名馬誕生へ「新兵器」 科学で磨く競走能力
競走馬たちが日々鍛錬を重ねる日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市)でこのほど、自動車のカーナビなどで使われる全地球測位システム(GPS)を競走馬の運動量把握に活用する取り組みが始まった。馬の体調管理は調教師の長年の経験がものをいう匠(たくみ)の世界だが、客観的なデータを援用して走力の底上げを狙う。
小型端末を利用しデータ集め
運動量のデータを集めるのはGPSロガーと呼ばれる重さ65グラムの小型端末。競走馬がトレーニングをする際に付けるゼッケンに設けたポケットに入れておく。端末は馬が動き出すと電源が入り、どれだけの時間と速さで馬が移動したか計測する。
端末に蓄積したデータは競走馬総合研究所(JRA総研、宇都宮市)の運動科学研究室が解析し、診療所経由で厩舎に送る。平均で2万5000キロカロリーといわれる基礎代謝に、その日のトレーニングによる運動量を加えたものが消費カロリーとなってはじき出される。
端末をパソコンに接続し、インターネット上の地図に、馬がトレセン内をどのように動き回ったかを表示することもできる。
飼料や調教、効率化
栗東トレセン競走馬診療所の横田貞夫所長は「運動量を客観的な数字として把握できれば、エサの与え方や調教メニューの作り方などの効率化に応用できるかもしれない」と話す。近年、馬の体格が向上、競走能力が高まるにつれて、与えるエサのカロリーも上昇傾向にある。
しかし、必要以上にエネルギーを摂取すると「筋肉痛などを引き起こすこともある」と横田所長は指摘する。
今回の取り組みは、まず栗東トレセンの佐々木晶三調教師の厩舎で試行する。昨年、エース格のアーネストリーがGI(重賞)の宝塚記念を制覇するなど35勝をあげ、年間最多勝争いでも全国20位。209ある厩舎のなかで上位の実績がある。
新しい手法を取り入れていかないと
「新しい手法を取り入れていかないと、すぐに置いていかれる世界だからね」と笑う佐々木調教師。馬のコンディションは、毛のツヤ、歩き方、筋肉を手で触ったときの感触の違いなど様々な手法で見極めてきた。
長年培ってきた勘と経験、感性がものをいう点は今後も変わらないとしながら、そうした領域で科学的なデータがどう生かせるのか興味津々だ。
例えば休養で体重を大きく増やして帰ってきた馬を、レースで走れる水準まで絞り込む場合。必要な運動負荷が正確に分かれば、馬にとって負担になりすぎない最小限度のメニューを課すことができるかもしれない。馬が気分良く走れなければ、本番で好成績は生まれない。
■名馬分析がルーツ
GPSなどを使った運動量の測定は、過去にも実施されていた。しかし対象は2000年に重賞を8連勝したテイエムオペラオーや、01年のジャパンカップダート優勝馬クロフネ、02年のダービー馬タニノギムレットなどの名馬に限られた。
心拍数の計測機器を載せ、血液検査で疲労時にたまる乳酸値も調べて秘められた能力を科学的に研究するのが主な目的だった。
当時はGPS機器の価格が1個10万円を超え、厩舎にいる20頭前後の所属馬全てに載せるのには向かなかった。今回導入する端末は1万円を切り、運動にあわせて電源が入るなど維持管理も楽になっている。
佐々木厩舎のケースでは、データ収集のため日々、馬の体重を測定するようになったほかは特に厩舎側の手間は増えていないという。横田所長は「手軽さをアピールして徐々に取り入れる厩舎を増やしていきたい。将来的には導入から分析まで厩舎でできるようになれば活用の幅も広がる」と期待してる。
レジャー向け汎用品を調達
今回、栗東の競走馬診療所が調達した小型端末は、競走馬向けに特化した製品ではない。汎用品で、近年では山歩きやサイクリングを楽しむ人たちが、走破したコースを記録するのに利用している。財団法人日本サイクリング協会(東京・港)によると「自分が走った峠などを地図上に表示、知人に自慢したり、ブログなどに載せたりして楽しんでいる」という。
GPSで自動的に撮影地点の位置情報を記録するデジタルカメラや携帯電話なども増えている。測定精度が上昇し、価格もこなれたことでアウトドアや健康志向の高い層に受け入れられている。人の世のブームが、競走馬の世界に技術革新をもたらすとすれば珍しいケースとなる。
(大阪・運動担当 森青樹)
[日本経済新聞大阪夕刊オムニス関西2012年2月17日付]
(厩舎の総数は3月5日現在に修正しています)