘ではない。LNGの事業者在庫3週間分はまだある。石油備蓄254日分もある。ただし「直ちに」の先に何があるかを今のうちに考えておく必要がある。
個人でできることは限られているが、電力需要のピークを避ける行動(夏場の昼間の電力消費を抑えるとか)は意味がある。あとプロパンガスの人は早めに充填しておいたほうがいい。
これが杞憂に終わることを祈っている。
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【3/14 追記】
「LNGを運ぶ船の燃料は重油」という記述に対して「本当に専門家か?」とツッコミをいただいたので訂正する。LNG運搬船は輸送中に自然気化するボイルオフガス(BOG)を燃料に使える設計が主流で、古い蒸気タービン船は昔からそうだし、最近の新造船はDFDE(デュアルフュエル・ディーゼル電気推進)やME-GI/X-DFエンジンを積んでいてLNGと重油の両方で動く。つまりLNG船は自分の積荷を燃やして走れるので、重油が尽きたらLNGが運べなくなるというデッドロックの説明は不正確だった。申し訳ない。
ただし本筋の論点は変わらない。問題はLNG船以外の船だ。原油タンカー、石炭を運ぶバルカー、コンテナ船、これらは依然として重油(VLSFO)が主燃料で、その重油は原油から精製する。原油の供給が細ると、石炭・食料・工業資材を運ぶ船の燃料が不足して海上輸送全体がボトルネックになる。LNGだけ船が動いても、石炭火力用の石炭が来なければ電力の穴は埋まらないし、食料や化学原料の輸入にも支障が出る。エネルギーのデッドロックは「LNG船が止まる」ではなく「LNG以外の海上輸送が止まる」という形で起きる。
指摘してくれた人、ありがとう。
【3/14 追記2】
ブコメで「なぜ日本の事だけで予測をたてるのか。影響範囲はもっと広くて備蓄がない国も沢山ある」という指摘をいただいた。これは完全にそのとおりで、自分の書き方が日本視点に閉じすぎていた。
実際にはこの危機のもっと怖い部分は「日本に届くまでの途中」で起きる。日本向けのLNGや原油は、中東からまっすぐ日本に来るわけではない。マラッカ海峡を通り、シンガポールやマレーシアの沖を経由する。オーストラリア産のLNGだって、インドネシア近海を通る。この「途中の海域」と「中継港」が平常どおり機能する前提で、みんな話をしている。だがその前提が崩れる可能性を考えるべきだ。
ホルムズ海峡封鎖の影響を最初にまともに食らうのは、備蓄が薄い国々だ。パキスタン、バングラデシュ、スリランカあたりはLNG在庫が数日分しかない。これらの国で電力危機が起きると社会不安が一気に高まる。スリランカは2022年に経済危機で政権が倒れたばかりだ。パキスタンも政情が安定しているとは言い難い。こうした国で政府が倒れたり、秩序が崩壊したとき何が起きるか。
まず考えられるのが、中継港での政府による積荷の接収だ。日本向けのLNGタンカーがたまたまある国の港に寄港中、あるいはその国の領海を通過中に、「国家の緊急事態」を理由に拿捕・徴発される可能性だ。国際法上は当然違法だが、自国民が凍えているときに他国向けの燃料を素通りさせる政府がどれだけあるだろうか。2022年のスリランカ危機では港に停泊中の燃料船を事実上差し押さえた前例がある。
次に海賊。ソマリア沖の海賊問題は近年やや沈静化していたが、あれはアデン湾に各国海軍が常駐して護衛していたから成り立っていた話だ。各国の海軍がホルムズ方面に戦力を集中させたら、マラッカ海峡やスールー海、ベンガル湾あたりの警備は手薄になる。エネルギー危機で周辺国の治安が悪化すれば、高価なLNGや原油を積んだタンカーは格好の標的になる。
さらに言えば、日本がスポット市場で買い付けたLNGカーゴが、途中で他国に「横取り」される可能性もある。2021年にはパキスタン向けのLNGカーゴが、より高い価格を提示した欧州のバイヤーに航路上で転売されたケースがあった。売り手市場では契約のモラルが崩壊する。逆に言えば、日本が買ったカーゴが到着前に他のバイヤーに奪われることも理屈上はあり得る。
つまり、日本のLNG在庫が何週間分あるとか、オーストラリアからの長期契約があるとか、そういう計算は「海上輸送路が平常どおり機能する」という前提に立っている。その前提自体が、周辺国の政情不安・海賊・中継港でのトラブルによって崩れるリスクがある。日本の問題を日本だけで考えても意味がない、というのはまさにそういうことだ。