力まない腕振りで走るコツ、FIFA審判も驚いた
ランニングインストラクター 斉藤太郎
国際サッカー連盟(FIFA)主催の2014年ワールドカップの候補レフェリー講習会がブラジル・リオデジャネイロで5月下旬に開かれました。1試合で13キロを走るといわれるサッカー審判。私はランニングインストラクターとして招かれ、世界各国から集まった52人のレフェリーに効率の良い走り方を指導してきました。
■走りの力の無駄遣いは万国共通
私は各国の優秀なレフェリーたちの姿勢に注目しました。彼らはアスリートであり、世界トップ級の面々。日本人に多い猫背気味の人は誰もいません。特にアフリカ勢の姿勢は美しかったです。腰の位置が高くて、1本の垂直ラインが見えてくる中心軸。2本の脚から頭の先、天に向かってスーッと立っているシルエット……。
ところが実際に走ってみると、アフリカ勢のみならず、美しい姿勢なのに力みや凝り固まった状態を抱えているために、走りの動きが阻害されている人が目立ちました。部位でいうと肩、肘、ふくらはぎです。
また、骨盤が前傾しているのはいいのですが、その度合いが極端であり、上半身ののけ反りがきつくて、腹筋を使えていないような走りをする人もいました。こうしたランニング中の力の無駄遣いは日本人だけの問題ではなかったようです。
■アフリカ勢は誰もが速いわけではない
アフリカ勢は誰もが美しいフォームで速く走るというのは、陸上界のトップアスリートに限った現象であり、これはある種の偏見だったのかもしれないと感じました。
6日間の講習期間中、様々な角度からアドバイスをしたのですが、最も多く使ったのは「肩をリラックス」というフレーズでした。
バスケットボールのドリブルを思い浮かべてください。バウンドしたときの頂点付近で力を入れてボールをたたくので、重力を生かして最小限の力でボールを弾ませることができます。終始、力ずくでボールをたたいていたらどうなるでしょうか? 疲れてしまいます。腕振りも同じです。
重力を利用すれば腕は下に落ちてきます。横から見て体の中心線、最も低い位置に差し掛かる瞬間に腕を鋭く引く。こうしたコツをつかむと効率の良いフォームになります。少ない力で大きな推進力を生み出し、持続することができるのです。ところが肩が力みっぱなしだと、重力に対抗して終始力が入り続けてしまい、エネルギーを無駄に使って疲れやすくなります。
■腕の付け根は肩にあらず
意外に思う方もいるでしょうが、腕の付け根は肩ではありません。腕の骨―肩甲骨―鎖骨とつながり、鎖骨と胸の骨とをつなぐ「胸鎖関節」ではじめて胴体に接合しています。
腕の付け根はここです。肩から先ではなく、この部位から先をリラックスさせなくてはいけません。一歩一歩着地するたびに、肩と肩甲骨は上下に揺れていいのです。まるで鎧(よろい)を着た人がユサユサ揺らせて走っているかのように。それが本当の肩のリラックスです。
着地した瞬間には姿勢は保ちながらも肩は落ちます。肩甲骨から柔らかく腕を後方に引きます。鎖骨と胸鎖関節はそのときに後ろ方向へ引っ張られる形になります。そんな緩んだ状況がまったくないまま、肩から先が腕だと思って、首と両肩の三角形をまるでハンガーのように固定させて力んで走っている方、いませんか?
■エクササイズで腕の重さ・付け根を実感
レフェリーでこれにあてはまる人に腕の付け根の話をしてみました。すると「腕がそんな奥深い部分から生えているという感覚はこれまでに無かった」といったような反応で、驚いた様子でした。そして「あなたの腕はこれだけ重たいのですよ」と実感させるエクササイズを試してもらいました。
まず片方の腕の力を抜いて、まるで腕がロープになったかのようにイメージします。パートナーに横に立ってもらい、両手を使ってそれぞれ人さし指・中指と薬指・小指を持ってもらいます。胸鎖関節が腕の付け根だとイメージしながら腕を上下に振ってもらいましょう。(写真)
腕の重たさと腕の付け根の位置とを感覚的に理解できるようになります。10往復を目安に左右で試してみてください。そうしたら両腕をリラックスさせて走ってみましょう。柔らかい腕振りをこれまでよりも深くつかめるはずです。
肩まわりをリラックスさせるために、連載の「ガチガチ肩はランナーの重荷、ストレッチで柔軟に」で紹介したエクササイズも試してみてください。
肩のリラックスに関連して、呼吸法についてのアドバイスもしました。インターバル走のときにペースを落とす区間では、次のペースアップに向けて走りを止めることなく短時間で走力を回復させようとします。レースで坂道を上り切った後などでも同じ状況に遭遇します。
肩を力ませずに激しく呼吸をしながら回復に努める時間帯。ある程度キャリアを積んだランナーの方でしたら、誰もが経験したことがあるはずです。
■肩で息をしない上半身の柔軟さを
肋骨の内側はほとんど肺です。これを風船に例えて考えてみましょう。姿勢が猫背だったり肩まわりが硬直したりしたままで走っていたら、肺の風船を大きく膨らませて使うことができません。上体が筒のように固まっていたら、下方向は内臓でブロックされているので、風船に入る空気は上方向に逃げようとします。
いわゆる「肩で息をする」状態。肩と鎖骨を上げ下げして肺の圧力を制御せざるを得ないことになります。上半身をいかに柔らかく使えているかどうかが、有酸素運動のパフォーマンス、エネルギーの持続性を左右するのです。
肩を力ませがちな方は日ごろから深い呼吸ができていない傾向があります。苦しい状況になると止めどなくペースが落ちてしまう、苦しい状況から一向に回復できない。そんな方は苦しいときのランニングフォームをチェックしてみてください。
おそらく「肩まわりに硬直がみられる」「上体が硬直して、体の軸が右に左に大きく揺れる」といった走りになっているはずです。
呼吸法については、この連載の第1回「深い呼吸でリラックス 走るフォームも美しく」も参考にしてください。
実は今回、FIFA講習会に講師として招かれるに当たって、恐れていたことが一つあります。それは陸上でもサッカーでも格上といえる国々の人たちに「どうして東洋人なんかにランニングを習うの?」と心の壁をつくられることでした。
なんとかして心をつかもうと思案した末、初めに話したのが、私が以前参加した富士登山競走と海外でのトレイルランニングレースについてです。「これに似た苦しい状況は1試合で13キロを走るといわれるレフェリーの皆さんにもあるはず。動きを止めることなく次に備えて回復しなくてはなりません」
そんな話を写真と併せて紹介したところ、心身ともにタフなレフェリーたちの興味を引いたようで、彼らの食い入るような視線を受けながら講習を進めることができたと思います。
受講したレフェリーたちほどのレベルになると、自身のランニングにコンプレックスを抱く人はほとんどいません。そんな彼らでも、講義で理論を学んだり、実習で撮った自身の走りの映像を見たりして、ランニング力向上の手掛かりをつかめたことが新鮮だったようです。
トップアスリートの動きの素晴らしい要素の一つに、「キレ」があります。動きが速いことは確かなのですが、すべてが速いのではなく、ある瞬間が速い。サイクルの中にリズムの強弱があります。野球の投手、やり投げだったら、リリースする最後の局面です。
ランニングでいうと、左右の腕、左右の脚がすれ違う局面。ハサミで切り落とすような瞬間です。文字通り「はさむ」動作です。毎歩においてこのはさむ動作にキレがあると躍動感あるフォームになり推進力が増します。
FIFA講習会に向けて、ここを英語でどう伝えるべきか、英語の先生に相談しました。最もしっくりくる言葉は「Slice(スライス)」でした。鋭い刃物で何かをスライスするようなイメージ。ここぞというときには、そんな意識をもって腕振りと脚運びを連動させてみるといいかもしれません。
さいとう・たろう 1974年生まれ。国学院久我山高―早大。リクルートRCコーチ時代にシドニー五輪代表選手を指導。2002年からNPO法人ニッポンランナーズ(千葉県佐倉市)ヘッドコーチ。走り方、歩き方、ストレッチ法など体の動きのツボを押さえたうえでの指導に定評がある。300人を超える会員を指導するかたわら、国際サッカー連盟(FIFA)ランニングインストラクターとして、各国のレフェリーにも走り方を講習している。「骨盤、肩甲骨、姿勢」の3要素を重視しており、その頭の文字をとった「こけし走り」を提唱。著書に「こけし走り」(池田書店)、「42.195キロ トレーニング編」(フリースペース)など。